VOL2 わ・た・し流

おとぼけな私ですが 好きな本のことや 日常のなにげない事等 また 日々感じたことも書いていきます。

終戦記念日ー父の話

2011-08-15 11:33:50 | 日記
最近 TVで 犬を 戦争中に供出した実話がドラマになった


 もう とても 悲惨で 見ることもできないけど


うちの父は  馬を ビルマ(現ミャンマー)に供給するための


 お世話係りとして 海を渡り


メコン河をさかのぼって カンボジア タイを経由し


 ミャンマーのマンダレーというところまで 行った


昭和19年の事である


 当時建設中だった 「タイメン鉄道」にも トロッコで途中まで乗った


タイメン鉄道の建設には 象が活躍していたという


 象は 大変に頭が良く 枕木のうえに レールを置いていくのだが


そのままボルト締めができるほど 正確に置く事が出来たという


 まかりまちがって 象の見ている前で レールの位置を直そうものなら


へそをまげてしまい  てこでも動かなくて 困ったという事だった


 あの 史上最悪の作戦といわれた 「インパール作戦」にも


馬をインド国境まで連れていくという任務で 参加している


 任務は 散々な結果となり 連れて行った馬も 人も


ともに栄養失調 マラリア コレラ等の病気で 次々に死んだ


 残った馬は 毒草をむりやり食べさせ 始末した


父は 知恵を絞り 工夫で窮地を切りぬけて マンダレーに帰還したが


 瀕死の状態で、 今生きているのが不思議なくらいだと言っていた


たくさんの人が 食糧の補給をたたれ、 武器も無く


 野垂れ死にともいえる状態で 亡くなっていった


父は幸い 戦闘要員ではなかったので 九死に一生を得た


しかし、 戦況は 悪化の一途をたどり


敗走が始まる  これも命がけだった


 アウンサン将軍が率いるビルマ独立義勇軍が あちこちにひそみ


英国軍の爆撃も激しさを増して いつたどり着くあてもない


 とりあえず目指した ラングーン(今は ヤンゴン・・?)


食べ物も 宿もない  今の私たちには 想像もできない


 基地を目指しても  すでに玉砕しているかもしれない


街道を行く事は 危険過ぎて 結局 ジャングルの中を逃げまどった


 常に 死と 隣り合わせだった 敗走は 5~6か月に及んだ


結局捕虜となって生きのび  昭和21年の夏に 日本へ帰ったが


 日本のあまりの荒廃ぶりに 「この戦争は 何だったのか」


と 暗澹たる思いが  いつまでも去らなかったという


 私は 悲しすぎて 戦争のドラマを見ることが なかなかできないが


この悲惨さ、大震災の何百倍ともいえる・・・


 多くの人が 兵隊として 若き命を散らし


理不尽に 暴力をふるわれ のどかな生活をうばわれ


 家を、家族を失った。


仕事も 当然 なかった。


 恋人を、息子を、夫を、父を 


貴重なものすべてを 持っていかれた


 本土に残った人も たくさん 焼夷弾や 原爆の犠牲になった。


あの 戦争を 忘れてはならない


 過去に遭った歴史の悲惨は


津波も 飢饉も 疫病も


 やはり 語り伝えることは 必要なのではないかと


私は 思う。


 国を動かした人だけではなくて


その時 庶民が あじわわなければならなかった


 様々を  ぜひ 授業に入れるべきだ・・・と