先般「啄木慕情」と題して、ちょっぴりupしたが、少しまとめて同人誌へ出稿した。やや長いので2回に分けてみる。写真は適当なものがあれば今後挿入するかも知れない。各位のご批評、ご教示を頂ければ幸甚である。
啄木のふるさとを訪ねて
【啄木講座から】
平成二十四年の秋に、NPO法人カウンセリング研究会とユー・アイふくい(福井県生活学習館)共催にて、石川啄木没後百年記念公開講座「啄木の歌と人生」を開催した。当初は一回のみの予定であったが、好評で「パート2」もやり、研究会以外でも短歌会や読書サークル等から招かれることもあり回を重ねてきた。
講座の主題は「啄木の歌と人生」であるが、啄木について私の思いつくまま気ままに話し、短歌の実作や出席者同士のお喋りをも楽しむという感じである。言わば私の専門領域であるカウンセリングのワークショップスタイルである。
元より私は啄木研究の専門家ではなく歌人でもない。カウンセリング研究会やその講義・講演などで、「文学にふれずしてカウンセリングを語るなかれ」と言ってきた。そして、啄木や鉄幹・晶子等の話をした。それで、「一度、啄木講座を」と言われたのが始まりであった。
2回目からは講座の副題を付けている。それは「啄木の交友」であったり、「啄木を巡る女性たち」等である。そのようなことも出席者の興味を誘ったようである。
今年の副題は「啄木のふるさと」と決めた。啄木の歌の中に、ふるさとを詠んだものが幾つもあり、いずれも心に響くものばかりである。昨年、ある読書サークルに招かれた時、出席者の方から「啄木の短歌に見られる故郷への思いの強さは何処から来るのでしょうか」との質問があった。
その時私は、誰しも生まれ育ったところ・ふるさとは懐かしく、正に「故郷忘じ難し」である。けれども啄木は「石をもて追われるごとく」ふるさとを離れている。更には異郷で病を得て二十七歳と言う若さで世を去った。だから人一倍ふるさとを思うのだろうなどと答えた。
【渋民へ】
かにかくに渋民村は恋しかり
おもひでの山
おもひでの川
しかし、私自身、啄木に親しんで半世紀を超えるが、未だ啄木のふるさとを訪ねたことはなかった。何事も自分で足を運び、自らの目で見なければと思い、六月の末に啄木のふるさとであり、啄木作品の原点とも言うべき渋民(盛岡市)へ行ってきた。
何分、日々あれこれと慌ただしく暮らしているので、なかなか日程が組めなかったが、小松~仙台は空路、仙台~盛岡は新幹線利用で何とか三日間を捻出した。と言っても初日は小松空港を夕方のフライトで、この日は盛岡泊。朝一で予約していたレンタカーを駆って一路渋民へと向かった。
以下、思いつくままに啄木の「ふるさと」を詠んだ歌などを口遊みながら、講座の雰囲気のような感じで記してみたい。
【ふるさとの山とは、川とは】
ふるさとの山に向かひて言ふことなし
ふるさとの
山はありがたきかな
汽車の窓
はるかに北にふるさとの山見え来れば
襟を正すも
啄木のふるさとの山と言えば、一般的には岩手山のように言われているが、私は岩手山と同様に姫神山も彼の忘れがたき「ふるさと」の山だと思う。
国道4号を北上すると西に岩手山、東に姫神山が美しいシルエットを見せる。岩手山は岩手県のシンボルでもあり、富士山に似ていることから「南部片富士」とも呼ばれている。
岩手山と姫神山を見比べると、岩手山は大きく男性的であるのに対して、姫神山は岩手山よりも小さく女性的に見える。古来、姫とは小さいとか、可愛いという意味もあるので頷ける。こちらの伝説と言うか民話と言おうか、岩手山を夫に、姫神山を妻に見立てたものがある。二山が北上川を挟んで向かい合うのも見事だ。
姫神山の裾野は長く緩やかに渋民へと引いている。渋民は姫神山麓の村なのである。
啄木の歌に「岩手山」については
岩手山
秋はふもとの三方の
野に満つる虫を何と聴くらむ
神無月
岩手の山の初雪の
眉に迫りし朝を思ひぬ
などがあるが、姫神山を詠ったものは見当たらないので、「ふるさとの山」は岩手山となったのかも知れない。
啄木にとって姫神山は渋民そのもので、「山」と言えばそれでよかったのだろう。
<つづく>
今回の渋民行きに当たり、事前に盛岡商工会議所玉山支所さんより、啄木歌碑等の資料をお送り頂いた。
心より感謝している。
啄木のふるさとを訪ねて
【啄木講座から】
平成二十四年の秋に、NPO法人カウンセリング研究会とユー・アイふくい(福井県生活学習館)共催にて、石川啄木没後百年記念公開講座「啄木の歌と人生」を開催した。当初は一回のみの予定であったが、好評で「パート2」もやり、研究会以外でも短歌会や読書サークル等から招かれることもあり回を重ねてきた。
講座の主題は「啄木の歌と人生」であるが、啄木について私の思いつくまま気ままに話し、短歌の実作や出席者同士のお喋りをも楽しむという感じである。言わば私の専門領域であるカウンセリングのワークショップスタイルである。
元より私は啄木研究の専門家ではなく歌人でもない。カウンセリング研究会やその講義・講演などで、「文学にふれずしてカウンセリングを語るなかれ」と言ってきた。そして、啄木や鉄幹・晶子等の話をした。それで、「一度、啄木講座を」と言われたのが始まりであった。
2回目からは講座の副題を付けている。それは「啄木の交友」であったり、「啄木を巡る女性たち」等である。そのようなことも出席者の興味を誘ったようである。
今年の副題は「啄木のふるさと」と決めた。啄木の歌の中に、ふるさとを詠んだものが幾つもあり、いずれも心に響くものばかりである。昨年、ある読書サークルに招かれた時、出席者の方から「啄木の短歌に見られる故郷への思いの強さは何処から来るのでしょうか」との質問があった。
その時私は、誰しも生まれ育ったところ・ふるさとは懐かしく、正に「故郷忘じ難し」である。けれども啄木は「石をもて追われるごとく」ふるさとを離れている。更には異郷で病を得て二十七歳と言う若さで世を去った。だから人一倍ふるさとを思うのだろうなどと答えた。
【渋民へ】
かにかくに渋民村は恋しかり
おもひでの山
おもひでの川
しかし、私自身、啄木に親しんで半世紀を超えるが、未だ啄木のふるさとを訪ねたことはなかった。何事も自分で足を運び、自らの目で見なければと思い、六月の末に啄木のふるさとであり、啄木作品の原点とも言うべき渋民(盛岡市)へ行ってきた。
何分、日々あれこれと慌ただしく暮らしているので、なかなか日程が組めなかったが、小松~仙台は空路、仙台~盛岡は新幹線利用で何とか三日間を捻出した。と言っても初日は小松空港を夕方のフライトで、この日は盛岡泊。朝一で予約していたレンタカーを駆って一路渋民へと向かった。
以下、思いつくままに啄木の「ふるさと」を詠んだ歌などを口遊みながら、講座の雰囲気のような感じで記してみたい。
【ふるさとの山とは、川とは】
ふるさとの山に向かひて言ふことなし
ふるさとの
山はありがたきかな
汽車の窓
はるかに北にふるさとの山見え来れば
襟を正すも
啄木のふるさとの山と言えば、一般的には岩手山のように言われているが、私は岩手山と同様に姫神山も彼の忘れがたき「ふるさと」の山だと思う。
国道4号を北上すると西に岩手山、東に姫神山が美しいシルエットを見せる。岩手山は岩手県のシンボルでもあり、富士山に似ていることから「南部片富士」とも呼ばれている。
岩手山と姫神山を見比べると、岩手山は大きく男性的であるのに対して、姫神山は岩手山よりも小さく女性的に見える。古来、姫とは小さいとか、可愛いという意味もあるので頷ける。こちらの伝説と言うか民話と言おうか、岩手山を夫に、姫神山を妻に見立てたものがある。二山が北上川を挟んで向かい合うのも見事だ。
姫神山の裾野は長く緩やかに渋民へと引いている。渋民は姫神山麓の村なのである。
啄木の歌に「岩手山」については
岩手山
秋はふもとの三方の
野に満つる虫を何と聴くらむ
神無月
岩手の山の初雪の
眉に迫りし朝を思ひぬ
などがあるが、姫神山を詠ったものは見当たらないので、「ふるさとの山」は岩手山となったのかも知れない。
啄木にとって姫神山は渋民そのもので、「山」と言えばそれでよかったのだろう。
<つづく>
今回の渋民行きに当たり、事前に盛岡商工会議所玉山支所さんより、啄木歌碑等の資料をお送り頂いた。
心より感謝している。