酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

監督という事は・・

2009-04-10 12:09:59 | サッカーの話
山形の快進撃が続いております。
嘗て、J2時代、仙台と死闘を繰り広げておりました。仙台がJ1にいて、山形はJ2の時代が続いておりましたが、今シーズンからの参戦。正直、厳しい成績を予想しておりましたが、なかなかどうして、並み居る強豪を撃破しております。
さて、11日。
酔漢は「京都」と「新潟」の試合を注目しております。
どうしてかって?監督を見れば、お分かりいただけるかと存知ます。
京都、加藤久監督。新潟、鈴木淳監督。
この「くだまき」に、ご登場していただきました。
京都、加藤監督は、仙台二高から早稲田。代表のキャプテンも勤められ、韓国との死闘は語り草になっております。
その監督、塩釜一中のご出身。ご自身も早稲田時代には教育実習生として、同校で教員をされた経験がございます。妹はその授業を聞いておりました。
ご実家は(今もあるのでしょうか)陸前浜田駅から程近い「雑貨屋さん」でした。
「釣りこの帰りさぁよく寄ってたっちゃ」です。
新潟、鈴木監督は酔漢向山高校時代の一年先輩。78年「ワールドユース世界大会」(現、U21)の時、背番号10を着けておりました。
マラドーナのアルゼンチンが優勝した大会です。予選、全敗で負けましたが、記憶に残る大会でした。
酔漢の従兄弟でございます。酔漢より年が一つ上。塩釜高校GK。また、宮城ユースでも正GKでございました。後に早稲田でもGKをやっておりました。
鈴木監督とユースではチームメイト。早稲田であることから(塩釜つながりでもあるのですが)加藤監督とは、一緒に練習もした経験がございます。
その二人、毎年、J1で二試合。(ナビスコは除きますが・・)顔をあわせることとなっております。
はたして、今回は?今シーズン初の顔合わせです。
注目しております。
ベガルタが前身「ブランメル」と言っておりましたとき、現役の最後をここでプレーした鈴木監督です。
しかして、加藤監督は、ベガルタの監督要請をお断りになられたとか、聞いております。(ハッキリした情報ではございません。ご容赦下さい)
ですが、プロの監督を二人も輩出した宮城ということを誇りにしてもいいのではないかと思って、本投稿といたしました。
J2へ降格してからベガルタは、観客動員が大幅に減少しております。
サッカー文化の根づいていない地域ではありますが、是非、応援をしてください。

楽天の快進撃。とても、うれしく記事を読んでます。非常にうれしい出来事です。
ですが、もう一度「ベガルタをJ1へ」そして、楽天とともに、日本一になります事を夢見ております。

プロ野球監督。白石高校ご出身、佐藤監督。ヤクルトの監督を経験されております。プロ野球では、唯一の宮城県御出身の監督。
サッカーには、(繰り返しで申し訳ございませんが・・)二人もおります。
宮城のサッカーは、決して劣っておりません。
応援いたしましょう!

早朝野球の監督をいたしました。選手兼任でした。
「代打オレ!」一度やりました。
ダブルプレーに終わりました。
かっこわりぃぃぃぃ  の酔漢でございます。

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5 コメント

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Unknown (ひー)
2009-04-17 11:53:10
実は、甥っ子が、数年前ナイキ主催のマンチェスターユナイテッドでの合宿に日本代表の5人に選ばれイギリスに行きました。
ロカールームには、選ばれし者たちへ・・・
と書いてあったそうです。
現在、大学でサッカーを続けていますが、どうなることやら?
ベガルタ・・・どうなることやら・・・
サポーターは必死に応援しているのですが、結果が・・・・
職場の仲間もスタジアムに行ってるようですが・・・
酔漢さんも、お顔が広いと言うか?宮城出身の方々が活躍しているのですね。
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丹治様へ (酔漢です )
2009-04-15 08:43:45
二口ですか、登りは急ですよね。
今の季節の山がやはりいいですね。
木々の葉が若いですから、地面まで光が届くわけです。里山は一番いい頃だと思います。
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クロンシュタット様へ (酔漢です )
2009-04-15 08:41:24
あのあたりは利府なんですよね。
45号線から松島へ向うと、利府という境界線があります。ですが、すぐ松島町になります。
塩竈はサッカーが盛んな街になってます。
こどもの数は少なくなったのですが・・
返信する
浜田の星 (丹治)
2009-04-12 17:12:59
加藤監督は、確かご実家が浜田だったのではありませんか?
監督と同年輩でサッカーをやっていた塩高OBの知り合いがいます。
その人によれば、監督は当時「浜田の星」と呼ばれていたそうです。

酔漢さん、昨日の蕃山はよかったですよ。
大梅寺から西風蕃山を経て栗生まで、カタクリがあちこちに咲いていました。
開山堂から西風蕃山までの間では、ショウジョウバカマとイワウチワにも会えましたよ。

今季の登山のための足慣らしです。
次は権現森にしようか、それとも二口峠にしようか・・・悩ましいとこです。

ゴールデンウィークには、八幡平に行きます。
天気がよければカンジキを履いて八幡沼の周り
を歩きます。
視界が利かない時は、藤七温泉に直行します。
返信する
陸前浜田って利府でしたよね (クロンシュタット)
2009-04-12 06:48:10
息子は2人とも小学校のサッークラブに所属しております。
長男はあまりなじめなかったようですが、次男はやる気満々でして、今日の日曜日も練習です。
しかしながら低学年の入部者が少なく、存続の危機ではあります。

キャッチボールならぬ、パス練習にしょっちゅう付き合わされております。
家の周りの路地が練習場でして、親父の運動不足解消にも、幾分貢献しております。

さて、加藤久ちゃん。高校も大学も1年先輩ですね。
前にも触れましたが、佐賀?インターハイに出場を果たした年のキャプテンでもありました。
川内高校の校庭はやたらと広く、サッカーグラウンドを2つ余裕で確保できました。
東伏見の運動場はさらに広大で、はるか遠くのラグビー部の連中が芥子粒のように遠望できたものです。
体育授業でしかサッカーを経験しておりませんが、とりあえずは久ちゃんとはおんなじピッチでプレーしてたってことで・・・

山形のホームでの開幕戦はTV観戦してましたが、吹雪でゴールポストが見えんかったです。
試合も、あえてなのか、不可抗力なのか、スライディング合戦みたいになってしまいましたね。
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