呑んで帰り、仙台駅。まだ仙石線最終までには時間はありました。
ですが、鹿島台へ帰る友人がおりましたので、酔漢も付き合うこととなりました。
「久しぶりに東北本線で帰っかや」
となりました。
「酔漢、どこで降りんのや?」
「塩釜だべ。おらほじゃ『しんえき』って呼んでっちゃ」
「なして?」
「昔の塩釜駅は、今の仙石線本塩釜駅さぁあったのっしゃ。んで、東北線の支線ばなくして本線さぁ駅作ったのっしゃ。その駅に対してさ『新駅』って呼ぶようになったのっしゃ」
東北線車中。こんな話をしておりました。
塩釜駅着。
「んで、降りからっしゃ」
「んでね」
僕は列車からホームへ降りようとしました。
が、ホームは列車ステップより下。しかも、ホームから隙間が広いことに気づきました。
「あぶねぇなや。酔っ払っていて落ちた奴もいんでねぇかや」
ホームから友人の乗った列車を見送りまして、改札へ向う途中。ふと、ホームを見てあっけにとられました。
線路はまっすぐなのに、ホームがカーブしているのでした。
そのカーブのあたりが結構急で、隙間が広くなっているのでした。
「あれじゃ、ホームさぁ落ちる奴はきっといるんでねぇ」
と、改札へ急ぎました。
それから、しばらく経ちました大学のキャンパスです。昼休み、演劇部の連中との昼食会。(福祉大学、旧第二食堂の「サンマー麺」は、得意でした)
なにげなく、通学電車の話題に。
「おれら、仙台さぁ通ってるときに、(五橋に通っていた頃)仙石線組と東北線組とがいたのっしゃ」と、酔漢。
「下馬から乗るとき、浜の連中が少し恐かった」と、笠神在住の、かんの君(クロンシュタット氏の小・中の後輩ですね。今にして思えば。ちなみに、仙高です)
そんな中、鹿島台から通っております、しま君がおもむろに話し始めました。
「去年、塩釜駅で人身事故があってや。人が死んでんだどや」
「そげな話あったけかや?」
「んだ、思い出したっちゃ。かほぐぅ(「河北」の正しい発音です)さぁ載ったべ」
「なんじょしたのっしゃ?」
「雨さぁ降ってときにや、子供おぶった若い母親が、列車さぁ乗っとき、列車のステップさぁ足滑らせて、ホームの隙間さぁ落ちだんだとや。運さぁ悪い事に、落ちてすぐ、前のめりに転んで列車の間さぁ入ちまってや。それさぁ気づかねぇで、列車が発車したんだと。丁度カーブしてとっこさぁいたもんだからっしゃ、車掌も解んねかったんだとや。一緒に待ってた乗客の騒ぎで列車ばぁ急停止させたんだけんど、子供も母親も、もう即死状態だったんだとや」
「酔漢が、降りたあたりだべ。雪降ってるときなんかあぶねぇんだと。おらほさぁ通っている塩竈の奴が言ってたべ」(鹿島台商業です)
僕らは、昼食を取るのも忘れて彼の話を聞いておりました。
「最近では、車掌が列車から一旦降りて安全確認してっと」
確かに、危ない場所でした。あまりこの駅を利用することがなかったので酔漢も気づきませんでした。
彼の話はこれだけではありませんでした。
「この、『親子の幽霊がホームさぁ出る』って話だべ」
「まじかぁオイ!やんだど!そげな話」
「まぁ、話は最後まで聞きてぇっちゃ」
彼は淡々と話を続けました。
「最終列車や貨物とか夜行の運転手が目撃してんのっしゃ。ちょうど、事故のあったホームさぁ。子供を背負った女性が立ってんだとや。うわさだと駅員も見たらしいっちゃ」
ラーメンが伸びております。
まずは気を取り直して、食べようと思っていた矢先。かんの君がまた静かに語りはじめました。
「おらいの従兄弟から聞いた話しっしゃ。、月見(月見が丘小学校)さぁいたのっしゃ。小学生が2人して東北線の玉川あたりさぁ、カブトムシ取りさぁ行くべということで、線路ば横切ろうした時、貨物さぁ引かれて死んだのっしゃ。死んだのは一人でや、もう一人は重態だったんだとや。んだとも、その土手の下から、急に虫取り網さぁ見えてっしゃ。貨物が急停車すんだと。んでも、人はいねぇのっしゃ。その時の子供の幽霊でねぇかともっぱらの噂だべ」
「ずずずぅー」伸びたラーメンをすする音だけが、テーブルに響きました。
みんな口を開こうとしておりません。
「せんぱぁい。夜寝られないじゃないですか」と、にし君が声を上げました。
「全部、事故だべ。どれも人災だっちゃ。東北線ホームは直せねぇにしても、安全確認は駅員の仕事だべ。見落としじゃすまねぇべさ」いその君が怒り口調で話しております。
確かに、そうです。ですが・・。
一昨年、久しぶりに塩釜駅を使いました。夜、ホームを降りた乗客は酔漢一人。
事故のあったところを振り返りたい気持ちを抑えて改札へ急ぎました。
夏休み恒例「ほらーな話」でした。
ですが、鹿島台へ帰る友人がおりましたので、酔漢も付き合うこととなりました。
「久しぶりに東北本線で帰っかや」
となりました。
「酔漢、どこで降りんのや?」
「塩釜だべ。おらほじゃ『しんえき』って呼んでっちゃ」
「なして?」
「昔の塩釜駅は、今の仙石線本塩釜駅さぁあったのっしゃ。んで、東北線の支線ばなくして本線さぁ駅作ったのっしゃ。その駅に対してさ『新駅』って呼ぶようになったのっしゃ」
東北線車中。こんな話をしておりました。
塩釜駅着。
「んで、降りからっしゃ」
「んでね」
僕は列車からホームへ降りようとしました。
が、ホームは列車ステップより下。しかも、ホームから隙間が広いことに気づきました。
「あぶねぇなや。酔っ払っていて落ちた奴もいんでねぇかや」
ホームから友人の乗った列車を見送りまして、改札へ向う途中。ふと、ホームを見てあっけにとられました。
線路はまっすぐなのに、ホームがカーブしているのでした。
そのカーブのあたりが結構急で、隙間が広くなっているのでした。
「あれじゃ、ホームさぁ落ちる奴はきっといるんでねぇ」
と、改札へ急ぎました。
それから、しばらく経ちました大学のキャンパスです。昼休み、演劇部の連中との昼食会。(福祉大学、旧第二食堂の「サンマー麺」は、得意でした)
なにげなく、通学電車の話題に。
「おれら、仙台さぁ通ってるときに、(五橋に通っていた頃)仙石線組と東北線組とがいたのっしゃ」と、酔漢。
「下馬から乗るとき、浜の連中が少し恐かった」と、笠神在住の、かんの君(クロンシュタット氏の小・中の後輩ですね。今にして思えば。ちなみに、仙高です)
そんな中、鹿島台から通っております、しま君がおもむろに話し始めました。
「去年、塩釜駅で人身事故があってや。人が死んでんだどや」
「そげな話あったけかや?」
「んだ、思い出したっちゃ。かほぐぅ(「河北」の正しい発音です)さぁ載ったべ」
「なんじょしたのっしゃ?」
「雨さぁ降ってときにや、子供おぶった若い母親が、列車さぁ乗っとき、列車のステップさぁ足滑らせて、ホームの隙間さぁ落ちだんだとや。運さぁ悪い事に、落ちてすぐ、前のめりに転んで列車の間さぁ入ちまってや。それさぁ気づかねぇで、列車が発車したんだと。丁度カーブしてとっこさぁいたもんだからっしゃ、車掌も解んねかったんだとや。一緒に待ってた乗客の騒ぎで列車ばぁ急停止させたんだけんど、子供も母親も、もう即死状態だったんだとや」
「酔漢が、降りたあたりだべ。雪降ってるときなんかあぶねぇんだと。おらほさぁ通っている塩竈の奴が言ってたべ」(鹿島台商業です)
僕らは、昼食を取るのも忘れて彼の話を聞いておりました。
「最近では、車掌が列車から一旦降りて安全確認してっと」
確かに、危ない場所でした。あまりこの駅を利用することがなかったので酔漢も気づきませんでした。
彼の話はこれだけではありませんでした。
「この、『親子の幽霊がホームさぁ出る』って話だべ」
「まじかぁオイ!やんだど!そげな話」
「まぁ、話は最後まで聞きてぇっちゃ」
彼は淡々と話を続けました。
「最終列車や貨物とか夜行の運転手が目撃してんのっしゃ。ちょうど、事故のあったホームさぁ。子供を背負った女性が立ってんだとや。うわさだと駅員も見たらしいっちゃ」
ラーメンが伸びております。
まずは気を取り直して、食べようと思っていた矢先。かんの君がまた静かに語りはじめました。
「おらいの従兄弟から聞いた話しっしゃ。、月見(月見が丘小学校)さぁいたのっしゃ。小学生が2人して東北線の玉川あたりさぁ、カブトムシ取りさぁ行くべということで、線路ば横切ろうした時、貨物さぁ引かれて死んだのっしゃ。死んだのは一人でや、もう一人は重態だったんだとや。んだとも、その土手の下から、急に虫取り網さぁ見えてっしゃ。貨物が急停車すんだと。んでも、人はいねぇのっしゃ。その時の子供の幽霊でねぇかともっぱらの噂だべ」
「ずずずぅー」伸びたラーメンをすする音だけが、テーブルに響きました。
みんな口を開こうとしておりません。
「せんぱぁい。夜寝られないじゃないですか」と、にし君が声を上げました。
「全部、事故だべ。どれも人災だっちゃ。東北線ホームは直せねぇにしても、安全確認は駅員の仕事だべ。見落としじゃすまねぇべさ」いその君が怒り口調で話しております。
確かに、そうです。ですが・・。
一昨年、久しぶりに塩釜駅を使いました。夜、ホームを降りた乗客は酔漢一人。
事故のあったところを振り返りたい気持ちを抑えて改札へ急ぎました。
夏休み恒例「ほらーな話」でした。
サンマー麺ですが、初めて名前を聞いた時は「何じゃこりゃ」って思いましたよ。それこそ
「大根で風呂桶を拭くからふろふき大根」みたいに、サンマが一匹、尾頭つきで乗ってるんじゃないかって・・・
あれ、「もやしそば」なんですよね。漢字で書くと「生媽」だったかな?サンマーって、中国語でもやしのことなんだそうです。
横浜地区、或いは神奈川県では「サンマー麺」。多摩川を東に越えると「もやしそば」になるんだとか。
初夏の頃だったかな、テレビで見ました。横浜の港湾労働者の人たちがラーメン一杯で「おなかも一杯、体はホカホカになるように」って作られたラーメンだとのことでした。そういえばサンマー麺のスープって、あんかけですもんね。
卒業してから高校の近くに出来たラーメン屋さんでも「もやしそば」じゃなくって「サンマー麺」を出してます。あそこのマスター、横浜出身って言ってたっけ。
そのテレビを見た次の日、そのお店に行って「サンマー麺」を註文したのが丹治です。
あんまり申し訳ないんで、ちょっとホラーな話も書きます。
あれは小生が石名坂のアパートで一人暮しをしておった頃のこと。アパートの近くに舟丁のセブンイレブンがあって、その前が押しボタン式信号の横断歩道になっとりました。
ある夜のこと、ボタンを押して歩行者用信号が「青」になったのを確認して渡ったんですけどね・・・トラックがブレーキもかけずに猛スピードで突っ込んでくるじゃありませんか。慌てて飛びのいたものでした。
一杯機嫌だったけど、歩行者用信号は「間違いなく」青でした。あれ、きっとキツネのしわざです。キツネが横断歩道の幅をわざと長くするか、青信号の点灯時間を短くするか、やらかしたに違いありません。
え、「ホラーでも何でもないじゃないか」ですって? どうも失礼しました。海より深く反省しております・・・
新駅から山王の間、今の国府多賀城から塩釜よりの所は、かぶと虫を取りに行ったものです。
あそこには、人しか渡れない踏み切りがあって、良く自殺者が居ました。
事故があると、係員が肉片を集めているのです。近くの山でも松の木に首をつっていたのですが、今では住宅地になり、住んでる人はわがんねべね~
今でも出るという踏み切りを今度UPしましょう。いや止めときます。同級生も見てるんです。そいつらと今から飲み会です。
んでまず! 行って来ます。
こちらのラーメン屋の定番でございます。
このラーメンですが、仙台で知り、藤沢で味わっております。
また、語ってしましました「ほらー」でした。
あのあたりはクヌギが多く生えた林があるのでした。カブト虫が多かったですね。
やはり知っておられましたか。
線路を渡らなければ林に行けませんでした。
毎度のことながら・・
「いいなぁや」
「まぜてけねぇすかや?」
と、叶わぬ思いを、藤沢から・・デス!
最近涼しくなりましたが、
それにしても、こういう話はいつ聞いてもゾッとします。
サンマー麺って初めて聞きました。
こちらでは、全く聞いたことがないです。
チャンポンのようなラーメンなのかな?
サンマー=もやしの事のようです。
(丹治さんからのコメント借用)
横浜~湘南のラーメン屋には必ずメニューに載ってます。炒めたもやしのあんかけラーメンで基本は醤油(店によって塩)です。
ブログへおじゃまいたしました。
来年の4月、「大和」を少しばかり語ろうかと思っております。
三小からミクニ幼稚園、さらに西塩釜駅、市民病院・・・
商店街もなく、どことなくうらぶれた(在住の方、スマン)道に思えます。
さらに、駅の改札からホームへ通じる地下道がたまりません。
常々何かあるな、とは思っておりましたが、やっぱり。
もともと塩竃は、多賀城の「鬼門」を守る社の立地が始まりですからね(多賀城の方がエライぞ派)。
話は飛んでしまいますが、現実のこの悪天候の方が恐ろしいです。
藤沢や仙台塩竃多賀城は大丈夫ですか?
「数秒ごとの落雷」が夜にやってくると、音響よりもその明るさで眠れなくなります。
恐ろしさを通り越して、笑ってしまいました。
近所の神田川(かぐや姫ですな)と玉川上水(太宰ですよね)は濁流です。
また話は飛びますが、神田川と玉川上水は、長年私の人生に付きまとって来ました。
よもやそばに住もうとは・・・
藤沢周辺は、その周りで大雨が降ったわりには、たいしたことがありません。と、言いますか、大雨の様子はテレビで知ったというのが実情でした。
お住まいの辺り、被害はどうですか?