未熟者
2020-01-28 | 日記
今日は気が散りやすい。
理由は分かっている。
瞑想中も自分が思考にずっと囚われて、
思考にズームしているのに気がついて、
もっとマインドを切り離して離れたところからみる…
そんな風に
気がついて、
行動して、
また忘れて気がついて行動する。
なかなか実践しても
直ぐに学びを身につけられるものではないのが
人間なんだろう…
気づきや感じたこと、
みえるものを言葉に落とし込む難しさや
実際に自分自身が中立にいて実践することの難しさ。
これが人間の面白いところでもあるのだろうけれど
当事者になればそんなことも言ってられず…
と、言うのがまた面白いところである。
みんな未熟だ。
誰かが分かった風に他人に教えるものじゃない。
自分自身が自分の感覚で
ベールを少しづつ剥がしていくしかないこと。
きっと、言葉はそれくらい表面的でしかないのだと思う。
誰かの言葉が、自分の感覚の表面に触れることで
それがバイブレーションとなって感覚の中に響き、
それが何かを気づかせるような
自分で深いところをみるような洞察を
与えてくれるきっかけにはなったりするけれど、
決して、誰かの言葉を真似たからと言って
自分も同じものになるとわけでは無い。
誰かにわかる言葉
誰かには分からない言葉
同じ言語を話す仲間でも起こる不思議な現象。
その感覚を言葉にすると安っぽくなるけど
その言葉で伝える方が分かりやすいようで
多くの人が使っていたりする。
その感覚が言葉にあらわすことが何も出来ないときも
また何処からか探して当てはめる。
最近よく感じることがある。
感じる、
みる先は
もっと広大で圧倒される無であり
圧倒される有。
その有を愛などの言葉にするのも
感覚的には違うけど…
結局、そうゆう事だ。
理由は分かっている。
瞑想中も自分が思考にずっと囚われて、
思考にズームしているのに気がついて、
もっとマインドを切り離して離れたところからみる…
そんな風に
気がついて、
行動して、
また忘れて気がついて行動する。
なかなか実践しても
直ぐに学びを身につけられるものではないのが
人間なんだろう…
気づきや感じたこと、
みえるものを言葉に落とし込む難しさや
実際に自分自身が中立にいて実践することの難しさ。
これが人間の面白いところでもあるのだろうけれど
当事者になればそんなことも言ってられず…
と、言うのがまた面白いところである。
みんな未熟だ。
誰かが分かった風に他人に教えるものじゃない。
自分自身が自分の感覚で
ベールを少しづつ剥がしていくしかないこと。
きっと、言葉はそれくらい表面的でしかないのだと思う。
誰かの言葉が、自分の感覚の表面に触れることで
それがバイブレーションとなって感覚の中に響き、
それが何かを気づかせるような
自分で深いところをみるような洞察を
与えてくれるきっかけにはなったりするけれど、
決して、誰かの言葉を真似たからと言って
自分も同じものになるとわけでは無い。
誰かにわかる言葉
誰かには分からない言葉
同じ言語を話す仲間でも起こる不思議な現象。
その感覚を言葉にすると安っぽくなるけど
その言葉で伝える方が分かりやすいようで
多くの人が使っていたりする。
その感覚が言葉にあらわすことが何も出来ないときも
また何処からか探して当てはめる。
最近よく感じることがある。
感じる、
みる先は
もっと広大で圧倒される無であり
圧倒される有。
その有を愛などの言葉にするのも
感覚的には違うけど…
結局、そうゆう事だ。