もう何度も同じことを記してきたが、今年も1月6日。
朝一でMiss Flower さんから電話。「Yさんからお花のご依頼が・・・」ということで
今年も見事なお花が届いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/86/5693566bf31e95818d92e1b9c7c204c6.jpg)
今年は寂しいお正月だった(いつも楽しい正月ではないのだが)ので何だか心が華やぐ。
啄木の「友がみな我よりえらく見ゆる日は花を買いきて妻と親しむ」なんて朗詠している。
啄木は「妻と親しむ」であったが、さしずめ私は「花と語らう」というところだろうか。
静まり返った広い家にたったひとりの私とお花だけである。ふと中野鈴子の詩「花も私を知らない」を思い出した。
とても寂しくて哀しい詩である。その終わりの方だけ記してみよう。
花は咲いている
花もわたしを知らない
誰もわたしを知らない
わたしは死ななければならない
誰もわたしを知らない
花も知らないと思いながら
花もわたしを知らない
誰もわたしを知らない
わたしは死ななければならない
誰もわたしを知らない
花も知らないと思いながら
「花もわたしを知らない 中野鈴子詩集」創造社、1955年9月。
鈴子は作家・詩人・政治家でもあった中野重治の妹である。私の住む福井県坂井市
丸岡町出身である。生家跡までは車で10分ほどである。
プロレタリア詩人として活動したが1958年1月5日51歳で亡くなっている。
私の亡き母は「鈴子さんはちょっと不幸な方だったけど素敵な女性だった」と言っていた。
生家跡には鈴子の碑があり「花もわたしを知らない」と刻まれている。重治の忌日の
8月24日には「くちなし忌」が開催され、全国から中野文学ファンが集う。
暖かくなったら生家跡を訪ねてみようなんて思っているyo-サン。今宵これにて。