酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

4月30日が最後の日になった場所

2012-05-01 07:12:12 | もっとくだまきな話
神奈川県横須賀市大滝町。
商店街の入り口には、旧海軍「横須賀鎮守府」(現米海軍司令部)があり、「ドブ板通り」とも交差しております。
昭和17年頃。
その商店街の様子は父から聞きました。
「『さいか屋』があっからな。あそこで買い物のすんのは、楽しみだったっちゃ」
「『さいか屋』は、藤沢さもあったっちゃ」
「横須賀が最初でねぇか」
なるほど、さいか屋一号店は、横須賀。大正時代にさかのぼります。

酔漢が横須賀の事業所におりました事は、以前にお話ししたところです。
祖父、親父、酔漢と横須賀に縁がありました。
そして、ある建物が三人を点で結んでおりました。

「おめぇの働いているところって昔映画館だったんでねぇか」
「映画館だったのすか?」
「さいか屋から三軒先だべ。天丼屋の正面だったら、映画館だっちゃ」
「何やってたのすか?」
「あぁぁ『嵐寛寿郎の鞍馬天狗』だのやってたっちゃ」
「親父は見たのすか?」
「親父(祖父)と兄貴と三人してや。映画観て、帰りは天丼屋が決まりだっちゃ」
祖父が海軍省、そして、よこちん勤務時代は、定時に家を出て、定時に帰る。
サラリーマンと同じような生活をしております。
休みも、休日は一般の方となんら変わりません。
祖父が「嵐寛寿郎の鞍馬天狗」を見たかったかどうかは知りませんが、そこはきっちり「家族サービス」もしております。
「んでも、途中で寝てたんでねぇかな?」
「天丼は、二階の座敷で食べてっしゃ。まんずうめぇんだおん。穴子はでけかった」
「んだ。あの穴子の天ぷらはうめぇっちゃ」
(三年程前、その天ぷら屋さんもなくなっております)

仕事の合間、よく天丼は食べておりました。
それは、横須賀の事業所に転勤してから知った店だったのですが、祖父、親父、ともファンだったとは、後から知ったことだったのです。

酔漢が横須賀の事業所におりました時間は二年と三か月。
酔漢が働いていた位置にもしかしたら親父も祖父もいたかもしれません。
酔漢三代が、点として繋がった場所でした。

その事業所が、昨日を持って営業を終了。
その歴史に幕を降ろしました。
横須賀の商店街の地盤沈下はここ十年位で加速度的に進んでおります。
核店舗である「さいか屋」でさえ、建物を縮小しての営業です。

「年末なんてや、水兵さんだの士官だの、ごっちゃになって大勢で賑わってたんだど!」
時代の趨勢なんでしょうね。

祖父、親父の時代は映画館。そして酔漢の仕事場。
建物は暫く残るのでしょうが、「あの場所」は、どうなるのでしょう。

半世紀以上の御縁でございました。







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2 コメント

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ひーさんへ (酔漢です)
2012-05-11 19:53:46
祖父、親父、自身とも同じ場所にいたというのも不思議です。
祖父、叔父、叔母も。
親子三代で横須賀と塩竈の往復。
80年の歴史です。
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時の流れ (ひー)
2012-05-10 12:30:44
時代共に変わるもの変わらないもの、色々ですね。後継者がいなければ店も暖簾を下ろさずには行かなかったのでしょう。
とうとう御祖父さんは、酔漢初代になりましたね。
また記憶している人々がいなくなると、その店の存在は時間の渦に飲み込まれ、新しい街が何も無かったかの如く存在し新しい人の出逢いがまた、始まるのでしょう。
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