<川は流れる>

Reiの好きなこと、ここだけの話

「母の眠り」

2014年02月26日 |  映画
メリル・ストリープ、ウイリアム・ハート、レニー・ゼルウィガー主演。

ケイト(メリル)は大学教授ジョージを夫にもつ専業主婦。
あるとき、癌で入院、手術することに。

ジョージは娘のエレンにニューヨークから戻ってきて欲しいと頼む。
仕事は記者、特ダネを追いかけてる、
そんな仕事をほって帰りたくない、いっときでも帰れば
私は職場でのポストを失う。

そんなエレンは、ケイトとは正反対。
ソリの合わない親子だった。

けれど愛してないわけじゃない、
しぶしぶ家に帰り、ケイトの面倒をみようとするが・・。
陽気で明るく太陽のようなケイト。
家庭でもムードメーカーだ。
家族の要となるのはやはり主婦、
そんな彼女が病に冒され、不安から家庭から逃げようとする夫ジョージ。

家族の持ついろいろな問題点を描きながら、
心の葛藤の本質をついていく優れた作品。

太陽だった母が死んだ、、
それはモルヒネの過剰摂取だった。
いったい誰が安楽死を選んだのか・・、
検察の調べから物語は始まる。


ケイトはそれぞれ家族の心の中に
あるものを残して死んだ。
家族を受け入れ慈しむ心。
残された家族は、本当の姿をさらけだした上に
愛という絆で結ばれる。


どこの家庭でもある日常的な親子の反発や誤解、
いつ経験するかわからない家族の病。
これは、親子関係で悩む若者には必見の映画かも。

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「先生」という呼び名

2014年02月26日 |  ブログ
学生の時は「先生」が大嫌い。
勉強が嫌いだったので、イコール先生も嫌い。
大人が嫌いだったので、イコール先生が嫌い。

なんにしても、面白くない人物が多く、
たまに個性的な人がいても、私なんてできの悪い生徒には関心も持ってもらえなく接点もなかった。
そして、「先生」のくせに人間ができてない、とか
「先生」のくせに考えが幼稚だ、とか
なんの先生やら、何故「先生」と呼ばれたがるのか、と思っていた。

子供の考えることですから~。

それから私は大人になって
社交ダンスや、体操で
「先生」と呼ばれるようになった。
教える人は先生なんだ・・と思ったがとても恥ずかしかった。
呼んでほしくないなーと思っていた。

そんなとき、社交ダンスを習ってた女性が
すごく私に反感をもち、くってかかられたことがあった。
「私のダンスを見て笑った」というのだ。
全然見てなかったし、自分の先生と談笑していただけだった。

いいがかりに対しても
謝っとけ、と思い「何か気に障りましたか、すみません」と言った。

その人は職業は「学校職員」だった。
けれど学校では生徒さんから「先生」と呼ばれる。
だから、ダンスのレッスンの場で、私が先生と言わないのが
我慢ができなかったらしい。

何故呼ぶ必要が・・・?
と今でも不思議だが、
みんな先生と呼ばれたがる。

私のすむ田舎は実は「先生」だらけなのだ。

会社でも、どこでも、
ちょっとものを教えてもらうときは「先生!教えて」を連発する。
口癖のようなもので、
それが高じて、物知りな人はそれだけでいつも「先生」と呼ばれるようになる。

たとえば、いつもパソコンのことを教えてくれる人はパソコンの先生と呼ばれ、
料理のうまい人も先生と呼ばれ、
英語がちょっとできると先生と言われる。

だから、なんだか
自分も「先生」と言われることに慣れてきちゃって、
いっかー、別にほんとに「先生」だしな、と思えてきた。

若い時はそんなちっちゃいことに目くじら立ててたんだなーって思う。

ただ、人にお金をもらって教える立場の人は、
絶対に「先生のくせに」という言葉を頂戴してはいけない。
それだけは肝に銘じてやっていかないとなぁ。

コメント (2)
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