タイトルは今回書きたいこととちょっとずれてると思うんだけど、
昔から(?)少人数で頑張っているものが好きで・・・。
音楽も自分たちで曲を作ってコンセプトを決めて、スタッフなんかも
少人数で行っているようなアーティストの方が好きになりやすい。
これが例えば大きな企業が出費してオーディションして人を集めて、
楽曲も色んな人が提供して、コンセプトもプロに任せて、衣装も
他が決めて、歌や演奏も専属のトレーナーがついてトレーニング
してもらってダンスも最先端の物を取り入れて・・・みたいな
感じだと、”本人たちはどこに?”みたいになってどうもしらける。
大型スーパーはそりゃ便利ですよ。
でも小売店がたくさんある商店街の方がワクワクすると言うか。
気に入らなければ行かなければいいだけだし。
色んな世界でとにかく合併が多くなっているでしょう?
企業もそうだし銀行とかアミューズメントパークとか、なんでも
かんでも合体して大きくして色んな意見を取り入れてどんどん
良くして行って、確かにクライアント側からしてみたら便利なのかも
知れないけど少し寂しいと言うか人間味が全く見えないと言うか・・・。
色んな世界で一人では全く太刀打ちできないような世界になって
行っているような気がしてどうも腑に落ちないと言うか・・・。
それが得意な人もいて、人を集めて大きくしてどんどん成功する
人も多いからそういう人には実にやりがいがある世界かも知れない
けどね。
もちろん今に始まったことでもなく昔からそうやって世界は発展して
来ているんだろうけどどんどん個人では難しい環境になっているような
気もする。
いや、ユーチューバーなんかは個人でも出来ているのか。
一人でいい曲書いてヒットを飛ばせばいいってのもあるけどね(笑)。
なんとかザイルとかなんとか48とか大人数のグループが多いでしょう。
どうも魅力を感じなくて。やっぱりグループは5人以下でしょう(笑)。
パフュームも好きだしきゃりーぱみゅぱみゅもいいけど、あれを
自分たちだけであそこまでやったなら凄いってなるけど、後ろに
プロフェッショナルがたくさんいるわけだしね。その上での本人たちの
努力と才能で人気が出たんだけど手放しでは喜べないみたいな。
例えば最近のアニメとその音楽、グッズやコンサートの規模の大きさ、
携わっている人たちの多さに眩暈がする。
悪口を言う気はないけど、その関係者の多さにしらけてしまうのだ。
全体像はぼんやり見えるけど主人公が見えない。
昔、エアロスミスのアルバム、(アルマゲドンとかジェイデッド
あたりのアルバムかな?)が大ヒットした時にモトリーのニッキー・
シックスが「外部のライターをたくさん入れていいアルバムになっている
けど、出来ればバンドメンバーだけで一所懸命作ったアルバムが聴きたい」
って言っていた気がするんだけど、自分もチープトリックの外部の
ライターを入れて作った豪華なアルバムより本人たちだけで作った曲を
聴きたいと思うよね。
KISSもあのメイクや楽曲、ライブパフォーマンスは4人で考えて
決めて行ったわけで、そりゃ凄いってなるなあと。
良ければ何でもいいじゃんって考えも否定しないけどさ。
ちょっといびつだけど”その人本人”の色が出てる作品やその人を
感じられるものが好きかなあ。
クレヨンしんちゃんでね、国民的アニメだからもう作者は亡くなっても
どんどん続いているし面白いけど、本人が描いているときの作品、
雑誌に載っていた時の作品がとても好きで、やっぱり本人の手から離れた
物は似ているけど匂いやテイストが違うんだよね。
良く出来ているけど、やっぱり底辺に流れている”人間愛”が違う・・・と
勝手に思っている。凄くさりげないんだけど色んな些細な部分に
”愛”が宿っているんだよ、あの人の作品。泣きそうになるのよ(笑)。