前のブログに、ファンになってもらうのに、結局のところ”その人物を好きになってもらえれば
それでOKで、どんな理由であれ気に入ってもらえばそれでいい”、と書いた。
また、アーティスト自体より、楽曲が素晴らしくて先に曲が売れて、アーティストは
影が薄いと言うちょっと変わった場合もあるにはある。
で、今回は以前からちょっと不思議に思っていたことを書こうかなと思う。
以前書いたように、かわいいとかかっこいいとか、曲がいいとか、演奏が素晴らしいとか、
歌がうまいとか、独創性があるとか、キワモノとか(笑)・・・ま、要は人と違った魅力があり
人気が出るのはわかるんだけど、どうも腑に落ちないケースのときもある。
日本特有なのかなとも思うんだけど、簡単に言うと”がんばっているからファンになる”
と言うのがある。もちろん”がんばっている”と言うのも一つの要素で、大いに好感度UPに
使っていいと思う。使いたければ。
よく聞くのが、”彼女たちはいつも全力で歌って踊っているから応援する”と言った類のもの。
ま、気持ちはわかるしそんなに変とも思わないけど、一所懸命がんばっているけれども
それほどうまくもない歌や演奏のアーティストのファンになる・・・と言うのは日本特有の
気がする。
発展途上の拙い技量のアーティストを応援しファンになりCDを買い、コンサートに行くと
言う行為はなかなかに日本特有の気がする。エンターテイメントの国、アメリカなんかでは
あまりない気がする。どんな子役や女性でもプロと名乗る以上、かなりのレベルに達して
いる人しか人々の目には上がって来ない気がする。白人コンプレックス丸出しだけども(笑)。
それと、もう一つ、”これだけ苦労しました。これだけ努力しました。これだけ正式なレッスンを
受けました”などと言うのも日本だと立派な宣伝材料になる気がするけど、自分はそれを
宣伝材料にしたり、またそれを信用の材料にするのはあまり好まない。
どれだけ努力しようとレッスンを受けようと、結局は結果がすべてと思っている。
こう言っては元も子もないんだけど、どれだけレッスンを積もうが努力しようが、生まれながらに
なんの努力もせずにその人よりうまく歌えてしまう人もいる。
もちろん努力をしない方がいいとかレッスンを受けるなと言っているのではなく、正式な
レッスンや、正しい練習方法は上達する一番の近道なので、チャンスがあれば大いに
受けた方がいい。
ただ、それを声高に叫ぶのはどうかな?と思うだけ。
よく”私は腹式呼吸がきちんとできます”とか”何々のレッスンを受けた”・・・とか言う人も
多いけど、まあ、参考にはなるけど、結局は、聞いてみて、”グっと来るか来ないか”って
だけだと思うんだよね。なんというか”生い立ち”は関係ないって言うか(笑)。
でも日本人はやさしいからね。そういうのも人気の出る要因にはなる。
ただ、それが見えちゃうのも興ざめする場合もあるなあと思うんだけどね。
変な例えで申し訳ないんだけど、また、彼女らをけなしているわけでは決してないんだけど、
昔、セイントフォーと言う4人組のアイドルグループがいて、彼女たちはステージで
バク天したりちょっとアクロバティックなことをするのも売りになっていたんだけど、それが、
ちょっと悲壮感が漂っているのよ(苦笑)。つまりそういったことが凄くうまいわけでも
なかったので、見てる方は失敗しないかハラハラしちゃうわけ。いやファン全員がそう
言う目で見ているわけじゃなかっただろうけど、そういう”一所懸命努力してギリギリの
ステージをやってます”、それをファンが”見守っています”と言う側面もあるなあと
思って当時は見ていたんだけど、それってコンサートに行くのが楽しいのか?って
思っていたんだけどね。
また、これまた例えが適切かどうかわからないけど、華原朋美が復活する際に、”これだけ
歌のレッスンをしましたアピール”をTV曲が仕掛けていて、それを見た人が”レッスンを
受けたから歌がうまくなった、こんなにがんばっているから朋ちゃんを応援しよう”空気が
あったけど(笑)、まあ、好感度は上がるし知名度も上がるからいいとは思うけど、歌手と
しては別段必要がない部分だろうなあって思う。
プロである以上、評価すべきはそこじゃない気もするけど、その部分も立派に宣伝材料に
なることも確かにあるんだよね。また”歌がうまくなった”って部分も”レッスンを受けたから”と
言う事実によってのプラシーボ効果も多分にあるのではないかとも思うんだけど、まあ、
なんというか、”正式なレッスンを受けました”ってそれだけで信用に値する事柄になりうる
んだなあって思った。
別に彼女を攻撃しているわけでもなんでもないんだけど。
まったくの個人的意見になってしまうけど、”これだけ努力しています””これだけ勉強しました”
”これだけ練習しました”と言うのは、別段、声高にファンには言う必要がないと言うか、
出来れば聞きたくないと言うのが本音である。自分はね。
なんか聞いちゃうとさ、堅苦しくなると言うか、悲壮感が漂うと言うか、肩がこると言うか、
面倒と言うか、こっちも正座して聞かなきゃいけなくなると言うか、義務感みたいのも
感じると言うか・・・なんかこう、気軽に楽しめなくなる感と、”これだけ努力しているんだから
あなたも努力しなければ気軽に聞いてはいけません”と言われているような気がして(笑)。
被害妄想か(笑)。
昨今のメタルミュージックも”尋常じゃないがんばり感”が前面に出ている作品が多いような
気がして、自分はそこはあんまり評価していないと言うか、自分が一番評価していると言うか
聞きたいのは、”どんなに簡単なコード進行でも心にグっと来る楽曲”であって、どんなに高い
声が出る、とか、速いギターソロがあるとか、複雑な展開や変拍子があるとか、長いとか
その辺はどうでもいい。先にそっちを売りにしている楽曲は疲れちゃうんで、あまり聞く気に
なれない。若いころはその辺にも重点を置いていた部分も確かにあったけどね。
結局そういう作品はそのときだけしか聞かないんだ。もちろんそのより前に楽曲が良いって
場合は別だけど。
”これだけ複雑な展開にして、ボーカルも大変な歌メロで、コーラスも何重も重ねていて、
ソロも人間離れしている楽曲だから凄いだろう?偉いだろう?”ってのは大いなる勘違い
だよね(笑)。でもやはりありがたがる傾向ってのはあるよね、どうしてもね。
でもその前に”楽曲ありき”だと思うんだ。”ボヘミアン・ラプソディ”はあんなに複雑で、
展開は多いわ、歌うのは至難の業、コーラスは尋常じゃないし、長いわで、文面にすると
面倒な曲そうに思えるけど、結局のところ、あれだけ”楽曲の良さ””メロディの良さ”が
前面に出ている曲だから素晴らしいしヒットしたんだよね。”ドント・ルック・バック””モア・ザン・
フィーリング”でトムショルツがどんなにギターを重ねて素晴らしいサウンドにしていようと、
楽曲そのものの素晴らしさがなければ決して多くの人々の心は打たないだろうなと思う。
話は戻って、練習とか努力の話になるけど・・・
手前味噌になるけど、また、プロでもなんでもないけど、自分はその辺はまったく言わないと
言うか、逆に一所懸命隠している(笑)。本当はこっそり練習しているし、いろんな意味で
凄いと言われるように研究しているし、どうすれば一番有利に歌と演奏が出来るか・・・なども
人一倍考えているんだけど、”な~んにもしてません”って言う対でステージに上がる・・・と(笑)。
それで”あの人すげーな”って思われたいだけなんだけどさ(笑)。言っちゃったけど。
それが自分の美学かなって思っているだけなんで、それはもしこれを読んでいるアーティスト
さんがいて、その部分を自分はどうしたいか、一度考えてみるといいかもしれない。
その部分を押し出していくのも、日本においてはプラスになる可能性も高いよね。
だから言った方がお得!って思えば、どんどん利用した方がいいと思うよ。
その人のイメージ次第で変わると思うからね。
もちろん勘違いしないで欲しいのは、努力をするなって言っているわけではなくて、練習、
努力は、人前で歌って演奏する人間はして当たり前で、自分だって相当練習、研究など
したけど、それをファンに言う方がベターか否か、ってことを論じているだけ。
ヘタッピなままは論外ですよ。少しでも上達していけるように努力はしないとダメでしょうけどね。
まあ、さすがに楽器の練習などをしないでも人より秀でている人はちょっといないだろうし、
例外としてはボーカルだろうね。これはなんの努力もせず、生まれつきうまい人は確実に
存在する。ただし、その人にステージに上がって人を惹きつけるオーラがあるかどうかは
また別の問題で、それも兼ね備えている人もいれば、歌はうまいけどつまらないとか素人
くさいよねって言われる人もいる。それはまた努力したり研究して身に着けて行く他ないと思う。