【岸部一徳・沢田研二】
SPECIAL TALK
(今は音楽劇真っ最中のジュリー、映画が2本公開されたこの年1991年、ジュリーの映画や演技に対する考えがわかる貴重な対談をアップします。)
岸部「日本のホラー映画ってどうなのかなって思ったけど『ヒルコ』は怖かったよ。」
沢田「怖かったでしょ結構。そうなのよ。」
岸部「あれだけうまくできるのかって。」
沢田「まず、僕のところに台本が送られてきたの。やってほしいって。それで台本を読んでたら何回かゾクゾクってするわけ。いやーもう気持ち悪いっていうのか・・・。だからとりあえず出演を断ったの。」
岸部「最初は?」
沢田「うん、そういう怖いのは嫌やって(笑)。変なことが起こるから。『魔界転生』とかそうだったけど。『四谷怪談』とか幽霊の話なんか怖いし、化け物の話も怖いっていって断っていたんだけど(笑)。直接断ろうと思って塚本晋也監督に会ったら、なかなか面白い人で、“ちゃんと怖くないように撮りますから”とか言われて、最後には“沢田さんやりましょうよ”って言われたんで引き受けたの。」
岸部「やってみないとわからんもんね。そりゃあ。」
沢田「うん、ただ『鉄男』を観たときは変な映画を作る人だとは思ったけど。『ヒルコ』でびっくりしたのは編集とかなんだよね。首のついた化け物が出て来るわけなんだけど。実際撮影しているときはもうモロ見えなわけでしょ、人の力で動かしてるっていうのは。自分たちには全部わかってるわけよ。それで芝居しているから、こっちからはコメディ撮ってるんじゃないかなって思うくらい滑稽だったんだけど。でも最初の編集ラッシュから、二回目、三回目、それこそゼロ号やって初号になっていくうちにどんどん変わってきて、全部音が付いた時なんか僕なんか怖いから一人映写室でウワーっとかしちゃって。自分でやっているシーンでさえ(笑)。」
岸部「いやあ、びっくりしたね。迫力というか怖さなのね。脅かすという怖さじゃないところなのね。あんなことができるのかなって。」
沢田「丁寧に作ってあるところの勝利だと思うね。」
岸部「塚本さんっていう人はすごいね。」
沢田「あの人はすごい。それにすごく熱心。塚本さんは、本当は僕がやった役を自分がやればもっとうまく出来るっていうようなことを思いながら演出してるんじゃないかって、そう思うぐらいにこと細かに演出していた。それから『ヒルコ』の主人公は最初はもっと格好いいキャラクターだったんだ。」
岸部「あの学者が?」
沢田「そう。もっとインテリっぽい、クールでニヒルでやるときはやる!みたいなキャラクターだったんだけど、ああいう暗い内容をもう少し、なんていうのかな軽くできるような要素を入れてほしいって頼んだんだ。主人公がもっと一生懸命頑張ってやってるってことで救いになるようにって。あんまり格好良すぎると余計に嘘っぽくなるんじゃないかって思ったから。結構そのあたりを変えてもらったんだ。」
岸部「そうだね。ああいう内容だから、登場する人物はむしろ日常っぽく、結構普通のキャラクターのほうがいいよね。軽いところからスーっと入っていける。あんまりキャラクターが作られすぎていると、観る方も最初から、何かが起こるぞって感じになっちゃうから。『ヒルコ』のすぐ後に『夢二』を観たんだけど二本は好対照の映画だね。小栗(康平)監督が言ってたんだけど、“日本映画はやはりアメリカ映画がお手本で、日本人の観客はアメリカ映画を観るように、ストーリーの展開の面白さだけをつい追いかけてしまうことに慣れてしまっている。でも、日本映画っていうものは、そういうものを追いかけていても違うんじゃないか”って。そういう考えの人なのね。『死の棘』もストーリーがあるとは言いながらも、次の展開のためのシーンというものを全部排除して作りたいと言ってたわけ。『夢二』を観た時に思ったのはストーリーの進み方の面白さで見せているんじゃないんだよね。一つ一つのシーンがすべて独立しているように思った。ひょっとして映画っていうものはそういうものかなと思ったね。それで観る側がそれをどう受け止めるかはまったく自由で、面白いとか、すごいとか、あるいはわからないとかいろんなものが出て来る。やはり鈴木清順さんの映画は清順さん以外には絶対撮れないというところがすごい。
『死の棘』も小栗さんがああいう映画を作りたいって徹底して作ったの。だから、それぞれの監督が絶対撮りたいっていうのをやっていくのがいいんだろうね。」
沢田「全部違うっていうところがいいよね。これはこのタイプとかなってしまうと、つまらないと思うね。やっぱり我がままを通さないと、監督が。」
岸部「どこまで通せるかっていう。」
(今日はここまで、次回に続きます。)
SPECIAL TALK
(今は音楽劇真っ最中のジュリー、映画が2本公開されたこの年1991年、ジュリーの映画や演技に対する考えがわかる貴重な対談をアップします。)
岸部「日本のホラー映画ってどうなのかなって思ったけど『ヒルコ』は怖かったよ。」
沢田「怖かったでしょ結構。そうなのよ。」
岸部「あれだけうまくできるのかって。」
沢田「まず、僕のところに台本が送られてきたの。やってほしいって。それで台本を読んでたら何回かゾクゾクってするわけ。いやーもう気持ち悪いっていうのか・・・。だからとりあえず出演を断ったの。」
岸部「最初は?」
沢田「うん、そういう怖いのは嫌やって(笑)。変なことが起こるから。『魔界転生』とかそうだったけど。『四谷怪談』とか幽霊の話なんか怖いし、化け物の話も怖いっていって断っていたんだけど(笑)。直接断ろうと思って塚本晋也監督に会ったら、なかなか面白い人で、“ちゃんと怖くないように撮りますから”とか言われて、最後には“沢田さんやりましょうよ”って言われたんで引き受けたの。」
岸部「やってみないとわからんもんね。そりゃあ。」
沢田「うん、ただ『鉄男』を観たときは変な映画を作る人だとは思ったけど。『ヒルコ』でびっくりしたのは編集とかなんだよね。首のついた化け物が出て来るわけなんだけど。実際撮影しているときはもうモロ見えなわけでしょ、人の力で動かしてるっていうのは。自分たちには全部わかってるわけよ。それで芝居しているから、こっちからはコメディ撮ってるんじゃないかなって思うくらい滑稽だったんだけど。でも最初の編集ラッシュから、二回目、三回目、それこそゼロ号やって初号になっていくうちにどんどん変わってきて、全部音が付いた時なんか僕なんか怖いから一人映写室でウワーっとかしちゃって。自分でやっているシーンでさえ(笑)。」
岸部「いやあ、びっくりしたね。迫力というか怖さなのね。脅かすという怖さじゃないところなのね。あんなことができるのかなって。」
沢田「丁寧に作ってあるところの勝利だと思うね。」
岸部「塚本さんっていう人はすごいね。」
沢田「あの人はすごい。それにすごく熱心。塚本さんは、本当は僕がやった役を自分がやればもっとうまく出来るっていうようなことを思いながら演出してるんじゃないかって、そう思うぐらいにこと細かに演出していた。それから『ヒルコ』の主人公は最初はもっと格好いいキャラクターだったんだ。」
岸部「あの学者が?」
沢田「そう。もっとインテリっぽい、クールでニヒルでやるときはやる!みたいなキャラクターだったんだけど、ああいう暗い内容をもう少し、なんていうのかな軽くできるような要素を入れてほしいって頼んだんだ。主人公がもっと一生懸命頑張ってやってるってことで救いになるようにって。あんまり格好良すぎると余計に嘘っぽくなるんじゃないかって思ったから。結構そのあたりを変えてもらったんだ。」
岸部「そうだね。ああいう内容だから、登場する人物はむしろ日常っぽく、結構普通のキャラクターのほうがいいよね。軽いところからスーっと入っていける。あんまりキャラクターが作られすぎていると、観る方も最初から、何かが起こるぞって感じになっちゃうから。『ヒルコ』のすぐ後に『夢二』を観たんだけど二本は好対照の映画だね。小栗(康平)監督が言ってたんだけど、“日本映画はやはりアメリカ映画がお手本で、日本人の観客はアメリカ映画を観るように、ストーリーの展開の面白さだけをつい追いかけてしまうことに慣れてしまっている。でも、日本映画っていうものは、そういうものを追いかけていても違うんじゃないか”って。そういう考えの人なのね。『死の棘』もストーリーがあるとは言いながらも、次の展開のためのシーンというものを全部排除して作りたいと言ってたわけ。『夢二』を観た時に思ったのはストーリーの進み方の面白さで見せているんじゃないんだよね。一つ一つのシーンがすべて独立しているように思った。ひょっとして映画っていうものはそういうものかなと思ったね。それで観る側がそれをどう受け止めるかはまったく自由で、面白いとか、すごいとか、あるいはわからないとかいろんなものが出て来る。やはり鈴木清順さんの映画は清順さん以外には絶対撮れないというところがすごい。
『死の棘』も小栗さんがああいう映画を作りたいって徹底して作ったの。だから、それぞれの監督が絶対撮りたいっていうのをやっていくのがいいんだろうね。」
沢田「全部違うっていうところがいいよね。これはこのタイプとかなってしまうと、つまらないと思うね。やっぱり我がままを通さないと、監督が。」
岸部「どこまで通せるかっていう。」
(今日はここまで、次回に続きます。)
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