★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

健康

2024-08-11 | 最近おもうこと
時々書いているけれど、
私は食、運動、健康に関することなどの身体、
心、精神などを含めた
人間の心身に関してのことに興味がある。

世に出回る情報も目まぐるしく変化していくし
ある情報が出たからと言って
自分に合うかは分からないものだ。

人それぞれDNAが違うし、
第一、今ある状態も違うので
同じ結果を出せるかは分からないわけだ。
出来るのであれば自分で試してみるのがいい。

肉体的健康にこだわる人
長生きにこだわる人
見た目の若さにこだわる人
こだわる人でも、それぞれこだわりたい部分が違う。

でも、「こだわり」が気づかないうちに
行き過ぎている人もよくみる。
私個人的には「こだわり過ぎなくていい」と思っている。
逆に良くないと思っている。

肉体は食、運動など物質的なものが必要だけれど
心や精神も影響していることを思い出せばいい。
こだわることでストレスが生まれることも多く、
「こうしなければ」は逆効果だ。

基本はいい事を取り入れて気をつけているけれど
時と場合によってユルいくらいでいいのだと思う。

また、自分をちょうど良く扱うことも必要で
厳しすぎることも甘やかしすぎるのも問題が起こる。
人にも自分にも意地悪な感情は病気を生み出す。

身体のことを考えるのなら
一方向だけで考えず、心の在り方や考え方も大事で
そこが基本でもあると思い出すこともしよう。






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感情、思考も癖

2024-08-10 | 最近おもうこと
人は思考、感情の仕方の癖がある。
感情によって思考してしまうのだけれど。。。

この場合は怒りが湧き出る
この場合は悲しくなる
これを見聞きするとイラっとする
これはこうするべきだと考える
これはこうするのが正しい、悪いことだと考える

人それぞれ自分自身と思考や感情は密接すぎて
何だか分からないけれど自動的に起こりすぎて
客観的にそれらを見直したり
考えたりする機会はあまりない。

たまに、大きな問題が起こったときに
どうしてそう考えたのか
そのような感情になったのか
見直したり反省したり、
また、自分の正当性を自分に言い聞かせたりする。
その大きなきっかけで
変わる人もいれば変わらない人もいる。

日常の中ではあまり自分を見直したり、
ましてや変えようと思うほど大きな衝撃はない。
自分の思考、感情の癖を変えるのは
余程のことがない限り難しいもの。
いつだって、なんだかんだ言って
自分を正当化しているのだから。。。

何かが滞っているときは
いつもの感情の癖を見直し、別の思考をしてみる。
そこで湧き出るいつもの感情を抑えるのも
またチャレンジだけれど、
滞っているなら別の思考を試し
別の反応を試してみたらいい。
何にしても癖というものを変えるのは難しいものだ。










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自分がいる道

2024-08-09 | 体験やイメージ
一時期、「二極化」ということがよく言われていた。
今も経済的、物質的な物事については言われている。

私は最近、「意識の二極化」が自然と、
本人の意識していない中で進んでいるように感じる。

でも、どうやってそうなるのか?
慌てたって急には変われないわけで。。。
本人が進んでいる道を意識していないのに?

それは、今までの「結果」が表面的に
表れ始めている時期なのかもしれない。

結局人生は決められているのか?
性質はあるかもしれないけれど、
どこかで選択する機会は度々あり進んでいく。

実際、自分が物質世界で何をやって、
どんな生活をしているのかは関係なく
もっと内側の意識の問題だ。

フッと以前に見た確かホピだったと思うけれど
予言の絵を思い出した。。。
人々が二つの異なる道を歩いていく絵。

人はどんなに「知って」いても
心や意識を変えることは難しい。






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穏やかに歳を取ろう

2024-08-08 | 日々のこと
最近は猛烈頑固の父親も随分体が弱っているので
朝の散歩に連れ出している。
すぐに「忙しいから行かない」と言うけれど。。。

日々自分流の運動は家の中でしている。
けれど、自分流で人のアドバイスは全く聞かず
流石に歩くのが不自由になっているので
外に出ることも大事だと歩行器を使って外を歩かせている。

40代の時に脳血栓をして右側に軽度の後遺症が残っていたけれど
若さでそれは問題なく通常通りの生活ができていた。
けれども、70代後半から筋肉の衰えと共に不自由さが出てきて
持ち前の気の短さと頑固さで使いづらいものは使わなくなり
人のアドバイスも受け入れないので
使えたものも使えなくなってきている。

それでも自営業だったのでギリギリまで仕事はしていたけれど
引退してからの数年ははほとんど外にも出ず人との関わりも
家族以外はほとんどないので老化がみるみる進んでいる。
趣味もないので家の中にいれば
テレビを見るか、寝ているかが多いのだ。

自分で病人だとか歳だと言っていたら
本当にそのようになっていく。
気持ちがそうさせていくのだろう。。。
良かれと思って家族が何かアドバイスをすると
「俺は病人なんだ」
「お前も脳が切れてみろ」
「お前もこの歳になってみろ」
そんなうんざりすることをいつも言う。
病気をしたのはずっと昔の話で
恵まれている環境だから言い訳もできるし
やってもらえるのだ。

また、すぐにテレビの影響を受けるせいか、
背中も真っ過ぎにして歩けるのに最近は曲げて歩く癖をつけてきた。
時代劇などを見ていて年寄りは背中を曲げるイメージがあるようだ。
客観的な自分をいつも見ていないので
同じような歩き方をしている人を見て
「腰が曲がっちゃってずいぶん歳なのかなあ」
と呆れることを言ったりする。。。

それでも最低限、自分の身の回りのことは最後まで
自分でできる状態でいて欲しいものだと思う。









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2024-08-04 | 最近おもうこと
人との出会いは必要な人と、
必要な時に出会えるのだと今は感じている。

いくらでも、ほとんどの情報が取れる現代なら
会いたい人にどんどん会いにいくことも
かなりできるようになっている。

また、自分の情報も表に出し
自分自身が表に出る機会を持ちたい人も多いので
全く知らない人同士でも
同じような感覚同士なら会う機会を作り出す。

前は私も「会う」ことにも
積極的で、引き寄せられると思っていた。
自分自身で「運」も「人生」も引き寄せられるような
力づくでも得られるようになると思っていた。
世の中は西洋的な文化が多くなり
積極的な行動を進める考えになってきたからだろう。

でも、今は自然に任せている。
必要な物事は必ず来ると感じているから。。。
会う縁がないなら会わないし、
また、縁があれば繋がるものだと感じている。

あまり人との縁を多く持つ必要がないのなら
一人の時間が多い中でやることがあるのだろう。
それぞれに、必要なお膳立ては用意してくれているのだ。











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一番分からないのは自分自身

2024-08-02 | 最近おもうこと
今年に入ってから自分の中のわだかまり、
インナーチャイルドと
よく言われるものに取り組むことになっていた。
個人的にはそう呼ぶのは好きじゃないけど。。。

考えてみれば、何度も何度もことあるごとに
それは自分を苦しくさせていたのだと分かった。

そのわだかまりを自分の中に作り出したへの感情を
うまく対処できずに単に押し殺していたのだろう。
自分自身の感情を蔑ろにし過ぎて
その部分の感情に対して鈍感になっている。

でも、一人ひとりの持つ感情を
親や他人はそこまで気遣うことがないのは普通で
大人だからといって、立派であるわけでもなく
自分のことで一杯一杯なのだ。
子供だろうが大人であろうが
ある種の感情の抑制はいつだって強いられている。

その感情が常に自分自身で気づかない火種としてあり
人生において大きな影響を与え続けてしまう。

きっかけになっている事はある。
けれども、対処していくのは他でもない自分自身だ。
自分がどう思い、どう考えるかは自由で
自立した大人になれば
尚更自由な心の取り組みができる。

結局、自分の奥深い心の中にあった
大きな悲しみや怒りというものに気づき
自分自身で認めて解放していくこと。。。

それを見つけるのは簡単ではないし、
分かったつもりが分かっていない、
表面的で奥へ進んでいないということもある。
根本的な部分へ行っていなければ
何度も何度も似たような問題は繰り返され
何度も何度も似たような感情が沸き起こる。

誰かが解決してくれるものではなく
自分自身しか対応できない。
きっと、適切な時期が来れば
自分の中で大きな取り組まなくてはいけない問題として起こり
やっと一番奥の火種を見つけられるのだろう。

見つけるといつの間にか火種は消える。



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本屋さん

2024-08-01 | 日々のこと
以前は駅ビルや駅前などに必ず本屋さんがあった。

けれども、今は殆ど本屋さんは無いので
目的もないのに本屋さんに行って
何となく眺めていたら良さそうな本があったので
選ぶということがなくなっている。
もちろん、欲しいものが決まっている場合もある。

今では買うものが決まっていてネットで調べて買うことが多い。
もちろん、おすすめも出てくるけれど今ではあまり使わない。
以前にはお薦めされた本も気になって買っていたけれど
やはり、何となく違うことが多かったので今では見ない。

時々、都内などにある大きな本屋さんに寄るのだけれど
欲しいと思っている本を探しても無いこともあり
やはりネットで買うことになる。

ネットの品揃えは実店舗には敵わない。
けれども、本屋さんで物色しながら
何となく選び出すことも楽しいので
本屋さんが消えているのは悲しいことだ。






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