酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

あぜみち・・

2013-06-06 08:31:58 | 藤沢便り
仙石線での通学は小学校から大学まで続きました。
多賀城を過ぎて、高砂(中野栄、小鶴新田はまだできていない頃です)福田町。苦竹と水田の風景が続きます。
映画、「青葉繁れる」では、福田町の水田で、主人公一味がふざけ合う(追いかけっこ)するラストに近いシーンがありました。
今では、懐かしい風景となりました。

植物園。ガーデン。そうした処ばかりではなく、ふと「あぜ道には多くの花たちがあったなぁ」と思い出した次第。
少し、足を延ばして、平塚の園芸試験場の水田へと足を運びました。

田んぼの小川に落ちた経験は何度かあります。
その度にどろだらけ。
ザリガニ釣りやおたまじゃくし捕り、メダカすくい。多くの花、虫、蛙。
案外楽しい空間でした。
苦手な蛇君もときたまおりましたが・・・・。

そんな事を思い出しつつ、散策を続けます。



よく見ると、小さな花達が咲いております。










小さな花畑。足元でしか見えないんですね。

神奈川ですから、水田の稲の成長は宮城よりは早いのでしょうね。

ふと、目の前の草村がそよいだと思ったら。



かるがもの親子でした。
かるがもを使った、有機農法を行っている水田でした。



子がもは二羽。もう親鳥から少しも離れませんでした。



夏もまだなのですが、実りの秋を思います。

♪花は 花は 花は咲く わたしは何を残しただろう♪

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6 コメント

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かるがも親子が可愛いですね。 (すず)
2013-06-06 09:32:58
 おはようございます。順調に「花ブログ化」しておられますね(笑)

豪華なバラも好きだし、楚々としたスイレンも好きですが、いわゆる雑草も好きです。震災から二年を過ぎて、草さえはえない荒地だったところに、シロツメクサやヒメジュオンが花開いているのを見ると、心が癒されます。

南西地方は、梅雨入り宣言したのに雨がさっぱり降らなくて、田畑が心配になってきましたね。こちらも穏やかな晴天が続いていて、洗濯が乾いて良いんですけど(笑)はたして梅雨はどうなることやら。
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3つの記憶 (なん)
2013-06-06 20:01:55
今日のブログの写真を見て、いろいろなことが脳裏に蘇ってきました。

「青葉繁れる」、ちょうど今頃の季節ですね。
一高の方面から五橋へ真っ直ぐに走っている通りの途中、右手に脇道があり、鍵の手の道なりに、あの小説のマドンナ ひろこが通っていた(戦後)女子高の表門と裏門を結んでいました。
小説にはバンカラの当時の一高生が描かれていたと思いますが、時代が変わって今から35年ほど前(まだ昭和50年代でした)、あの通りを通るとき、遠くから“下駄を鳴らしてやってくる”、バンカラ風の「あの人」の音をいく度か聞いたものです。
仙台駅へ通じる近道でした。懐かしい「音」の記憶です。

もう1つは、さらにさかのぼって子供の頃(昭和40年代)、特にこの季節は毎日のように遊びに行っていた空き地があり(土樋学院大の裏あたり)、まさに写真とオーバーラップしてしまいました。やはりこのような草花が咲いていました。
そこにも池があり、よくオタマジャクシ採りやザリガニ釣りに夢中になって、日が暮れるのを忘れてしまうくらい、子供にとっては格好の遊び場であり、ワンダーランドでした。
当時は、よそのお宅の空き地で遊んで悪さをしていても、大人たちはよほどのことがない限り、見て見ぬふりをして温かく見守ってくれましたものね。良い時代だったと思います。
池ぽちゃの経験はありませんでしたけれど・・・。
後にその敷地は「道交会館」という旧制二高の同窓会館になりました。年配の方々が旧交を温め、あのバンカラな時代(「青葉繁れる」より、さらに一時代前の戦前です)を懐かしんでいたのでしょう。現在はご存命な方がほとんどいなくなり、会館もなくなったと聞いています。

そして3つ目は、時を経て昭和から平成にかけて、福田町近くの会社に就職をして、通勤していたことです。
当時は自宅のあった土樋から仙台駅まではバスを利用し(途中から地下鉄が開通して、地下鉄→バス乗換になりました)、丸光デパート前のバス停で、苦竹経由の「中央卸町売り市場行き」のバスに乗り換えての通勤でした。
45号線を一途東へ、やがて仙石線の高架を通り過ぎるとちらほら田畑が見え始め、この時期、バスの窓を開けると風に乗って、草いきれの「匂い」がしてきた記憶があります。
福田町の一帯は津波の被害があったと聞いています。今年は順調に稲が育つと良いのですが、気になります。
「青葉繁れる」のあのシーンが福田町だったのは初耳でした!

今日は、思わずどっぷりとノスタルジーの世界に入ってしまいました。(キュン!)
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こんばんは (見張り員)
2013-06-06 20:50:02
私が幼いころ育った土地――東京都下、当時は北多摩郡と言っていました――も田んぼや畑の多いところでした。
色々な花が咲いていたのを、一連のお写真を見て思い出しました!

カルガモ農法、今盛んですね。伯母の家があった宮崎県日南市某所でもやっていましたよ。
可愛いんですけど「後で食べる」と聞かされて目が点になりました(-_-;)・・・
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すずさんへ (酔漢です)
2013-06-09 08:07:23
花ブログなんですよねぇ。でも花のカテゴリーは設けていなんですよ。花でもエントリーしてなくて・・。
何か、くだまきの延長に花があるって感じにしたくて。
でも、花の魅力にはまってしまったのは本当なんです。
いろいろな事が見えてきたり、託したり。
しばらくはこのまま遊ぼうかって思ってます(笑)
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なんちゃんへ (酔漢です)
2013-06-09 08:12:44
青葉繁れるのラスト。元校長(チョロ松)の自宅を尋ねようと仙石線に乗った主人公等4名。降りた駅が福田町。
自宅へ行き、英語の塾を開いているチョロ松を見て帰ります。雨が降ってきて、小走りに帰ろうとすると、塾の看板を失敬。「こいづがねぐなったって知ったら、俺達が来たごとチョロ松わかっぺ!」田圃で追いかけっこを始めて・・。
仙石線がエアコンがない頃。窓全開で走ります。
田の匂いが車両充に流れておりました。
夏の香です。
多くの思い出、ありがとう!
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見張り員さんへ (酔漢です)
2013-06-09 08:15:08
かるがも。なんかいいですよね。
飼われているって情報がなくて、本当、偶然に居合わせたのでした。
こがもは2羽。後をついていく。本物見たのは、初めてでした。
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