いつの間にかカレンダーは1枚のみに。皆様には如何お過ごしでしょうか。
今年も恐ろしいほどの勢いで去り行き、いよいよ師走も半ばとなってしまいました。
講演などで西へ東への旅暮らしで、各地で大変お世話になりました。人生の出会いの不思議と喜びをしみじみと感じているこの頃です。
師走は「仕果たす」という意味もあるそうですが、果たさぬことばかり。我が人生も仕果たさぬことばかりです。そればかりか未だに見果てぬ夢を見ているような私です。
今回の画像は白山市白峰で出合った風景です。晩秋のある日、白峰保育所さんにお伺い致しました。勝山市から谷峠を越えて白峰に入る山間の道路で紅葉とせせらぎの、あまりにも美しい風景に思わず車を止めて見入っておりました。
今頃は雪に埋もれているのかもしれません。
閑話休題
世相は暗い話題ばかりですね。各地へ講演にお伺いする度に「いじめや自殺についての見解」を求められました。
歌は世につれ・・・とか。青少年問題も世につれない筈はないですよね。大人だって、生きづらい時勢なんですから。
「いじめはいけない、いじめを無くそう」の大合唱です。しかし、しかしです。「無くなる訳がない」と私は思うのです。集団の、いや人間の性だと思います。もちろん孤島での1人暮らしですと話は別ですがね。まさに「浜の真砂は尽きるとも・・・」です。
よく「思いやり」とか「他人(ひと)の痛みを解る人間に」などと言われます。私もカウンセリング研修などで同様のことを言ってきたのですが内心忸怩たるものがあります。
「思いやり」や「他人の痛みを解る」ことなんて、そう難しいことではないのです。それは言い換えれば「同情心」です。そんなもの誰だって持っています。それよりも、もっと出来にくいことは「他人の幸せを喜べる」ことではないでしょうか。
自らの心に問うてみてはどうでしょう。妬み、嫉み、自分が、自分がと思っているこの私ではないだろうか。善人ぶっている自分、「悪性さらに止み難し」です。
その如何ともし難い悪を自覚した時にこそ一縷の光明が差してくるのではないでしょうか。
再び閑話休題
ついこの間、久々に、本当に久々に文庫本を買いました。井伏鱒二の短編集「川釣り」(岩波文庫560円)です。
何故って。偶々書店に入って、偶々書棚にあった本書が目に付いたからに他なりません。
私は数年前から川や湖沼での釣りをはじめた(幼き日々、小川での釣りに興じていた私なので、再開したというのが正解かも知れません)のですが、今年はあまりにも慌しい暮らしぶりで釣りには行けませんでした。
車のトランクにはいつも釣具一式を載せてはいるのですが・・・。
それでです。あまりにも面白くて(私にはですよ)一気に読了でした。
「まえがき」は是の如くです。
私は釣りが好きだが釣りの技術に拙劣である。したがって、
この本に集めた文章にも、釣技に関することは何もいってない。
たいていは釣りに行きたくても行けないようなとき、自分の釣り場を
思い出しながら書いた文章である。・・・・
全く今の私のためのに天が与えてくれたと思うばかりの1冊でした。この文庫本の底本は1952年の岩波新書だというから、半世紀余も前に書かれたものです。でも、さすが井伏鱒二!いきいきと、さらさらと・・・。私を惹きこんでしまうのです。
釣りそのものもさることながら、釣り宿に使うひなびた出で湯旅館や、その周辺の風景、人間模様が面白い。
今、私が一番にやりたいことは、このような体験だと再確認することしきりです。
よし来年は!なんて思いながら、釣竿(子ども騙しのような安物ですが)を手にとっている私です。
それでは皆様、少し早いですがよいお年をお迎え下さいませ。