酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

祖父・海軍そして大和 奮戦スレド徒死スルナカレ 七日 戦闘 一

2010-05-22 11:47:31 | 大和を語る
「スプールアンスは何て言ってくるのか」
発艦した後の飛行甲板はとてつもなく広く見えるのでした。
「通信に不具合があります」
「また、ジャミングか」
ジャミング→電波妨害。アメリカは日本がジャミングの技術を駆使していると信じ込んでおります。実際はそんな事はないのですが、過剰なほどその対策を立てております。
「スプールアンス提督から作戦中止の命令が来た場合。飛行機を引き返させるのですか」
アーリー・バークが尋ねます。
ミッチャーは、たばこを咥えながら首を横に振りました。
「ありえないね!ありえん!スプールアンスだってあの『デカイ奴』を沈めたいに違いないんだ。結果が欲しいんだ」
「ですが、戦艦同士のファイトは見たい気もしますが・・・」
「そんな、ロマンチストみたいな発言は止めてくれ!いいか、もう一度言う。あの『デカイ奴』をやっつけるのが俺たち空母の仕事なんだ」
そう一言言うと、机上の書類に目を通します。
「『イントレビットでは風邪が流行ってる』だと」
「『ヨークタウンのカタパルトは欠陥である』だと」
「『ホーネットの通信員は公私混同が多く暗号を平文で送ることがある』だと」
「どいつもこいつも・・・・・・ク・ダ・ラ・ン!」
スプールアンスからの命令はまだでした。いらいらが募るミッチャーです。
丁度、胸ポケットから新しいたばこを取り出そうとした、その時です。
「電文です。スプールアンス提督です」
「よこせ!」
ミッチャーは待ちきれなかったかのように、電文を取上げます。
そしてすぐ!。
「ワハハハハハハハハハハ・・・・・なんだこれは!」
とアーリー・バーグに笑いながら渡しました。
バーグは自身の目を疑いました。
「これが・・・命令ですか?」
「当たり前だ!命令以外の何ものでもない」
海軍史上。否、歴史上最も短い命令文がそこには書いてありました。

「You take them」

アメリカ第54機動部隊は参謀会議中でした。モートン・デヨー少将は、自身の艦隊が日本艦隊を殲滅させる実力があり、そのシナリオは自分が描くべきだと信じておりました。
「アイダホ」「テネシー」そしてスプールアンスから贈られた旗艦としての「ニューメキシコ」戦艦三隻他の第三戦艦隊。第四戦艦隊として「ウエストバージニア」「メリーランド」「コロラド」の戦艦三隻。巡洋艦「バーミングハム」「モービル」「ビロクシ」。駆逐艦11隻が脇を固める。
「これだけの艦隊だ。『デカイ奴』がどんなにでかくてもダ。奴を沈めることは可能なんだ」
作戦会議の冒頭、デヨーは先にこう切り出しました。
「その『デカイ奴』なんですが、情報が少ないのです。我々が知っている事実を机の隅に置いておく必要があるかもしれません」
ある作戦参謀の発言です。
「どういう意味だね」
「デカイ奴の砲は17.7インチ9門と報告されております。ですが、推定では18インチを越えているのではないかと。私は、沈んだもう一隻のデカイ奴を見てそう信じます」
「『18インチ』を越えるだと?17.7インチでも、奴等は俺達の射程外から射撃できるのだ。まして18インチであれば、射程でどれくらい距離が出来るんだ。差はどの位なんだ?」
「おおよそ3000m。想定される有効射程ですが、実際は後1000mの範囲で砲弾が来ます」
「推定4000mか。デカイ奴のリーチは、こんなに長いのか・・」
この作戦会議の途中、デヨーは第51機動部隊司令長官「リッチモンド・ターナー中将」へ電文を送ります。
「ブレックファーストはおすみかな?中将。ブレックファーストの為に、これからフィッシングに出かけようかと思っている」
この電文を作成中に情報が一件飛び込んできます。
「ペリカン共の方が早く気付いたのか・・・」
デヨーは、自分の獲物が横取りされたような気持になったのでした。
「電文を書き直せ。最後にこうつけ加えるんだ!」
「『ペリカンが先に取らない限り』とな!」
「戦艦は殴り合いのためにあるんだ!なのに、陸地だけの艦砲射撃ばかりじゃないか。俺達は獲物を欲しているんだ。例え相手があの『デカイ奴』でもな。俺には奴を沈める自信があるんだ」
デヨーは不満をスプールアンスにぶつけます。
「どうせ、いつもの通りの返事に違い無い」
期待はしておりません。
案の定返電はこうでした。
「現任務を忠実に実行せよ」
ですが、スプールアンスは、第54機動部隊に戦闘待機を命じております。
「ほとんどがペリカンが喰っちまうがな」

艦隊の行動は逐一、正確に沖縄の敵基地に報告され、手に取るように判っていることだろう。
静かに時が流れる。無気味な沈黙が続く。穏やかなうちにと一一時、全員交代で食事についた。
敵はいつ襲いかかるかわからないだけに、落ち着かない食事である。味がまったくない。
そして、案の定、食事が終わったか終わらぬ午後零時ニ○分、電探が敵機の集団を探知したのである。直ちに、総員戦闘配置につく、艦隊はニ五ノットに増速し、各艦の距離を開いて雷爆撃に備える。
(能村次郎 大和副長手記より抜粋)

正午過ぎ、ついに来るべきものが来た。
私は前檣楼の上部に区画された副砲指揮所にいて、副砲を指揮していた。副砲は口径一五・五センチ三連装ニ基(中略)目標捕捉が難しく、指揮は困難であった。
(清水芳人 大和副砲長 手記より抜粋)

一一時一五分にふたたび、「対空戦闘」のラッパは鳴った。「敵機見ゆ。ニ七機」と拡声器はさけんだ。塔外をのぞくと、ひくい乱雲を利用して飛ぶ艦爆の編隊が目にはいり、あわてて扉をしめてケッチをかけた。緊張した塔内には急に電燈の光がつよく目に映る。
拡声器はまた「敵機五○機」とさけんだが、「ほう五○機か」と比島沖海戦に三日間で一五○○機の来襲をうけた経験のある砲員は、ニヤリとするばかりであった。
一分、二分と過ぎてまたさけんだ。「敵機は約一○○機」「うんきたな」と思うと続いて「敵機は大編隊」と、告げた。
(三笠逸男 大和副砲員 手記より抜粋)

午後零時二十七分。無数の黒点を百三十度と二百十度方向に発見。無数の黒点の群れはまたすぐ雲にはいった。敵機我が視界に入る。目測距離二万五千メートル、晴天ならば当然、主砲、副砲の対空射撃を開始して、大いに効果を発揮しうる距離である、しかし、艦隊上空の雲高は、依然として一千メートル前後。
(能村次郎 大和副長 手記より抜粋)

十二時十五分、電探発見のときは六、七万メートル。距離があり過ぎ、零時二十七分のときは二万五千で絶好の射撃距離だったが、当時はレーダー射撃が出来るほどの精密なものではなかった。視認して撃つ方が確実だ。晴天ならそれができたが、雲が濃く、敵は巧みに雲から雲を縫ってやってくるので、なかなかつかめない。(中略)わずかなためらいのうちに、一陣の黒い疾風のごとく、敵機は舷側に迫っていた。
(黒田吉郎 大和砲術長証言 読売新聞社編「昭和史の天皇 戦艦大和の最期 329頁より抜粋)
上記の黒田砲術長の証言では、主砲三式弾発射の事には触れておりません。ですが、実際には主砲三式焼霰弾の発射を、。黒田砲術長は証言しております。アメリカ側写真にもその主砲発射が確認されております。(下記にその証言を記載致しております)

吉田満電測士は電探室で食事を取りました。この時間電探当直が、「初霜」より「大和」へ交代しております。(結局「矢矧」の電探はそのままだったのでした)電探のスイッチの入った暑苦しい部屋での食事はあまり旨いものではなかったものの「これが最後か」と思うと何時もの昼飯より感慨深いものが込み上げてくるのでした。
吉田電測士が、にぎり飯を食い終わらないうちに
「沖縄見張所より電文。敵約ニ五○機南西方向より向う」
と入電。大和の電探が敵を捕捉いたします。そして、その後、見張員が敵機を目視いたします。
伊藤司令長官は、愛用のカールツァイスの双眼鏡を手に取ると敵捕捉の方向を注視します。森下2F参謀長は吸っていたたばこをもみ消すと、やはり敵の方向への監視を始めました。艦橋は極度の緊張に包まれます。有賀幸作艦長は防空指揮所へと上っていきました。ここは露天です。
黒い雲間から黒ゴマ粒のような敵機が目視されました。
有賀艦長が拡声器で「対空戦闘配置につけ!」と叫びました。

ゴマの実ですよ。その粒が蝿のようにぐるぐると廻っているのが見えました。まだ敵機という実感がその時にはわかなかったのでした。防弾チョッキは外しました。重いので射撃には邪魔になるのでそうしてました。鉄兜もです。機銃の後におきました。実射は呉の空襲が初めてでしたので訓練と同じようにできるかを心配しておりました。「吹流しとは違うんだ」今一度かみ締めました。
(小林昌信さん 大和機銃員証言より)

大和には信号旗が揚げられます。「敵機多数発見。対空戦闘用意」
防空指揮所に伊藤司令長官が上がります。初めての事でした。有賀艦長のところへ近づきます。指揮所にある望遠鏡で敵機を確認している有賀艦長へ話しかけました。
「雷撃機。アベンチャーか・・」
望遠鏡を覗いている艦長がこう話します。
「こちらの状況はどうか」
「準備完了です」
「これだけの敵機である。個々に目標を定めた方が効果があるのではないか」
これだけ言い残すと伊藤司令長官は再び第一艦橋へ戻りました。

ラッセルスパー氏はこの指示を「渡辺光男少尉が艦内電話で伝えた」と記述しておられます。が、渡辺光男さん自身の証言によりますと「午前八時過ぎに艦内勤務を西尾少尉(京都大学出身。吉田満少尉と同じく電測士)に引継ぎ、上甲板の電話室に戻り、通信機器の確認を行い、山口通信参謀に電話関係機器の現状を報告。そうして徹夜明けの体を休めるため、電話室内で仮眠中、空襲にあい、西尾少尉負傷の連絡を受け、起された。第一波攻撃中であった」と証言されておられます。
艦内電話で伝えたのは他の人間ではないかと推察いたします。(ラッセル・スパー氏は、日本での取材を綿密に行っております。この証言が渡辺さん自らのものであれば、時系列に差異が発生しております。実際はどちらとも判断がつきかねます)

矢矧「原為一艦長」は、船速三○ノットで輪形陣より離れていきます。
「攻撃機を大和から離すんだ!この矢矧が全部の爆弾、魚雷を喰ってやる!」

司令官幕僚等と握飯を食いながら冗談交じりに話合っていたちょうど昼の十二時半ごろ、突然二番見張の島津二曹がかなきり声で、
「飛行機、左ニ十度、二万米」
と報告した、私は直にその大型双眼鏡について、じっとみつめると雲の間かニ機、続いて五機、さらに十機、二十機、三十機、前方を横切って右に進んで行く。後から続々と続いている。百機以上。堂々たる編隊。数え切れない程の艦載機の大群だ。(中略)かねて覚悟の前だ。艦隊は敵の雷爆撃を回避するため三十節(ノット)に増速し、開距離五千米の疎開隊形を作った。敵は次第に高度を下げ、みるみるうちに四周よりわが艦隊に向ってグングンと近迫してくる。距離約一万五千米。
(原為一 矢矧艦長 手記より抜粋)

「おいどうしてこの状況が、『コンデショングリーン』なんだ!最初の報告からなんら変わっちゃいねぇ!せめてコンソメスープになってくれよ!これじゃ濁りきったポタージュスープ!だぜ。まったく」
エセックス隊コールマン大尉はこう報告しております。
「たどりつけないのかと考えた。雲、また雲。雨また雨。スープの中を泳いでいるようだった。何も見えなかった」
こんな悪天候の中、バンカーヒルのアル・ベアワ中尉のコルセアが突然落下します。脱出不可能の状態できりもみ落下。捜索も行方不明。しかも原因も不明のままでした。
他の飛行機も、衝突事故がなかったのが奇跡的でした。
そして、航程半ば、ベニントンの隊長機が故障。編隊指揮をホーネットのコンランド中佐に代わります。(『朝霜』編で登場しております)
そろそろ日本艦隊上空のはずです。ベニントンのコールマン大尉が「おい、この辺りだろ!デカイ奴はどこにいるんだ?」と盛んに聞いております。
「ここから25マイル地点にデカイ奴がいる。レーダーが捉えた!」
ベニントン隊のヒュー・ウッド大佐の報告です。
その直後、先頭の機が日本艦隊を目視しました。
と、その瞬間、機体が大きく揺れるのを感じました。
雲と雲の間に黒煙が出来ております。
「デカイ奴からのプレゼントのようだぜ!」
「俺は欲しくない」

(「三式通常弾改一」の発砲と見ます。黒田砲術長はここでの発砲を証言しております。→先の紹介しました証言→読売新聞社編「昭和史の天皇」では、主砲発砲の事には触れておられませんでした)
「雲間に見え隠れする敵機に対し主砲三式焼霰弾を撃ち込んだ。照準が十分できずその戦果は確認できなかった」
(原勝洋氏著「真相・戦艦大和ノ最期」167頁より参照、抜粋)

彼等は再び雲の中へ機体を誘導するのでした。
「混乱に混乱か続くこの攻撃が今はじまった」(コールマン大尉)
「ホーネット隊は旋廻中か?燃料が少ないんだ!俺達がやる。この名誉は俺達ベニントンがいただく。デカイ奴への最初の攻撃は俺達だ!」
コンラッドはヘルダイバー隊に命令します。
「SB2C! BIG ONE! ATTACK!」
時間は1237でした。

「射ち方、はじめ!」
有賀幸作艦長がありったけの声で命令を発しました。
主砲45口径46サンチ9門は使えません(実際には発射の記録と黒田砲術長の証言かから窺えます)が、その他の砲は全力で射撃を始めます。
60口径15.5サンチ副砲三連装、三基6門
40口径12.7サンチ高角砲ニ連装、十二基24門
九六式25ミリ機銃三連装、四十八基141挺
九六式25ミリ機銃単装、六基6挺
九三式13ミリ機銃ニ連装ニ基4挺
機銃は合計百四十五挺。大和では第七分隊、第八分隊が受け持っております。
(注、原勝洋氏著「真相・戦艦大和ノ最期」より記載いたしました。呉海軍工廠設計員、一号艦防空火器艤装担当 大谷豊吉氏の資料では九三式25ミリ機銃は単装4基。九三式13ミリ機銃は単装2基となっております)
戦艦としては当時、世界一の対空火器が一斉に火を吹きました。

「防ノ岬沖海戦」佳境を迎えました。

先頭の数十機は早くもわが直上近くに迫ってきた。
アッ急降下爆撃!と思う瞬間、
ビューン、ドドーン、ドドドーン、
もの凄い炸裂水柱。
アッ機銃掃射、戦闘機だ!
パチパチパチ、ビューン、キーン、
わが防禦放火もまたすさまじしく、
ダッ ダッ ダッ ダッ、  ドドーン、
ダッ ダッ、 ドドドドーン。

(原為一 矢矧艦長 手記より抜粋) 

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大雨気味です (クロンシュタット)
2010-05-24 05:29:48
仮に戦艦同士の砲撃戦が開始されていたらどうなっていたのでしょうか?
乱戦状態に陥った中で、大和主砲の水平射撃に耐えられる艦艇は米海軍には存在していません。
・・・歴史のイフは言いっこなしですけれども。

大和を取り巻く巡洋艦駆逐艦の隻数が多ければ、艦同士の距離を詰めて雷撃ダイブ海面を狭められたのでしょうか?
あ、またイフでした・・・
返信する
やはり小生も (丹治)
2010-05-24 17:11:23
デイヨ少将の戦艦部隊と大和以下の第二艦隊が戦うところを見たかったです。
「歴史にイフは禁物」を承知の上で言います。
敵味方の数からいけば勝ち目はなきに等しかったと思います。
しかし日本艦隊としても「よき死に場所を得た」と思える最期になったのではないでしょうか。

第二水雷戦隊は魚雷戦ができました。
そして大和は敵主力艦に徹甲弾を打込めました。
サマール沖では徹甲弾を発車したとはいえ、
正式空母ではなくて護送用の軽空母でしたから。
装甲のなきに等しい軽空母ですから、
46センチ徹甲弾が命中しても突き抜けるだけで爆発しませんでしたし。

日本海海戦における日本艦隊の丁字戦法は、
世界の海軍軍人のの憧れでした。
スリガオ海峡の米国艦隊は、
水雷艇・駆逐艦、巡洋艦、戦艦という三段構えの丁字戦法による漸減作戦。
秋山参謀の立てた作戦に対する見事な答案でした。
しかも広い日本海ではなくて狭水道における迎撃ですから、
効果も抜群です。

デイヨ少将も、さぞかしこれをやりたかったことでしょう。
相手は何と言っても「デカいヤツ」でしたし・・・

そしてミッチャーからの意見具申を受けて直ちに「お前がやれ」と言ったのですから、
スプルーアンスはリアリストですね。

しかし考えてみれば、航行中の大型艦を航空攻撃で沈めたのも、
坊之岬沖海戦が最後だったのですね。

何回となく戦争は起きても、
太平洋戦争ほどの海戦は生起していません。
海軍の戦闘様式が艦隊決戦とはそもそも違ったものになってしまいました。
しかも現代では肉眼などでは見えぬ距離からミサイルを撃ち合うようになってしまいました。





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クロンシュタット様へ (酔漢です )
2010-05-24 19:18:01
この話題は、やはり興味がありますね。「たられば」は重々承知しております。
当初、アメリカはレイテの武蔵撃沈によって、「大和型」のデータを詳しくシュミレーションしているものと考えておりました。ですが、主砲の口径を含めて「未確認」の情報が多いのに驚きました。戦後のリサーチでも、図面をもう一度書かせたりいたしております。
新たな海戦史となったと考えますが、その「考え」こそ「たられば」なんですね。
返信する
丹治様へ (酔漢です )
2010-05-24 19:26:59
ニ水戦の行動(大和を見立てた水雷攻撃陣形の演習)は、水雷戦へのシュミレーションでした。艦隊決戦のなれば、しかも近距離であればあるほど、雷撃は効果的でした。
大和の主砲と米国戦艦の遠距離戦。そしてアメリカクルーザーとの雷撃戦。おそらく(航海予定表からは→2F作成の方。GFの方ではなくて)夜戦になることは必至でした。さすれば、電探射撃のできる米国に有利かなとも考えます。このコメントも「たられば」ですね。
ハープーンが飛んでくる距離。音速を超えての飛来。舷側甲鉄の厚さが4センチの護衛艦ではひとたまりもありません。それより艦の速力と機動性を重視した現艦船です。たぶん大和も相当の被害を受けると考えますが、ハープン一発では撃沈できないのでした。(もちろん、当たりどころにもよりますが)
すみません・・究極の「たられば」でした。
返信する
矢矧のこと (丹治)
2010-05-25 10:19:17
坊ノ岬沖海戦で空襲が始った後の矢矧の行動は、不可解といえば実に不可解です。
輪形陣の先頭を走っていた艦(「フネ」と読んで下さい)が、その輪形陣を崩す行動に出たのですから。
その行動に理由ありとせば、やはり酔漢さんが仰るように
「敵の攻撃を一手に引受ける」
ということではないでしょうか。

伝統的な日本海軍の夜戦において、
水雷戦隊旗艦は探照燈で目標を照射します。
集中攻撃を浴びるのは覚悟の上。
後続の駆逐艦に目標を示し、
敵の攻撃を引受けることで
駆逐艦による魚雷攻撃を成功させるのが目的です。

第一次ソロモン海戦における第八艦隊旗艦の鳥海も、
コロンババラ島沖夜戦における第二水雷戦隊旗艦の神通も
探照燈で目標を照射しています。
前者では被害は鳥海に集中し(帰途における加古の沈没を除く)、
後者では神通は沈没し、司令官も艦長も戦死しています。

対空戦闘と対水上戦闘の違いこそあれ、
「敵の攻撃を引受けることで味方の作戦遂行を容易にする」という点で
矢矧の行動も鳥海と神通に通じる所があるのではないでしょうか。
ましてや矢矧は水雷戦隊の旗艦。
古村司令官も原艦長も水雷畑の出身です。

兵器の配置その他、阿賀野型の軽巡は非常に進歩したものになっています。

まず主砲ですが、5500トン型の七門に対して六門。
しかし5500型は単装七基でそのうちの二基は艦橋の両舷に装備されているので、
片舷に向けられる主砲は六問のみです。
しかし阿賀野型では一門減ってはいるものの、連装三基を中心線上に配置。
主砲の全てを方舷に向けることが出来るし、射撃管制も容易です。

魚雷発射管はどちらも八門ですが、
5500トン型は連装四基で片舷に二基ずつ。
片舷に向けられるのは発射管の半分に過ぎません。
阿賀野型は四連装二基を中心線上に配置。
これなら全ての発射管を片舷に向けられます。

これは夕張で試験的に行なわれた設計が、大きく開花したものと言えるでしょう。
水雷戦隊旗艦としては理想的な艦です。

ただ残念なことは阿賀野も能代も矢矧も潜水艦の魚雷攻撃や空襲で沈められ、
酒匂は賠償艦として米軍に引渡され原爆実験の標的にされていることです。

「水雷戦隊による魚雷戦が生起しなかったから」と言ってしまえばそれまでですが・・・

やはり大和に91式徹甲弾を打たせてやりたかったように、
矢矧以下の二水戦にも魚雷戦をさせたかったのです。

こう考えるあたり、
歴史と文学どちらにも興味を持ちながら、
根が文学屋である自分を感じてしまいます。
どうも今ひとつ、リアリストにはなり切れません。

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Unknown (ひー)
2010-05-29 21:49:42
読んでいるのですが、なかなかコメントを入れられづ失礼しております。
以前よりUPのピッチが早くなって追いついていない状態です。
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