「本気ダイエット」はじめて一か月がたちました。
-1.4Kg
正確にはマックスになって嫌気がさして
「本気」モードになったのが一か月と一日前なので
そこからは―1.0です。
徐々に毎年増えて、
気を付けていても痩せない中年太りループ・・・
そんな状態から結果を出していくのは大変なんですよ~
体重的には1㎏くらいですが、
体脂肪は1.4%くらい減っています。
運動もしているので、
気持ち引き締まって来ている気がします。
引き締まるというより
嫌なダボ付きが少しマシになった感じ。
根気よく、少しでも心地よくいられる体型に近づける!
自分自身のことでも人を当てにしている人が多い。
どうしてでしょう?
近道かもしれないし、
自分で時間を割いたり努力も少ないかもしれないけれど
人に合ったものが自分にも合ったものかは分からない・・・
それに、自分に必要な知識はどうだろう?
人と自分は違うし、自分自身で知識を増やすことや
自分の身体のことを管理するために合ったやり方を試すことを
どうして自分自身で探していくことを選ばないのだろう・・・
今は簡単に情報も集めることができる時代。
人のやり方も色々な情報も試しながら
探っていくこともできる。
自分のことを
もっともっと自分で試して探って知識を増やして
自分流にイキイキできる人生を創っていけばいい。
久しぶりに知人に会ったけれど
この人は十年以上同じようなことを言っている。
建設的な話題は無いし悪い人ではないけれど
ちょっと気が利かないところがある。
私のお誕生日を覚えていてくれたのはいいのだけれど
「年齢は聞かないけど・・・
男性は年輪を重ねるっていうけど女性の場合はねえ~・・・」
はぁ~?!
老化はもちろんしていくけれど
自分自身はもっと中身のある日々が気に入っている。
「自動的に年齢はただ重なっていくよね・・・」
私は年齢がいったほうが充実してきて楽しいですよ。
自分と同じようにネガティブな感覚へと引っ張りたがる。
最近はさすがに劣化を感じますが、
昔からあまり年齢を気にしたことがなく
そこに大きな価値をおいていないのです。
どんな風に年をとっていくのか、それは人それぞれで
自分が望むようにしていけばいい。
私は公私ともども何も成果がないまま
日々、年々、
ただ時間をやり過ごすだけにしたくないと思っている。
若いときは、どうしていいかわからず
ただ日々を過ごしていただけだったと思うけれど
今はもっと充実させられている。
ただ時間をやり過ごすだけなんて
今の私はもったいないと思うのです。
人それぞれ年齢に対しての考えかた過ごし方がある。
若いことだけに価値を見出している人にとっては
年々虚しさが増すし、
人も同じように感じているのかと思うのかもしれませんが・・・
若さは誰もが持つことのできる魅力です。
期限が限られ、何かを補うために使うことのできる武器です。
本来の魅力はその付加価値がなくなってからが勝負。
本当に自分自身が充実できるのかも、そこからです。
内側からでる魅力って素敵です。
年をとって、いい顔になるようにしたいですね。
満たされることって
案外難しいことではないのかもしれないけれど
それを自ら難しくしてしまうのかもしれませんね。
本当に望むものさえ知っていれば
それが満たされればいいのに、次々新しいものへと欲も出るから。
もしくは、本当に望むものを
自分で気づけずにいいるのかもしれないですね。
人間関係も物事もシンプルにしておけば
そんなに混乱しないのに
複雑にしてしまうのは人間自身なんですね。
掘り返してまでアレもコレも複雑にしていたりします。
目立ちたい、周りからも評価されなくてはならないなんて
そんな必要ないのに、
そうでなければ自分自身が満たされない気になったり・・・
自分が満たされて幸せなら、
周りからどう思われたいかなんて考えないでしょう。
自分の思考を、心を、シンプルにすることからはじめて
少しづつ自分の内面の声を聴き取れたら・・・
自分自身が自分自身であり
魂が本来望むことを知れたら
どんなに充実して人生という時を活かせるだろう。
「こうするべきだ」
「こうあるべきだ」
そんな風に、自覚はなくても自分で決めつけたりしてしまうのは
自分で自由をなくしてしまうことになるのですね・・・
思っている以上に思考が硬くなっていくようです。
よく「オープンに」ということを聞きますが
本当にその意味を理解するのにも時間がかかるよう。
この肉体にいるということは
常に制限を設けてしまっているということで
気づけないものがある。
その肉体にいながら、自分自身で心底理解できていくことは
自分の人生をより楽しめるようになるのですね。
理解するのは自分のため。
頑なになるマインドを柔軟に少しづつすること。
一見、柔軟ぶっているだけの
かなりの頑なさを持っている場合もありますね。
柔軟の意味さえよく分からなくても
そのうちもっとわかる時がくるかもしれない。
柔軟さは肉体にもあったほうが大きな故障を防げるように
マインドにも不可欠要素。
もっと、意識してみよう。
この間、どこでだったか忘れてしまったけれど
小さな子を眺めていて思い出しました。
いつ頃から、周りの目を気にした言動をとっていたのだろう?
いつ頃から、そのままの感情をださなくなっていたのだろう?
そのうちに、本当の自分の言動や感情や思いなど
分からなくなってしまっていたよう・・・
少しづつ、少しづつ純粋なものは
こうあるべきという型の中に抑え込まれていくのですね。
誰も悪いことなんて思わないし
秩序の下に正しい行いをしているから・・・
根気よくささやいてくれていることに
もっともっと気づけるようになりたい。
教育、自由それぞれの意味・・・
色々な解釈が世の中に出回っているけれど
何を信じ、何を取り入れていくのかも個人の考えのもとで
責任を自分自身に下していけばいいだけのこと。
誰かのせいにしない。
いつだって自分の責任であることを忘れずにいることが
自分自身の人生を開拓し続けさせてくれる
一つのツールでもあるのでしょうが・・・
人生は本来の輝きを活かしながら体験したほうが
何倍も素晴らしい経験ができるのですね。
久しぶりに昨夜は熟睡。
大きな地震も2回ありましたが・・・
いつも思うのですが
自分のことは分かったつもりでいたり
探ろうとして少しわかったら、
全てわかったつもりになったりする。
でも、ホントは何度も何度もそんな機会が訪れて
自分を発見したり自分の思い癖に気づいたりする。
意外と自分のことに深入りしないし
したくない人は多いもの・・・
人のことをあれこれ分析したりアドバイスする前に
必要なことがまず自分自身にあるはずなのに
人のことをやりたがる。
人のことのほうが事は簡単ですからね。
でも、人が個の幸せを得られていたら
色々な変化があると思うのですが・・・
難しいですね。
思い癖も、考え方も、自分のつくり出している囲いも
気づくと自分のつくり出している世界が動き出す・・・
先週は何かと食べる機会があって思うように
体重は減り続けてはいませんが
嫌気がささなければ大丈夫、と言い聞かせています。
今週は新たに改善しながら見直して頑張る!
最近時々子供時代を思い返してみる・・・
思い返してみると子供っぽさとは少し離れた感覚で
アンバランスでもあったような気がする。
自分で選んだわけではない子供時代を考えると
そこから身についていった多くの感覚がある。
自覚もないままに身についていくところがある
のが子供時代の育った環境なんだろう・・・
たいていの人は、自分の感覚も考え方も
育った環境や周りの身近な大人たちに影響される。
当たり前と思う部分はそこから学ぶことが多い。
私はとても不器用に遠回りをしてしまう道を
選びながら今やっと望んでいた幸せな生活をしている。
でも、多くの人が当たり前のようにする
選択の仕方が自分にはなかったおかげで
手にできないものもあった。
人それぞれ、その人の当たり前のようにある選択は
自分のモノだけで誰かと比較することはできない。
自分だけのやり方で
自分にとっての選択を常に責任をもってすればいい。
人と違っていい。
周りのことなんて気にすることもない。
自分らしい自分の幸せのための選択をいつもすることだけ。