酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

ノグチⅢ

2014-01-17 09:24:22 | もっとくだまきな話
1913年。場所ウィーン。
ドイツ自然科学医学者会議。
単に、参加ではありません。
番外編での登場「招待選手扱い」なのでした。
この場の招待選手とはどういう意味を持つのでしょう。
各国の名だたる医学者を前にし、自身の研究成果を直接講演する立場なのです。
世界がノグチの発表を生で聴く、そして、彼から直接教えを乞う。
こうした立場なのです。

彼は、それを十分に生かします。
ロックフェラーの巨額な資金を武器に、スライド上映。並びに必要とあればプリントを惜しげもなく配布しております。
大成功でした。
この会議の年の「目玉」的存在だったのです。

「まずは、この映像を見て下さい。これが『トレポネーマ・パリドゥム』です。これはお手元の資料にもありますように、麻痺性痴呆患者の脳内から発見されたものです」
会場がどよめきます。
「そして、これが、兎を使っての純粋培養の結果であり・・・・・」
ノグチの言葉をかたずを呑んで聴いております。
正しく、「ノグチ」絶頂の瞬間です。

「ノグチ君。君に逢いたがっている人がいるのだがどうだろう?君も相当忙しいと見えるが・・」
とノグチに話しかけているのは真鍋嘉一郎です。
学閥偏重の医学界に於いて、この真鍋だけは、ノグチを尊敬し、帝大での接点を持とうとします。
真鍋は、青山の愛弟子。しかし、ヨーロッパではもはや、ノグチの名声はそれをも遥かにしのいでおります。
「さて、時間を作るのは可能だが、一体誰なんだい?」
「ドイツ医学会会長の『ミュラー先生』だよ」
「なんだって、あのミュラー博士が、僕に?」
「昨日、電報が届いてね、ミュンヘンまで迎えに行こうか・・・こうあった」
「まさか・・・ミュラー博士が出向いて来られるなんて・・で僕はどうすれば・・」
流石に、ノグチも多少は(どころではないのですが・・・)緊張しながら真鍋の話を聴いております。
実際、ノグチはミュンヘンでミュラーの招きで公演を行っております。
史実で綴れば、これだけの事なのですが、これは医学会史上稀有な出来事なのです。
これは、キタサトの件でも語りましたが、世界の医学界も本流はドイツであって、アメリカでもイギリスでもまして、日本でもないのです。
しいてあげればフランスはドイツと共に、細菌学では先進国ではありますが、実績は「パストゥール研究所」だけであって、他の研究機関、大学ではそうでもありません。
ドイツ医学会は「キタサト」「シガ」の功績により、日本へのアレルギーは、払拭されてはおりますが、「教えを乞う」までは行ってはおりません。
ましてアメリカの研究所ですから、殆ど、史上初!ばかりなのです。
このミュンヘンのあとはエールリッヒ(パウル・エールリッヒ→ノーベル医学賞・化学賞受賞者 細菌学者)の招きで、フランクフルトで講演を行っております。

ノグチのヨーロッパ滞在期間は51日間。
ミュンヘン・コペンハーゲン・オスロ・ベルリン・ロンドン・・・・・
10都市の訪問と11回の講演。
38回もの晩餐会への招待。

「是非、私の大学でも、講演会を!」
毎日依頼があったのです。

「ノグチ博士、ノーベル賞は確実ですね!」
「私が?いやぁ、まだですよ」
と応えるノグチですが、内心は「ノーベル賞は是非欲しい」と思っております。
何故それほど・・。
ノグチ日本への帰国を望んでいるからです。
「ノーベル賞を取れば、あの帝大の連中も俺を無視できないはずだ」
これは、彼の本音です。

実際、二度、候補になっているノグチです。
ですが、第一次世界大戦の勃発によって賞自体が無くなります。
歴史のたられば・・はくだまきでは何度も出てまいりますが、この未受賞の史実も思います。
(実際、この段階ではノグチの発見は正しいとされ、後の間違いが分るまではだいぶ時間を要するわけです)

晩餐会での席、ノグチは何度もこう聞かれます。
「どの席上にも日本の記者は少ないけれども、凱旋帰国の日程はお決まりですか?」
何時もの質問に辟易しているものの、こう吐露するノグチなのです。
「私はここでどんな講演を行っても、日本での評価は低いのですよ」
「低い?何故そんな事があるのですか?信じられません!」
「信じられないのも無理はありません。私には『学歴』がないものですから」
「gakureki?なんですか?」
(また、最初から説明すのか・・)
最後には、彼らは必ず声を上げて笑い出して何時もの台詞を放つのです。
「何をそんなに心配しているのですか!ノグチ。あなたは『医学の英雄』なのですよ!そんな小さい事で悩んでいるなんて・・」
ドイツでの通訳を買ってでたワグナー・フォン・ヤウレグは、この「gakureki」を上手くかわして相手に伝えてくれているのをノグチはありがたく思っておりました。
彼から言われた「あなたは医学会の英雄なのだから・・」この言葉を聞くたびノグチは安心もするのでした。
そのヤウレグは1927年。ノーベル賞を受賞致します。ノグチの研究の発展系「梅毒のマラリヤ療法」。その功績によってでした。

アメリカへ帰ったノグチには多くのオファーがありました。
ニューヨークの病院からは「新研究所所長としての待遇として年俸6千ドル」という話でした。
契約社会のアメリカですから、これは普通にあり得る状況です。
フレクスナーには、もちろんその旨を伝えます。
ロックフェラー研究所としては、ノグチに居なくなられては看板を失うことになります。
ノグチも、研究費をを使えるロ研究所の方が、居心地は良いはずです。
案の定、フレクスナーはノグチを慰留します。
「年俸は5千ドル」。ニューヨークの病院より待遇は低いものの、管理職をやりたいわけではないし、(というか、全く生に合わない。自他認める処)請求した通りに研究費を使わしてこの研究所でなければ、経済感覚の全く乏しいノグチには、務まらないのも事実なのです。
話は変わりますが実際はどうだったか。
実験用の猿を大量に注文して、研究所の財政に大きく影響させたりします。
「請求書を送るな!」こうした警告もあったと、記録があるらしいのです。
全て、所長であるフレクスナーが、問題を解決させております。
「ロックフェラー研究所のエース」
「医学会の英雄」
「奇跡の細菌学者」
多くの、賞賛を得たものの、かれが未だ果たすことのできない唯一の事。
「故郷へ錦を飾ること!」
日本へ帰ろう・・・。
ふと、ノグチの脳裏には、日本が浮かんでくるのでした。

次回、本編の主題。
ノグチの帰国。








コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Season | トップ | 明治35年の今日 天候暴風... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは (見張り員)
2014-01-20 22:05:46
実力ではなく学歴が問われるというのは今も昔も日本の宿命みたいなものでしょうか。

それでも称賛されたノグチ!
故郷への凱旋は――!?

続きを待っています!!
返信する
毎度ご無沙汰 (ひー)
2014-01-27 21:56:03
地元から、紙幣の肖像になる人物が現れたら誇らしいですね。

野口英世で私が印象深いのは、母シカの手紙ですね。
字を書けない母が、周りの子供達から字を習い間違いだらけの手紙でしたが、会いたい思いがとても伝わります。  一度記事にしたと思うのですがどこに書いたのが見つかりません。

最近職場も何かといろいろ忙しいんですよ。
新たに開業する東西線。 乗車券のIC化。これがまた、改札機券売機、精算機・・・全部交換です。 券売機なんかは、2台で家が一軒建ちますよ。
ほとんどの駅は民間に委託になります。重要な駅だけ直営になるんですよ。
転てつ機なんかはパソコンでクリックするだけでになります。こんなロートルなのに覚えるのが多すぎです。(笑)
返信する
見張り員さんへ (酔漢です)
2014-02-14 18:42:42
Ⅳを更新した後でのコメント。ご容赦下さい。
Ⅳで故郷までを語ろうかと思ってましたが、その直前で終了となりました・・・。
Ⅴで会津のノグチを語る予定です!
返信する
ひーさんへ (酔漢です)
2014-02-14 18:44:36
本当にご無沙汰しておりました。
しばらく仙台の様子を見ておりませんが、東西線の工事はだいぶ進んだようですね。
ひーさんもお忙しくなりますね。
ご自愛下さい。
返信する

コメントを投稿

もっとくだまきな話」カテゴリの最新記事