Y「私も最初に「灰とダイヤモンド」を聴いて、今度の「架空のオペラ」というLPを買うのが怖かったんだけど、実際に買ってみたら怖くもなんともなかったのね。すごく分かりやすく、抵抗のない、肩にそんなに力の入ってない作り方をしてらしたんで、それもわりと意外だったんですけどね。」
J「やっぱりもう一度、ボーカリストであるということを前面に押し出してみようと・・・。ここ3~4年は、サウンド志向でやっていたから、今度は世間で言う「アダルトっぽく」やってみようか、という感じだったんですね。
タイガースで始めたときは、もちろん向こうのコピーから始めたわけだから、日本語で歌うことにさえ抵抗を感じてた方なんだけれども、日本語で歌うということにもだんだんなれてくると、シャンソンっぽいものも歌ったし、ソロになってからしばらくの間、上手に歌えなかった歌が、今だったら心情的にも素直に歌えるし、そういうこともあって、バラードもいいなって、やりながら思ってたんですよ。」
Y「ミック・ジャガーも同じことを言ってましたね。」
J「ああ、そうですか。」
Y「ミック・ジャガーが、「やっと最近、僕、声が出るようになった。こう歌いたいなと前に思ってたように歌えるようになった」って(笑)。」
J「そうだろうと思いますね、本当に。それも何かのきっかけがないとね。「いやいや、まだまだオレはいくで」と思ってると、気がつかなかったんだろうし。」
Y「今度の李花幻さんて、あれは沢田さんなんですか?」
J「違うんです。(笑)」
Y「違うんですか?巷ではそう言われてますけど。」
J「井上陽水じゃないかというようなウワサも出てたそうですけれども。」
Y「じゃあ、李花幻さんという人は実際に存在してて、あなたではない。」
J「僕ではないです。」
Y「じゃ、今度のアルバムの中で、あなたは詞を書いてらっしゃらないし、曲も書いてらっしゃらない?」
J「そうです。」
Y「これから先「沢田研二」にしか歌えない世界というのを、まだ作っていけるんじゃないかという気がするんですけど。」
J「それが何かというのは、まだ分からないけど。あんまり世間の目を気にしてると、やっぱり角もとれちゃうし、丸くなって。大きくなればいいけど、どうしても小っちゃくなりそうだから。」
湯川さんは、昔からものをはっきり言うタイプの方だと記憶していますが、ファンの代弁者として、聞きにくいこともズバッと聞いてくれて小気味良いですね(笑)
ちなみに私は世間のうわさどうり、李花幻は裕子さんだと思っていますが(笑)
J「やっぱりもう一度、ボーカリストであるということを前面に押し出してみようと・・・。ここ3~4年は、サウンド志向でやっていたから、今度は世間で言う「アダルトっぽく」やってみようか、という感じだったんですね。
タイガースで始めたときは、もちろん向こうのコピーから始めたわけだから、日本語で歌うことにさえ抵抗を感じてた方なんだけれども、日本語で歌うということにもだんだんなれてくると、シャンソンっぽいものも歌ったし、ソロになってからしばらくの間、上手に歌えなかった歌が、今だったら心情的にも素直に歌えるし、そういうこともあって、バラードもいいなって、やりながら思ってたんですよ。」
Y「ミック・ジャガーも同じことを言ってましたね。」
J「ああ、そうですか。」
Y「ミック・ジャガーが、「やっと最近、僕、声が出るようになった。こう歌いたいなと前に思ってたように歌えるようになった」って(笑)。」
J「そうだろうと思いますね、本当に。それも何かのきっかけがないとね。「いやいや、まだまだオレはいくで」と思ってると、気がつかなかったんだろうし。」
Y「今度の李花幻さんて、あれは沢田さんなんですか?」
J「違うんです。(笑)」
Y「違うんですか?巷ではそう言われてますけど。」
J「井上陽水じゃないかというようなウワサも出てたそうですけれども。」
Y「じゃあ、李花幻さんという人は実際に存在してて、あなたではない。」
J「僕ではないです。」
Y「じゃ、今度のアルバムの中で、あなたは詞を書いてらっしゃらないし、曲も書いてらっしゃらない?」
J「そうです。」
Y「これから先「沢田研二」にしか歌えない世界というのを、まだ作っていけるんじゃないかという気がするんですけど。」
J「それが何かというのは、まだ分からないけど。あんまり世間の目を気にしてると、やっぱり角もとれちゃうし、丸くなって。大きくなればいいけど、どうしても小っちゃくなりそうだから。」
湯川さんは、昔からものをはっきり言うタイプの方だと記憶していますが、ファンの代弁者として、聞きにくいこともズバッと聞いてくれて小気味良いですね(笑)
ちなみに私は世間のうわさどうり、李花幻は裕子さんだと思っていますが(笑)
SONGS part1で
「灰とダイヤモンド」のジャケットが出て
ナレーションの松平さんが
「1985年 自ら作詞作曲した『灰とダイヤモンド』を発表しました。
この年 デビュー以来所属していた事務所から独立し
自らの力で 独自の音楽活動を展開していきます。」
あまりにサラリとだったので、ちょっとびっくりしました。
そうそう私も聞きました。ちょっとびっくりしましたね^^。
あの頃のジュリー、そして今のジュリーの心境の変化というか。
裕子さんとジュリーが共同で作詞したと当時から思っていたのですが、あまりにもジュリーが否定するのでねぇ。^0^
この件に関しては、昨年某サイトで論争があった時に確実な情報をと思い、ある方を通じて大野克夫さんに確認していただきました。
お答えは「李花幻=ジュリー」でした。
何故別名を使ったのかは推測するしかないのですが、別に李幻という名前が存在していて、それは色々な理由から、おそらく大輪茂男さんの別名だと思っています。
そうだとすると、共作ということではないにしても、大輪さんとの何らかの共同作業だったという意識がジュリーの中にあったのかもしれません(たとえばタイトルとか歌詞の一部に何らかの影響を与えたとか…)。
そう考えると、作詞作曲:沢田研二としなかった理由もなんとなく納得できるのですが、あくまでも推測の域を出ません。
いらっしゃいませ^^。
なるほどね~。複雑な事があるんだとは想像してましたが、今になってやっぱりそうなのよ、とサラーと言ってしまえるジュリーが頼もしいです。
又、教えてくださいね