湯西川日記

fbやツイッターで一年サボりましたが、やっぱりブログです。2016年から復活します。ツイッターの長い版みたいな感じです。

金環日食

2012-05-21 22:15:52 | 学習

全然興味なかったし、見る気もなかったのだが、朝ヒマなんで、見てしまった。

まあ、最初はこんな感じでまぶしくてしかたがなかったのだが、何となく欠けてきているのがわかると次第に興奮してしまった。

そして、7時35分頃だったろうか。

ちょうどクライマックスで雲がかかったのだ。これがフィルタになって、肉眼でもはっきり金環日食が見えた。

写真の先生に見てもらったら、うまく撮れているとおほめいただいた。やったね。

こっちはデジカメで撮ったほう。何の小細工もしてないから、こんなもんだろう。


名勝負数え唄。

2012-05-20 21:21:34 | 学習

FC東京に名勝負数え唄があったら、今日の試合は入るはずだと思う。0-2からの逆転勝ち。2-0から逆転された試合はあったが、逆転勝ちしたのは珍しい。

今日の試合は、味スタで3連敗した後の試合で、何が何でも勝たねばならなかった。また、おととし、降格した時は開幕戦だけ勝利して、最後まで味スタで勝てなかった苦い経験がある。これを払しょくするためにも、今日は勝たねばならなかった。

そして、前半0-1で後半も追加点を取られ、0-2でもうあきらめて、自分の中から出てくる毒ガスのやり場に困っていた矢先。あと15分を切っていたはずである。ようやく1点を返すと2階席も総立ち。

勢いそのままに同点、逆転。3点とも渡邉千真が決めてくれた。こんな試合があるから東京サポはやめられないとツイッターで誰かがつぶやいていたが、こんな試合はめったにないと思う。帰りは阿久根社長に、今日負けたら、荒れていたと思うと告白した。来週も勝ってね。


三社行ってきた。

2012-05-19 21:35:24 | 学習

初めて三社祭に行ってきた。何で、行ったかというと、去年8月、震災ボランティアでバス席が一緒になった方が神輿を担ぐ人で、さんざん神輿の素晴らしさを吹き込まれたからだ。あと、最近、TATOOに興味があって、そんなかんだで行ってきた。

どっちかというと、一緒にバスに隣り合わせになったMさんが気持ちのいい人だったから、もう一度会いたかった。連絡先も知っていたので、電話してもよかったのだが、ちょっと根性がなかった。知らねえよ、とか言われて傷つくのがよくあるのだ。

聞いていたのは、浅草で一番派手な神輿だということで、ネットで調べて、検討をつけて早朝から、浅草界隈を練り歩いて探った。そしたら、どうも西浅草三丁目北の神輿らしいと分かり、こっそり近くに張って追っかけをした。

町会から観音様まで神輿を取り巻いて一緒に動き、刺青のお兄さんたちの写真を撮らせてもらい、観音様で写真をとっていたら、どうもMさんらしき人を見つけてしまった。一度はぐれたのだが、頑張ってうろうろしていたら、ひとりで休憩されていたので、思い切って声をかけた。

そしたら、なんと覚えていてくれた。一緒に写真を撮って、頑張ってください激励したら、神輿楽しんで行けよ」だって。むっちゃ感激。ものすごくうれしかった一日。


自分の長所

2012-05-18 23:15:17 | 学習

ワシはよく動く。動くのが長所である。行きたいところがあれば行っちゃう。移動時間も好きである。電車から車窓を見るのも好きだし、飛行機の窓から下を見るのは死ぬほど好きだ。

行動もそうだが、節目節目でよく動いている。会社も移っているし、学校も同級生のいかないような学校に行った。移動癖、というか放浪癖に近い。

最近また、これがひどくなっていて、というか、開き直っている。もう肯定している。動くから生きている実感がするタイプなのだ。重要性はわかるが、本を読んでいても、時間がもったいないような気がしてしまう。幼稚なのかもしれない。

ただ、動くから考え込まない、というのはある。とりあえずやってみるから、後悔はしても将来のことについて悩んだりしない。心配なのは、歳をとって体が動かなくなった時、どうなるかということである。


山本さんのこと

2012-05-17 23:43:40 | 学習

去年、父と母と亡くしたわけだが、実は、もうひとり知り合いを亡くしている。それが山本さんだ。山本さんは去年、ちょうど70でガンで死んだ。いろいろあって、歳はかなり離れているが、10年近くのおつき合いだった人だ。カラオケ教室の先生で、歌がうまかった。プライベートでCDも出していた。

山本さんはちょっと変わった人だった。何となく悟りきっているような人だった。歳を食って、それまで特殊な生き方をしてきた人は何かの拍子でこんな感じになるのだろうかと観察していたのだが、そうではなかった。それ何なのかが、ようやくわかったのは、彼が死んでからだ。

最期は、ガンが発覚して、そのときには、もう医療の手の施しようがなく、自然に死したのだが、自分の葬式の準備をきっちりやったり、周りの人にあいさつして回ったり、あわてず、ずいぶんと落ち着いて死を迎えた。

実は、ワシが知り合いになるうっと前に、いちどガンにかかっていて、その時に死を覚悟したらしい。いっぺん死を見てそれを身近に感じたところから、悟りきった印象を与えていたようだった。生前、カラオケで歌を聴かせてもらったが、何とも味のある歌であった。不思議な魅力が歌ににじんでいた。


長いほうか。短いほうか。

2012-05-16 22:54:45 | 学習

今考えると、2回くらい、10代、20代で危ないときがあった。死にかかった、といってもよい。そのあと、ずっと、あのとき死なずに済んでよかったと思ったものだったが、最近は別のことを考えている。

意外と早く死んでいたら、それはそれでよかったかもしれないと思うのだ。人生短くても長くても、歳をとってからの1年は若いころの1年と比較すると相対的に短いから、10代で死ぬのと、50代で死ぬのと、極端に変らない気がする。要は中身である。

それどころか、長く生きると辛いことも多くなる。身近な例でいえば、自分が先に死ねばよいが、妻に先立たれると辛い。子供に先立たれることもあるかもしれない。人にもよるだろうが、長く生きれば生きるほどハッピーというものでもないだろう。嫌なことはついて回る。

昔はどうやったら、よい人生になるかをよく考えていたものだが、最近はどうしたらよく死ねるか。こっちをよく考える。別にこんなことを書いているからといって、精神疾患でもなんでもない。当然考えるべきことなのだと思っている。そして、それはどう生きるかと同じくらい難しい問題である。


聖書

2012-05-15 22:30:13 | 学習

寺の関係なのに、高校生のころからよく聖書を読んでいる。長いこと読んでいなかったのだが、最近またちょこちょこと読んでいる。全般的にストーリーが見えにくいのだが、一つ一つの文に重みがある。

高校生の頃など、部活で先輩にいじめられるのが嫌で、登校拒否になりかけたが、聖書の「明日は明日自身が思い悩むであろう。」という言葉に活路を見出したものである。

「人を裁いてはいけない」とか、「右の頬を打たれたら左の頬もうたれよ」などというのは、この歳になるとずっしりとくる言葉である。

してみると、聖書はストレス社会に生きる上で、いかにして困難や苦悩に立ち向かうかということを説いているものなのであろう。だから、信仰に関わらず、すぐれた古典として読んで損はないような気がするのだ。


ものおもい

2012-05-14 22:05:48 | 学習

最近ほんとに回顧癖がひどくなってきて困っている。昔のことばかり思い出す。昔のことばかり思い出しては、現実に戻り、ふと気がつくと昔のことを思っている。

とくに中学校のころのことをよく思い出す。もう、30年以上前のことなのに。多いのが瞬間瞬間の光景。フラッシュのように思い出す。何なんだろう。それもたわいもない、ひとりで見た真冬の空の色とか。海の色とか。

よくよく思えば、中学校のころが人生で一番楽しかった。楽しかったことが、空や海の色とくっついているのかもしれない。いまはどうかというと、あまり楽しくない。楽しいとか楽しくないとか言っているヒマないのだ。

うちの娘たちは、いま中学生と高校生である。彼女たちがワシくらいの歳になって、今を振り返って、いったいどんな風景を見るのだろう。


人生の値打ちとは。

2012-05-13 22:25:07 | 学習

人生の値打ちとは、何をやったかではない。生産的ではないが、人生の値打ちは結果ではないからだ。結果を求めるのと、本題は全然違う。

結果ではないとしたら、人生の値打ちとは何か。その人が味わう感動の数で決まると思う。感動の数が多いほど、人生は充実していると思う。間違いない。

どうしたら、感動の数が増やせるか。ひとを疑わないことである。ひとを疑い出すと、感動の数は減りこそすれ、増えることがない。ワシはこれを単純人生感動主義と呼ぶ。

単純人生感動主義だと、その人の能力や経験は関係がない。だれにも平等である。レベルの高低、他人の認知度、そういうものは全く関係ない。感動は相対的でなく、絶対的だからだ。


潜在意識

2012-05-12 22:24:02 | 学習

自意識と潜在意識がある。

潜在意識は自分では気づかないが、わからないところでずっと動いている。ワシはこのことを知ったのは、学生時代に数学Ⅲの問題がわからないときに、答えを見ず放っておいたら、2、3日後にひらめいて解けたことがあったからだ。自分では放っておいたけど、潜在意識が考えてくれていたのだ。

別に数学に限らない。潜在意識が考えてくれている。能力を発揮するためには潜在意識を有効活用することだ。潜在意識は自意識に忠実だから、自意識で、それを考えるのはやめにしようとすると、潜在意識もそこで考える作業を終わってしまう。だから、潜在意識に働かせるためには、自意識で考えるのを止めるという判断をしないことである。

現在ワシは仕事のことを、けっこう考えている。考え出す時になって少しく鬱になるのだが、今回は鬱になるのをためらわず考えることにしている。とりあえず、自意識で考えるのをやめることをしないつもりである。潜在意識に賭けているといってもよい。潜在意識に賭けつつ、寝る。潜在意識が何とかしてくれると信じている。