どのような展開になるかしら?と思っていた今度の読書会だが、結構楽しく過ごさせて頂いた。何しろ、拙著を読んで、更にその読書感想文をも味わうという不思議の国のアリスじゃない、不思議な雰囲気の私。
皆さん素敵だ。文学少女あり、保育士さんあり、中学校の先生あり・・・、才媛揃い。本当によく読みこんでおられる。著者の私自身が「なるほど、そのような受け止め方ってスゴイ!」と思ったことも。
また、サブテーマの、この感想文を書かれた方は、私の講座に参加されたこともあるのだが、元々カウンセリングマインド豊かな方でもある。私は皆さんのお話を聴かせて頂くという感じだが、恰も一人の会員のような気分だった。1時間があっという間であった。
水上勉さんや、津川節子さんと並んで、yo-サンの著書を読後感に。有難いことであった。
彼女は見事に「その骨子」を書いてくれている。拙著を読み、更にこの感想文を読むと、ストンと胸に落ちること請け合いである。ほんの一部でゴメンナサイ。全て書いてしまうのはいけない。ネタバレと言うもの。(w)
ちょっと案じたものの、無事終了。その後、控室で頂戴したロールケーキもオーレも格別だった。世話人さんから、「この秋には『歎異抄を読む』というテーマを予定していますので、ぜひお願いします。」とのお言葉。秋まで元気でいれるかしら、なんて。明日ありと思う心の・・・しみじみと想ふこの頃のyo-サン。
どうもありがとうございました。
とても楽しく、素敵なひと時を過ごすことが出来ま
した。先生がお帰りの後も「よかったわね」と皆さん
余韻に浸っておりました。
一緒にきた娘も、先生に文学少女と言って頂き、
「米沢先生のような教師になりたい」と言っておりま
した。秋にはまたお目にかかれますことを、とても楽
しみにいたしております。
お忙しい先生、どうぞご自愛なさって下さいませ。
愚者の私 辿りつけました
ずっと長くいいお仕事を続けてこられたのですね 敬服いたします
作家と言っていいほど簡潔で美しい文章を書かれる人と・・・・・
そんな素敵なかたに巡り会えましたこと
嬉しく思います
ご参加の皆さま満足なさったいい会であったと想像できます
秋には嘆異抄をよむ会ですか
私も若い頃少し
すっかり忘れてしまっています
・・・・?
娑婆の縁つきて力なくして終わる時
かの土へは参るべきなり
いそぎ参りたきこころなきものを
いと哀れみたもうなり・・・・・
こんなところあったかしら
私も先ず本を探してみます
ありがとうございます
こちらこそ、とても楽しく過ごさせて頂きました。カウンセリング研究会とは、また
一味違う雰囲気で、私もつい、居心地よく、お仲間気分で失礼致しました。
皆様本当に素晴らしい方々ですね。今の時代「本を読む」人が少なくなりましたが、
読書は心の糧ですね。亀井勝一郎さんは 「読書とは著者の魂との邂逅である」と
言われましたが、私も皆さまとの出逢いは、正に邂逅と存じ感謝致しております。
お嬢様にもどうぞよろしくお伝えください。失礼致しました。
そのようにお褒めに与かりますと、木に登ってしまいますよ。
親鸞聖人最晩年のお消息(手紙)の中の一文に、
【故法然聖人は、「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」と候いしことを、たしかに
うけたまわり候いし】とあります。「愚者になる」ということの大切さを師の法然上人
からお聞きになられたことを、関東の門弟達に心を込めて伝えておられます。愚者
とは、知識や教養の有無とか、賢愚という比較ではなく、人間であるが故の愚かさ
とでも申しましょうか。
(ゴメンナサイ、つい法話調に・・・。また別の機会にお話しさせて頂きます。)
自らを愚者と言はれる君こそは まことの賢者にお在しますなり
(即興詩人yo-サン拙詠)
失礼致しました。今宵はこれにて
悩みを抱えて思い余った時、中立の立場からアドバイスしてもらいたい、いえ、話を聞いて欲しいと思うことが何度かありました。
でもなかなかそういう場には巡り合えません。
あなた様の活動、まだ全部拝見していませんが、近くにあればぜひ伺うのにと残念です。
ところで御著書の「あのの・・・」は呼びかけの言葉でしょうか。私の実家、高松でもあののと込み入った話始めるときに使います。
最近読んだ本の印象から、京都からの距離が同じくらいで同じ言い方するのかと愚考しました。
また時々お邪魔させてくださいませ。
お言葉仰る通りです。カウンセラーはニュートラルでなければと思ってフリーで40年。
所属(学校であれその他の機関であれ)があればその所属の目的に適った方向へと
導いてしまいます。意識するしないは別にして。その辺り、皆さん何とか折り合いをつけ
てはいるのでしょうが。肝要は傾聴に始まり傾聴に終わります。来談者の方の自己決
定に至るまでのお付合いなんですね。伴走者です。
「あのの」は、こちらでは、お話の呼びかけの言葉です。「あのね」と同じかと。
何かしら親しみを覚える言葉です。命名者は初代・理事長さんでした。
「あのの・・・と話してみませんか」と言うところからのスタートでした。私は本来常任講師
でしたが、成り行き上、理事長をしています。(NPO法人カウンセリング研究会あのの)
今後ともご交信・ご交流をよろしくお願い致します。どうも有難うございました。
もともと、そういう方たちが集われる会だったのだな~と納得しました。
先生の見識や人柄に引かれてみなさん集っておいでと言うことを感じました。
何となく近寄りがたいかと思って読ませていただいてましたが、これからも自分なりに分かるようについて行きたいと存じます。よろしくお願いします。
読書会は、その時に選んだ書物により、ある意味雰囲気が変わってきますね。
面白い小説などだったら、笑がたくさん出るのではと存じます。この日は、やや
勉強会(私の研究会などの影響かも)的な感じでした。なので、レベルが高いように
感じられたのでは存じます。
私は意外とザックバラン、沖縄辺りの言葉ですと「てえげえ」なところで生きています。
ブログでは少し「」(カッコ)つけてるのかも。(w)こちらこそ、どうぞよろしゅうに。