アーミテージ元米国務副長官ら超党派の米有力者グループは15日、日米同盟に関する報告書を発表した。日米韓の強力な
関係が地域の安定と繁栄に不可欠だとして「米国は最大の外交努力を傾注して日韓の緊張を緩和すべきだ。日本も歴史問題を
直視しなければならない」と、日韓関係改善のために対応を促した。
報告書は、アジア太平洋地域が大きな変化の時代を迎えていると指摘。日本は「一流国家であり続けたいのか、二流国家で
満足するのか」の決断を迫られ重大な転機にあるとして、長期にわたり混迷が続く日本の政治に警告を発した。
8月15日 共同通信 発
「おい、暇か?」
「何?」
「ドライブ!」
「どこまで?」
「横須賀」
横須賀に出かけようと、朝ふと思いました。
以前「くだまき」にいたしましたが、父の尋常小学校同級生にお会いするためです。
祖父家族が住んでおりました横須賀市不入斗町。そこに「西来寺」という大きな寺がありますが、その正面の酒屋さんです。
叔母も叔父もその酒屋さんはよく覚えておりまして、祖母も買い物をしたらしいとの事。
そこに向かいました。
父が亡くなった事を報告します。
「そうですか・・・お亡くなりに・・・この年になると、そんな話ばかり聞くようになりまして・・」
その後の会話の中で。
「今、95歳になるおばあちゃんが住んでいて、酔漢さんご家族の事を憶えているようなんですよ」
家族の事を知る方が存命している。
これは、大変ありがたい事でもあります。
そばで話を聞いている年下です。
「じいちゃんの同級生?」
「そうそう」
「この寺の境内でじいちゃんは遊んだ・・」
猛暑の中、回りの風景に目をやっております。
時間がありました。
横須賀市内で昼食を取って。
「三笠、見た事ないんだろ?」
「戦艦か?ない」
と、三笠公園へ。
酔漢は何度か足を運んでおりますが、彼は、初めてです。
「案外でかいな!」
「30サンチ4門。当時では大型戦艦のうちに入る。イギリス製だ」
そんなうんちくを聴いているのかいないのか、艦内を珍しそうに歩いております。
初公開。その年下君です。愛用の帽子は父からもらったもの。サングラスはロードバイク用「ランスモデル」です。
さて、日本海海戦の史実は、皆様よくご存知の通りです。
連合艦隊はロシアバルチック艦隊に大きな打撃を与えております。
歴史的にみて、このタイミングが重要になって来ます。
少しばかりその背景を見てみます。
その日本海海戦が終わったのが、明治38年5月28日。
満を持したように、5月31日。
小村外相が高平駐米公使にあててセオドア・ルーズベルト米大統領に日露講和の斡旋の依頼をしております。
このタイミングが巧妙です。
「戦争を上手に終結させる。これには、逆算が必要である」
外交のいろはです。
日。露双方に最早戦争継続の余裕は無くなっております。
特に、ロシアは、「ロシア革命」直前であり、国内に大きな問題も抱えています。
その直後セオドア・ルーズベルト大統領の斡旋工作により、日露ともその提案に乗じ、「ポーツマス条約」が締結されます。
賠償金の獲得ができない事から、日比谷焼打ちなどの事件も国内で起こります。
ですが、ここで語ることは致しません。
酔漢は、その外交の手際の良さを思います。
諜報活動にヨーロッパを暗躍していた「明石元次郎」です。
ロシア革命に加担することで、ロシアを内から揺さぶる工作を行います。
(レーニンとの会談は、これは記録がなく、史実ではなかったかと考えております)
陸軍参謀本部参謀次長・長岡外史は、「明石の活躍は陸軍10個師団に相当する」と話。
ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、「明石元二郎一人で、満州の日本軍20万人に匹敵する戦果を上げている。」と記録を残しております。
これが、条約締結へ向けての準備であり、外交手腕の高さを物語る史実と考えます。
日本が、明治となり約40年。
半世紀で、欧米列強と同じ机を並べ、堂々と意見を主張することが出来る。
これは、世界史的に見ても稀有なことであり、日本人のスキルの高さを物語っているように感じます。
(その後の世界史に於いて、その功罪についても、また別の視点ですので、ここでは控えます)
冒頭のアメリカ元国務副長官の言葉です。
何をもって一流なのか二流なのか。その定義があいまいではありますが、そうしたイメージでもって日本は現在評価されているという事実です。
総理大臣が、日米同盟の勉強不足からその発言で迷走した沖縄普天間の問題。
昨年のロシア大統領の北方領土上陸視察。
そして、竹島での韓国大統領の上陸。
尖閣諸島での対応。
外交の迷走状態から未だ抜け出す術を見出せないのではないか。
抑止力は外交が機能して初めて効力がございます。
先の大戦において、外交政策の甘さがどれだけ国民を死に至らしめたか。
現政権を含めて今一度勉強する必要があるのではないのでしょうか。
三笠が記念艦になったのは日本海海戦の勝利のみではないような気がします。
現に、「小村寿太郎」「高平小五郎」などその外交政策を評価する(小村寿太郎の会議での進行において、その手腕を疑問視されてはおりますが、やはり、ここでは、語ることといたしません)ブースが設けられております。
三笠艦上から、猿島を見ます。
「お前の曾爺さんは、ここから猿島までの遠泳に参加したんだ。お前どうだ?泳げそうか?」
「距離感はある。波次第だな。いけると思うよ!」
自信たっぷりに答えておりました。
皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ
何も、海戦時ばかりに使われるのではない。
こう思い、三笠公園を後にいたしました。
関係が地域の安定と繁栄に不可欠だとして「米国は最大の外交努力を傾注して日韓の緊張を緩和すべきだ。日本も歴史問題を
直視しなければならない」と、日韓関係改善のために対応を促した。
報告書は、アジア太平洋地域が大きな変化の時代を迎えていると指摘。日本は「一流国家であり続けたいのか、二流国家で
満足するのか」の決断を迫られ重大な転機にあるとして、長期にわたり混迷が続く日本の政治に警告を発した。
8月15日 共同通信 発
「おい、暇か?」
「何?」
「ドライブ!」
「どこまで?」
「横須賀」
横須賀に出かけようと、朝ふと思いました。
以前「くだまき」にいたしましたが、父の尋常小学校同級生にお会いするためです。
祖父家族が住んでおりました横須賀市不入斗町。そこに「西来寺」という大きな寺がありますが、その正面の酒屋さんです。
叔母も叔父もその酒屋さんはよく覚えておりまして、祖母も買い物をしたらしいとの事。
そこに向かいました。
父が亡くなった事を報告します。
「そうですか・・・お亡くなりに・・・この年になると、そんな話ばかり聞くようになりまして・・」
その後の会話の中で。
「今、95歳になるおばあちゃんが住んでいて、酔漢さんご家族の事を憶えているようなんですよ」
家族の事を知る方が存命している。
これは、大変ありがたい事でもあります。
そばで話を聞いている年下です。
「じいちゃんの同級生?」
「そうそう」
「この寺の境内でじいちゃんは遊んだ・・」
猛暑の中、回りの風景に目をやっております。
時間がありました。
横須賀市内で昼食を取って。
「三笠、見た事ないんだろ?」
「戦艦か?ない」
と、三笠公園へ。
酔漢は何度か足を運んでおりますが、彼は、初めてです。
「案外でかいな!」
「30サンチ4門。当時では大型戦艦のうちに入る。イギリス製だ」
そんなうんちくを聴いているのかいないのか、艦内を珍しそうに歩いております。
初公開。その年下君です。愛用の帽子は父からもらったもの。サングラスはロードバイク用「ランスモデル」です。
さて、日本海海戦の史実は、皆様よくご存知の通りです。
連合艦隊はロシアバルチック艦隊に大きな打撃を与えております。
歴史的にみて、このタイミングが重要になって来ます。
少しばかりその背景を見てみます。
その日本海海戦が終わったのが、明治38年5月28日。
満を持したように、5月31日。
小村外相が高平駐米公使にあててセオドア・ルーズベルト米大統領に日露講和の斡旋の依頼をしております。
このタイミングが巧妙です。
「戦争を上手に終結させる。これには、逆算が必要である」
外交のいろはです。
日。露双方に最早戦争継続の余裕は無くなっております。
特に、ロシアは、「ロシア革命」直前であり、国内に大きな問題も抱えています。
その直後セオドア・ルーズベルト大統領の斡旋工作により、日露ともその提案に乗じ、「ポーツマス条約」が締結されます。
賠償金の獲得ができない事から、日比谷焼打ちなどの事件も国内で起こります。
ですが、ここで語ることは致しません。
酔漢は、その外交の手際の良さを思います。
諜報活動にヨーロッパを暗躍していた「明石元次郎」です。
ロシア革命に加担することで、ロシアを内から揺さぶる工作を行います。
(レーニンとの会談は、これは記録がなく、史実ではなかったかと考えております)
陸軍参謀本部参謀次長・長岡外史は、「明石の活躍は陸軍10個師団に相当する」と話。
ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、「明石元二郎一人で、満州の日本軍20万人に匹敵する戦果を上げている。」と記録を残しております。
これが、条約締結へ向けての準備であり、外交手腕の高さを物語る史実と考えます。
日本が、明治となり約40年。
半世紀で、欧米列強と同じ机を並べ、堂々と意見を主張することが出来る。
これは、世界史的に見ても稀有なことであり、日本人のスキルの高さを物語っているように感じます。
(その後の世界史に於いて、その功罪についても、また別の視点ですので、ここでは控えます)
冒頭のアメリカ元国務副長官の言葉です。
何をもって一流なのか二流なのか。その定義があいまいではありますが、そうしたイメージでもって日本は現在評価されているという事実です。
総理大臣が、日米同盟の勉強不足からその発言で迷走した沖縄普天間の問題。
昨年のロシア大統領の北方領土上陸視察。
そして、竹島での韓国大統領の上陸。
尖閣諸島での対応。
外交の迷走状態から未だ抜け出す術を見出せないのではないか。
抑止力は外交が機能して初めて効力がございます。
先の大戦において、外交政策の甘さがどれだけ国民を死に至らしめたか。
現政権を含めて今一度勉強する必要があるのではないのでしょうか。
三笠が記念艦になったのは日本海海戦の勝利のみではないような気がします。
現に、「小村寿太郎」「高平小五郎」などその外交政策を評価する(小村寿太郎の会議での進行において、その手腕を疑問視されてはおりますが、やはり、ここでは、語ることといたしません)ブースが設けられております。
三笠艦上から、猿島を見ます。
「お前の曾爺さんは、ここから猿島までの遠泳に参加したんだ。お前どうだ?泳げそうか?」
「距離感はある。波次第だな。いけると思うよ!」
自信たっぷりに答えておりました。
皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ
何も、海戦時ばかりに使われるのではない。
こう思い、三笠公園を後にいたしました。
ケーブルテレビの「ディスカバリー」や「ヒストリー」で時たま特集を組んでますね。
映像は、それだけでリアルな情報を与えてくれますが、編集によって見方が変わる怖さもありますね。
この視点から大和をかたろうかと思っております。
無料動画です。その中に戦時中の映像をまとめた番組が数本あります。
先日までは、満州関連や裁判の様子をやってました。
まぁ、それはともかく、今の外交や政府の態度は、役所のお偉いさんそのものです。
自分がその部署に配属されている間は何事もなく済ませたいのです。つまり問題を犯したくない、そして今まで通りで、改革などは必要なく無事に任期を終らせたいと思っているのでしょう。
情けないものです。あれじゃ弱腰外交ではなく、逃げ腰外交です。
整理し、くだまき本編で語りたいと考えております。
GF司令長官は、前線指揮が伝統ですよね。
アドミラル東郷として世界に評価されているのは、防空壕の中からではなく、しっかり艦橋にいたことなのではないか。こう考えてしまいました。
小滝司令の言葉を思い出しました。
「三笠」には私も数年前に行きました。今の物差しから見れば「大したことないじゃん」で済まされる戦艦三笠ではありますが、三笠と東郷司令官、そして当時の政府が果たしたものは大変大きかったと思います。
そこへ行くと今の日本政府や外交はどうしたものだか。
外交を操る「日本人」自体がとても小物になってしまったようで忸怩たる思いしかありません。
Z旗。
人生の要所要所で掲げたい旗です・・・