いつもこの瀬戸大橋を
車で渡るばかりで、下から眺めたことは
ありませんでした。
遥か遠くの与島あたりは霞んで見ることが
出来ません。
今更ながらすごいなあと見ていると
自動車道の下を電車が走っていました。
この光景も初めて見ます。
公園内の案内図を見ていると
瀬戸大橋記念館がすぐ近くにあったので、
行ってみることにしました。
左側に見えている建物がそうです。
中に入ると
瀬戸大橋ができるまでの工程が
パネルなどで展示されていました。
そもそもこの本州と四国をむすぶ
本四連絡橋の構想はいつ、誰によって
提唱されたのでしょうか?
それはこの人
大久保甚之丞
明治22年の頃でした。
そして何としても
本四連絡橋建設に拍車をかけたのは
この昭和30年5月11日の
紫雲丸事故の発生ではないでしょうか。
この連絡船には修学旅行中の小学生や
中学生が数多く乗っていて、わが母校の
南海中学校の生徒も28人犠牲になり
全体の死者は168人にもなりました。
南海中学校の校庭には、紫雲丸事故の
慰霊碑があります。
その事故から23年後の
昭和53年10月10日に瀬戸大橋は着工し、
9年半後の昭和63年4月10日に開通しました。
この瀬戸大橋は
全長9,368m、海面からの高さは194m、
総工費は1兆1200億円。
夢の懸け橋は物流面や観光面で
経済効果をもたらしてくれましたが
香川県から岡山県への人口流出への
橋ともなってしまいました。
今日も来てくださってありがとうございます。
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