啄木の歌と生活
やわらかに柳あおめる
北上の岸辺目に見ゆ
泣けとごとくに
浪漫詩人啄木のふるさとをうたった歌を含めた歌集“一握の砂”は、多くの青年の共感を呼び、長く愛唱されてきた。
十九歳にして辺地渋民を去ってすでに東京にあり、詩人をもって任じた啄木は、天才的な叡智と勇気の持ち主であった。詩作に没頭するこの頃の啄木には、生活に対する考えの及ぶところはもとよりなかった。処女詩集“あこがれ”をものすると、啄木はあっけなくふるさとの土を踏んでいる。
かにかくに渋民村は恋しかり
おもいでの山
おもいでの川
真の教育家としての理想に燃え、少年をかけがえのない友としての渋民のこの時代は、華やかさを求めた東京時代からみると早くも一つの転機に立ったようであったが、それは間もなく崩れていった。すでに生活に脅かされつつはあったが、更に希望に胸膨らませた若い啄木は必ずしも単なる夢想家ではなかったし、将来に大きな期待を持ったのも当然であった。しかしながら、次第に啄木の家庭は啄木の負担になり、生活の脅威が暗く陰ってきて、啄木はまたしても新しい転機を試みようとした。
石をもて追わるるごとく
ふるさとをい出しかなしみ
消ゆるときなし
それは洗うような赤貧に喘いでのことであったが、ふるさとは石をもて啄木を追おうとはしていなかったはずである 。自らは日本一をもって任じた誇りの代用教員の職を去り、一家離散の憂き目も敢えてして、かくも愛した静かな風光のふるさとを捨てるにあたり、悲愴感に満ちあふれている。
啄木が辿る厳しい運命の道がはしなくもこんなところから始まっている。
さいはての駅に下り立ち
雪あかり
さびしき町にあゆみ入りにき
海も凍り冷雪の舞う北海の涯に、それは自ら求めた流離の旅であり彷徨ではあったが、捨て切れない文学への情熱と安定した生活への現実は、啄木としては両立し得べくもなかった。
頬の寒き
流離の旅の人として
路問ふほどのこと云ひしのみ
いささかの貯えも持たず北海の寒い正月を迎えるなどして、すさみ切った啄木には一家の集結という希望はもはや心の片隅にもなかったようである。これで啄木が生活のために懸命なる努力をつづけたとは考えにくいことであり、こうして第二のふるさとを石をもて追わるるごとく去り、一生の死活の鍵をまたしても東京に求めていったのである。すなわち、文学に生きようとしたのである。したがって、生活に対する啄木の観念は、完全に破碇をきたしていたと思われる。
手套を抜ぐてふとやむ
何やらむ
こころかすめし思い出のあり
しかし、歌には思い出を探る余裕があった。反省もあった。そして、夢も生きていた。また、多分に自叙的である啄木の小説は、それなりに範囲も狭く又暖かいものが感じられる。
だが北海で蝕まれた肉体には、東京は決して住み良いものでなかった。失意は募り、歌は“悲しき玩具”となっていった。
月に三十円もあれば田舎にては
楽に暮せると
ひょっと思える
などと考えながら望郷の念やる方なく、帰るにすべもなく、自らの言う刹那々々の偽らざる自分を見つけて、満足のない暮しをうやむやに続けたのであるかと思うと心が痛む。
悲しむべきは、啄木が文学への執着を一時的にも断ち切れなかったことである。生活一途の働きの方向を見つけるべきであったことは、啄木のみならず、どん底の暮らしで悲嘆にくれる家族のあったことを思えばなおさらであった。しかしながら、すでに起きることもできない不治の病床にあって、啄木の短すぎる晩年の終りがかすかな足音をたてて近づいていたのだ。
呼吸すれば
胸の中にて鳴る音あり
木枯らしよりもさびしきその音
困窮の中で浮かぶ瀬もなくなつた啄木に、その交友は必ずしも友好的ではなかった。このことは東京生活前後を通じて言えることであるが、啄木は知友の全てに対して迷惑をかけていた。そうしなければ生きてゆけないまでに追いつめられていたのだが、その非常識と不生産的な生き方により多くの友を失った。
病勢は募るばかりで、もはや当時の医学ではどうしようもなかったと言うものの、それは生活の破碇から来たものであって、良識ある者の生き方ではなかった。
新しき明日の
来るを信ずといふ
自分の言葉に嘘はなけれど
やや遠きものに思いし
テロリストの悲しき心も
近づく日もあり
その晩年の啄木が新しい明日に目覚めた社会主義者であったとしても、決して時代の反逆者ではなかった。勿論テロリストでもなく、政治家としての素質もなかった。極端に言えば、主義者として自らの襟を正してはいなかったのである。啄木はきわめて感受性の強い激しい性格であったし、晩年にして、尚二十代半ばであった。かっての浪漫詩人が、生活に対する敗惨と文学に対する失意と不遇に打ちのめされた、抜け道のない環境に支配されてのむしろ利己的な思想の変化であって、間もない時期からは又穏やかな思想にかえっていたはずである。
はたらけどはたらけど
猶わがくらし楽にならざり
じっと手を見る。
血を吐くような啄木の代表的な生活の歌ではあるが、働けばある程度の安定を得ることが出来たとしたら、逆に言えば文学への執着を一日あとにして生活のために働いていたとしたら、啄木の健康はこうも損なわれはしなかったであろう。人生は二度と繰り返されないとして、その寸刻をいとしいとした啄木の、人生を性急に生きようとした誤りの結果ではなかっただろうか。このことによって今日の啄木文学が成り立たないとすれば、それは後世の人達の言うそれであって、又、別の啄木文学が生まれなかったとは決して断定出来ないのである。
二十七年の短い人生を燃焼し尽くして駆け抜けていった啄木は、いつまでも青年の心の中に生きるであろう。愛され続けるであろう。その啄木を敬愛するがゆえに啄木のためにその生活を悲しみ、偏見かも知れないが、こんな考察を持つものである。