酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

タランボ

2012-08-23 11:05:13 | さぁ楽しい「音・画」の時間だ!
1976年公開の映画「ミッドウェイ」その冒頭のシーン。
B-25一機が東京上空に侵入し、東京が空襲されます。
B-25は、艦載機ではありません。軍令部でも「どこからやってきたのか」これを掴みきれないでおりました。
この有名なシーンなのですが、(史実通りです。昭和17年4月18日)この映像が、本編の映像と色が違っている事にお気づきの方は多くいらしたかと存じます。



このシーン。別な映画より構成されております。
「東京上空三十秒」という映画。
大型爆撃機B-25を航空母艦へ搭載させ、日本を空襲しようとする作戦を映画にしたものです。
脚本が「ドルトン・タランボ」でした。
この脚本家の名前をご存知の方も、多いかと思います。

1956年8月。
メキシコ。
某市。
工事現場。
「オイ!そこの!お前だ!いつになったら車(手押し車)をまっすぐ押すことが出来るんだ!」
「すみません!」
52歳のこの男。
工事現場の日雇いで働いております。

その年の映画の祭典。アカデミー賞のノミネートが発表されました。
映画専門誌の編集部内。
「今年はハリウッドより外国作品がすごいよなぁ。お前どれが良かった?」
「やっぱりですねぇ・・・俺編集長泣いちゃいましたよあの『道』。フェリーニ監督のイタリア映画。音楽も良かったじゃないですかぁぁ」
「やはり力説するんだなぁ」
「編集長!私はですねぇ・・」
「わかったわかった!あれだろ?お前のいつものセリフ『KUROSAWA』」
「そうなんですよ。もう公開から何度も観ちゃいました『七人の侍』。これガンマンが登場する奴より面白い事間違いない!」
「だよなぁ。ハリウッドがすこしなぁ。『王様と私』『戦争と平和』『八十日間世界一周』・・・・そうだ!思い出した。俺好みなんだがな『ジェームス・ディーン』の『ジャイアント』。これは良かった」
「ですがね。編集長。気になりません?原作賞候補のこいつ・・」
「何だ?おい。注目するのって『上流社会』の『エルウッド・ウルマン』の他は・・」
「こいつです、こいつ!『ロバート・リッチ』っていう新人」
「・・・そういえば、俺も読んだけど・・新人とは思えない脚本だよなぁ」
「そうなんですよ。過去、どれにも作品を発表していない新人がですよ。いきなりアカデミーの候補なんですよ。あり得ないでしょ」
「どうも・・・臭いなぁ・・・」
「でしょぉぉぉ!『新人じゃないって』。もっぱらの噂なんですよ」
「誰か、心当たりは?」
「『タランボ』。『ドルトン・タランボ』じゃないかって・・」
「おい!本当か?どこからそんな大ニュースを手に入れた!」
「確信はないですよ。ですが、この前、別な映画雑誌の編集者がそんな事を言っていて・・」
「タランボは今どこにいるんだ?」
「『ハルウッドテン』のメンバーでしたからね。表だった活動はできない訳でして・・・」
「んなこたぁ。知っている!今から調べろ!」

「『ドルトン・タランボ』今一度尋ねよう。君はかつて、共産党活動に従事したことがあるかね?」
1947年10月。アメリカ政府による「非米活動第一回公聴会」
トルーマン米大統領は、戦後政策に於いて、ソ連を脅威とし、徹底的な「赤狩り」を行います。
ハリウッドは、大衆への影響が大きい処からその最初の標的になりました。
「ここはアメリカではなかったのか!アメリカならば、言論の自由、表現の自由は認められているはずだ!」
タランボは、証言を拒否致します。
尋問は続きます。
「ならば聞くが。君が共産党員であったか?これに明確に答えることこそアメリカ人ならむしろ誇りに思うはずなのだ!」
「もう一度言います。全てのアメリカ人は言論の自由。そして黙秘権を持っている。あなたは、何の権利があって憲法に背く質問を私に投げかけるのか!」
「君の今の質問はアメリカ合衆国議会を冒涜するものと判断する。議会侮辱罪で裁判となる」
「私の知っている過去のアメリカはこんな仕打ちすら否定していたはずだ!」
1950年。タランボをはじめとする10名が、「議会侮辱罪」の刑により禁固1年を言い渡されます。
この10名は「ハリウッドテン」と呼ばれます。
タランボは獄中その手記の中でこう書いております。
「アメリカの自由の中で私は生きてきた。しかし、今のアメリカは真のアメリカの姿ではない。ハリウッドはハリウッドでなくてはならない。私はアメリカと闘うことを決心した」

「すみません。モーリス・キングさんですよね。少し話題の映画についてお聴きしたいことがありまして・・」
「君は誰だ!まずは、名乗ってもらおうか。それが先と言うものと親から教わらなかったのかね?」
「こいつぁ、失礼しました。私、映画専門誌の者なのですが、アカデミー原作賞候補『黒い牡牛』についてなんですがね?」
「すまん!急いでいるんだ。失礼する!」
「ちょ。ちょっと待って下さい!あの歩きながらで結構です。一つだけ質問に答えてください。あの脚本を書いた『ミスター。ロバート・リッチ』って、嘗てのハリウッド10の一人。『ドルトン・タランボ』ではないですか?」
キングの足が止まります。顔が引きつっております。
「どこから・・・そんなデタラメな事・・・を!わしは知らんぞ!」
「あなたの顔を見て確信しましたぁ。タランボ氏は今どこに!どこにいるんですか?」

メキシコ。某市。工事現場。
「おーーい。食事の時間だぁぁ」現場監督の声。
「お前は別だ!早くこの瓦礫を片付けるんだ!」

「編集長。あの男です。あれが『タランボ』ではないかと・・」
「おい!うそだろ!一本の脚本で75000ドルも稼いでいた男が日給500ドルの生活?ところであの状態で一体どうやって脚本を書く時間があるんだ。人違いもいい処だ。メキシコまで無駄足」
「編集長!」
「俺は帰るゾ!」
若い編集者はですが、彼がタランボだと信じております。
「俺が証明してやる」
彼は、その男の後をつけます。
あるアパートの一室。夕方、その男が帰宅します。
そして夜遅く、未明に近い時間。部屋の明かりが消えていない事に気づきました。
「あんまりやりたくないんだけど・・・」双眼鏡で部屋を除く編集者。
「何か書いてる。原稿用紙だ!あの集中する姿『タランボ』タランボそのものの姿だ!彼は生きていた。脚本を書いているんだ!」
双眼鏡のレンズが涙で曇ってくるのが解りました。
「一代スクープ!『黒い牡牛の脚本家。ロバート・リッチはタランボであった』か。無能な編集長はどんな顔するんだ?」
しかし、ふと彼はその記事掲載を取りやめます。
「アカデミー賞の授賞式。彼(タランボ)は信じている。発表後でも遅くは無い」
「とんだ無駄足!メキシコの出張費は自費だからな!」
「はいはい!解りましたヨ!」
アカデミー賞発表の日を迎えました。

1957年3月29日。
「1956年度、アカデミー賞授賞式です」
会場には、タキシード、ドレスを着飾った有名俳優。映画スタッフが勢ぞろいしております。
自宅でテレビを見つめるタランボ。
「いよいよ始まる・・」
そして、原作賞(原案賞)の発表。
司会が発表致します。
「1956年度、アカデミー原作賞の発表です!」
手元の封筒に鋏をいれてそのメモを取り出す司会者。
「1956年、アカデミー原作賞は・・・・ミスター。ロバート・リッチ。黒い牡牛。黒い牡牛に決定致しましたぁぁ!」
テレビでその瞬間を見つめるタランボ。
涙があふれてまいります。
「ハリウッドは・・・ハリウッドは・・・よい作品までも葬ることはしなかった!その魂までも葬ることだけはしなかったんだ!」
タランボは隣にいる妻の手をじっと握ったまま、ひたすら泣いておりました。
会場がざわめきます。
「ミスター・ロバート・リッチ早く檀上へ!ミスター・ロバート・リッチ。どこにいるのですか?」
「はははは・・・・私は逃げも隠れもせん。ここにいるよ!ここに・・」
テレビの前でつぶやくタランボでした。
翌日。新聞紙面。
「前代未聞の受賞拒否。『黒い牡牛 原作賞 ミスター・ロバート・リッチ』」



メキシコに住んでいた祭、その原案を練っていたタランボ。
この受賞拒否事件は、その後「アカデミー賞 原作賞(原案賞)は廃止」となります。

1960年。実名でハリウッドへの復帰を果たします。
「栄光への脱出」




ポール・ニューマンがみずみずしい演技を見せております。
それにもまして、「アーネストゴールド」のこの曲は映画音楽史上に輝く名曲と言えます。
ですが、アメリカでは上映する映画館に恵まれません。
ベトナム戦争真っ最中という背景が、その影響を受けるのです。
しかし、ハリウッド10のメンバーで唯一、実名で復帰を果たし、その作品の評価を見直されてまいります。
そして、ついに、自ら脚本を書き、メガホンを取った作品が発表されます。





タランボの執念がこの作品に表現されております。
この執念以上のものが、この作品から伝ってまいります。
これほど、「打ちひしがれた」という思いを引きずったまま映画館を出たのは、この作品だけでした。
(「打ちのめされた!」は多々あるのですが・・)
仙台は一番丁「名画座」は満員。高校1年生の酔漢。
一週間に8回立てづづけて観た映画でした。(近くに今は有名な映画監督となりました某君もおりました・・)
自身で消化することが出来ず現在に至っております。
ですが、そのような状況は、先の大戦時において何万名のかたがもしかしたら同じ思いを背負っていたのではないか。
こうも思えて参ります。
「なんじょしたったや・・いぎて(生きて)けぇって(帰って)もらいでがったっしゃ」
父の想いも感じてしまいます。
大和を語る。茂木史朗航海長ご遺族からのコメントも同様でございました(茂木航海長は花田掌航海長と共に、大和と運命を共にされておられます)

先月、尤も頼りにしている先輩が事故に遭いました。
この映画の重みをふと思い出しました。
「ある友人君」との電話での会話。
「酔漢君の気持ちが萎えてしまったらどうしようもない!ひたすら信じるんだ!『ジヨニーは戦場へ行った』あの映画。あれは奇跡じゃない。実際にあるんだ!」
人の命の強さを改めて心に刻みました。

「オードリー・ヘップバーン」主演と言えば「ローマの休日」
脚本「イアン・マクレラン・ハンター」
彼は、この作品でオスカーを手にしております。
「お前の名前で作品を書かせてくれないか」
タランボの依頼を断らなかったハンターでした。
「ドルトン・タランボ」の名前でクレジットされたのが2003年のリメイク版から。
作品公開から半世紀が過ぎようとしておりました。


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2 コメント

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萎えない心 (とある友人と呼ばれる男)
2012-08-25 14:14:38
「ジョニーは戦場に行った」は多分、酔漢さんと同じ時期に名画座で見ています。
すると・・・私は中学二年か。ませた嫌なガキだったなあ(笑)
主人公はロックトイン患者と呼ばれる状態ですけど、昨今だと脳の血流量の変化で、有る程度の感情が分かるところまで医学はきているし、リハビリも一部では話題になっている促通反復療法など日進月歩です。かつては脳細胞は年齢共に破壊される一方だと考えられていたけど、実はそんな事はないし、脳の中枢神経もノーベル賞をもらった利根川進さんが再生可能にする遺伝子を発見しています。
そんな風に自分たちの知らないところでも世界は動き、いろいろな事が起きていて、不可能を可能にしている。だから萎えてしまったらね、駄目ですよ。少なくとも信じ続けたり、やり続けたり、そんな継続の先にしか奇跡は起きないと思います。
ちょっと上からマリコで偉そうかな(笑)
マッカーシズムにも言いたい事はあるけど、主題は映画なので止めます。それにしても「ジョニーは戦場に行った」と「ローマの休日」では、随分とまあ違う。そんな多様な人間の感性に、改めて感心してしまいますね。
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ある友人君へ (酔漢です)
2012-08-26 07:29:21
考えますれば・・・初めてのコメント?
いろいろやり取りしてたから、違和感がなくて・・。
あの映画館におりましたか。中学生の時代?塩竃からですよね。流石!です。
猫写真家君が今そう言った高度脳機能障害リハビリテーションの専門だと聞きました。(本人から)
彼の復活を強く信じる。これが大事ですよね。

タランボがローマの休日の脚本。これが分かったとき、オスカーの賞金はどうしたんだろう?と考えました。
やはり、タランボへ渡したそうです。
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