このあやしい「三角ベース」は宮城県独特の遊びなのでしょうか。それとも時代とともに、廃れたのでしょうか。少なくとも、私の小学校6年生になる息子は、このゲームの事は知りませんでした。今もやってるとこあるのかなぁ。
授業終了のチャイムが鳴ると同時に、場所取り当番のしょうじ君はかばんと共に、廊下を猛ダッシュ。5年7組の教室から、階段を駆け下り、下駄箱から、出るとすぐ、校舎曲がり角、ブランコの前めがけて、かばんを放り投げます。
「7組とぉーーーり」
ロクモンスをするのに、最高の場所をゲットしました。
「しょーおんっつあん。(しょうじ君のあだ名。小学生のわりにふけ顔だった)俺達も掃除終わったら、行っからっしゃ!」2階廊下側窓から声をかけます。
L字に曲がった校舎の角は本当に絶好のロケーションでした。アウトを取るのにランナーにボールをぶつけても(ドッヂボールの要領)、校舎の壁があるので、転がったボールを延々と捜さないで済むし、ベースの目印も立てやすいからです。
ルールはゲームを実況しながら、後ほどまとめてお話します。
昭和48年、塩竃市立第二小学校は、現在のプールの位置にL字型の木造校舎がありました。校舎の正面にはブランコ(このブランコは修理を重ねていまだに健在)が
あり、その前には見事な桜の木が4本ありました。ほんときれいに咲きました。運動会の頃が満開でした。
その桜の木とブランコの間にフィールドを作りました。
掃除が終わった頃みんな集まりだしました。
「5年7組ばかりこの場所使ってズルイんでねぇかって6年から言われたおん」
としょうじ君が言い出しました。
「んだって一番近いところに教室あんだからしょうがねっちゃ」
「何人あつまったかや」
「今日は、12人かや」
「んで組み分けすっちゃ」
放課後、芋を洗うような校庭の様子でした。
「いしけんチィー」("じゃんけんぽん"です)2人づつ、勝ち、負けをじゃんけんで決めて、チームが無事決まりました。
ロクモンスは三角ベースですが、得点争いをするゲームではありません。
ベースは、1塁、2塁、(人数が少ないときは、2塁を省きます)3塁と、半円または、円で囲い、ベースにします。ホームは1チームの人数が並んで入れるような、大きい半円にしています。
「んで、ルール決めっぺ」
「当然、顔面セーフ。パタンコ(バント)はなんじょスッペ?」
「昨日、なしだったからっしゃ、今日はありにしてみねぇか」
「んでそうすっぺ、で、頭より上ね(この意味は後程、ご説明いたします)」
ピッチャーは下手投げ、キャッチャーはいません。各バッターが打てる球が来るまで、ピッチャーの投げた球を自らが、受け取るのです。ようするに、バッターとピッチャーが素手でキャッチボールをするわけです。当然フォアボールはありません。
バッターが打つと、守り側の野手は、打者走者のボールをぶつけてアウトになります。ベース内は当然セーフ。これはドッヂボールと同じです。で、顔面セーフとは、ぶつけようとして投げたボールが、走者の顔面にあたった場合のルールです。
基本的にはチーム内の誰かが(チーム内一人でよい)ベース上を6週した時点で、再び攻撃権を得ることが出来ます。守備側は攻撃権を得るために、攻撃チーム全員をアウトにします。一人ずつ6週するまでに、ぶつけてアウトにするか、ライナーかフライを捕球するかで、攻守が代わります。攻撃側全員が塁上にいた場合、任意の塁上で、守備側は、ボールを持った野手一名が、頭より高くボールをトスし、その塁にいる走者(人数は何人でも。一つの塁に4人位固まる事もあります)はトス6回以内に、誰か一人が離塁しなければなりません。6回たつと、全員アウトとして、攻守が代わります。
攻守決まりました。酔漢は攻撃側です。
「打つ番決めっぺ。いしけんチーあいこでチー」
「んで、投げっと」ピッチャーは下から投げます。ともひろ君です
「もっと高く投げてけらいん」バッターはみつひろ君です
「この辺かや」と胸のあたりに投げた時、パカーンと大きくフライが上がりました。
「今日、げんこありだったかや?」
「なしにしてなかったんでねぇか」
ボールはブランコを越えて登り棒のところまでとんで行きました。(半分は転がってたけど)
左側(レフトとかセンターとかポジションも決まっていません)を守っていたまさる君が追いつき、中継に入った、みつる君に返し、みつる君はピッチャーのともひろ君にパスしました。打ったみつひろ君はベースを1週し、2週目の3塁まで走っていたとき、ともひろ君がボールをぶつけようとなげました。みつひろ君はうまくおなかをひっこめて、両足で同時にステップして、球をよけました。(実際見ると簡単なのですが、言葉で説明するのにむずかしい)で、3塁で、止まりました。
「んで、おらほ2モンスね」
ロクモンスのロクは6で、ベースを走った回数のことを何故か「モンス」と数えていたのでした。
ゲームは始まったばかり。放課後だんだん校庭に人があふれてきました。
海からの風がさかなのにおいを運んでくる時間でした。
授業終了のチャイムが鳴ると同時に、場所取り当番のしょうじ君はかばんと共に、廊下を猛ダッシュ。5年7組の教室から、階段を駆け下り、下駄箱から、出るとすぐ、校舎曲がり角、ブランコの前めがけて、かばんを放り投げます。
「7組とぉーーーり」
ロクモンスをするのに、最高の場所をゲットしました。
「しょーおんっつあん。(しょうじ君のあだ名。小学生のわりにふけ顔だった)俺達も掃除終わったら、行っからっしゃ!」2階廊下側窓から声をかけます。
L字に曲がった校舎の角は本当に絶好のロケーションでした。アウトを取るのにランナーにボールをぶつけても(ドッヂボールの要領)、校舎の壁があるので、転がったボールを延々と捜さないで済むし、ベースの目印も立てやすいからです。
ルールはゲームを実況しながら、後ほどまとめてお話します。
昭和48年、塩竃市立第二小学校は、現在のプールの位置にL字型の木造校舎がありました。校舎の正面にはブランコ(このブランコは修理を重ねていまだに健在)が
あり、その前には見事な桜の木が4本ありました。ほんときれいに咲きました。運動会の頃が満開でした。
その桜の木とブランコの間にフィールドを作りました。
掃除が終わった頃みんな集まりだしました。
「5年7組ばかりこの場所使ってズルイんでねぇかって6年から言われたおん」
としょうじ君が言い出しました。
「んだって一番近いところに教室あんだからしょうがねっちゃ」
「何人あつまったかや」
「今日は、12人かや」
「んで組み分けすっちゃ」
放課後、芋を洗うような校庭の様子でした。
「いしけんチィー」("じゃんけんぽん"です)2人づつ、勝ち、負けをじゃんけんで決めて、チームが無事決まりました。
ロクモンスは三角ベースですが、得点争いをするゲームではありません。
ベースは、1塁、2塁、(人数が少ないときは、2塁を省きます)3塁と、半円または、円で囲い、ベースにします。ホームは1チームの人数が並んで入れるような、大きい半円にしています。
「んで、ルール決めっぺ」
「当然、顔面セーフ。パタンコ(バント)はなんじょスッペ?」
「昨日、なしだったからっしゃ、今日はありにしてみねぇか」
「んでそうすっぺ、で、頭より上ね(この意味は後程、ご説明いたします)」
ピッチャーは下手投げ、キャッチャーはいません。各バッターが打てる球が来るまで、ピッチャーの投げた球を自らが、受け取るのです。ようするに、バッターとピッチャーが素手でキャッチボールをするわけです。当然フォアボールはありません。
バッターが打つと、守り側の野手は、打者走者のボールをぶつけてアウトになります。ベース内は当然セーフ。これはドッヂボールと同じです。で、顔面セーフとは、ぶつけようとして投げたボールが、走者の顔面にあたった場合のルールです。
基本的にはチーム内の誰かが(チーム内一人でよい)ベース上を6週した時点で、再び攻撃権を得ることが出来ます。守備側は攻撃権を得るために、攻撃チーム全員をアウトにします。一人ずつ6週するまでに、ぶつけてアウトにするか、ライナーかフライを捕球するかで、攻守が代わります。攻撃側全員が塁上にいた場合、任意の塁上で、守備側は、ボールを持った野手一名が、頭より高くボールをトスし、その塁にいる走者(人数は何人でも。一つの塁に4人位固まる事もあります)はトス6回以内に、誰か一人が離塁しなければなりません。6回たつと、全員アウトとして、攻守が代わります。
攻守決まりました。酔漢は攻撃側です。
「打つ番決めっぺ。いしけんチーあいこでチー」
「んで、投げっと」ピッチャーは下から投げます。ともひろ君です
「もっと高く投げてけらいん」バッターはみつひろ君です
「この辺かや」と胸のあたりに投げた時、パカーンと大きくフライが上がりました。
「今日、げんこありだったかや?」
「なしにしてなかったんでねぇか」
ボールはブランコを越えて登り棒のところまでとんで行きました。(半分は転がってたけど)
左側(レフトとかセンターとかポジションも決まっていません)を守っていたまさる君が追いつき、中継に入った、みつる君に返し、みつる君はピッチャーのともひろ君にパスしました。打ったみつひろ君はベースを1週し、2週目の3塁まで走っていたとき、ともひろ君がボールをぶつけようとなげました。みつひろ君はうまくおなかをひっこめて、両足で同時にステップして、球をよけました。(実際見ると簡単なのですが、言葉で説明するのにむずかしい)で、3塁で、止まりました。
「んで、おらほ2モンスね」
ロクモンスのロクは6で、ベースを走った回数のことを何故か「モンス」と数えていたのでした。
ゲームは始まったばかり。放課後だんだん校庭に人があふれてきました。
海からの風がさかなのにおいを運んでくる時間でした。
大家さんち裏庭になるのですが、これかまた建物やブロック塀・垣根に囲まれ、ロクモンスをするのには絶好の場所でした。思いっきりぶつけようと投げても遠くまで転がらないからです。
今行くと狭いと思いますが、当時は狭くも無く広くも無くベストサイズでしたね。
帰宅すると、近所の子供達が集まってきます。
ガキ大将は、一番年上のあきお君! 彼が中心となり、学年を越えて集まったものです。
もう絶滅の危機ですかね~ 寂しい限りです。
そうそう、チームを決める時は「う~ら~お・も・て」もありましたね。
チンパン探偵ムッシュバラバラというのは見たことありませんが、主題歌は持っています。
八木節とドンパン節をあわせたような面白い歌です。
漫画「燃えるお兄さん」事件は、またゆっくり見させて頂きますね。
連絡事項の後に、たいがい漢字や計算の小テストが入ります。
「終わった順(もちろん正解であることが前提です)」に帰れるのです。
校庭の場所取りは私の役目でした。小中のみの天才児・・・家族は誰も信じませんがね。
まあ、放送部でしたので「お家に帰りましょう」放送をしなければならず、学校に残っていなければならない立場もありました。
ロクモンスも盛り上がりましたが、三小は「全校舎使用缶けり」がはやりました。
数十人参加で鬼も複数でした。
でも「見つからない奴」を残したまま終わってしまったこともあります。怪談にありましたね・・・今でもまだ隠れていたりして。
埋立の空き地を根城に6年生を頭に毎日集団で走り回ってましたね。
ロクモンスに缶ケリ、まっこ跳び、ビー玉、おはじき、パッタ、釘刺し・・・
なかでもオラ方でロクモンスと張り合う人気の遊びは「スイライボッカン」
2チームで争う一種の鬼ごっこで、
基本は「王様」「大臣」「スイライ」「ボッカン」「スパイ」の5人で1チーム。
人数が多いときには、大佐だの中佐だの適当に増やして、もっと多けりゃ3チーム混戦になります。
それぞれ円陣を描いて、円陣から出ているメンバーで追いかけっこし、王様と大臣を捕られたチームが負けになります。
通常王様は円陣から出ませんが、予め構成メンバーの優劣が決まっており、
敵の円陣に潜入して王様を捕れるのはスパイだけ。
スパイは大臣にしか捕まらず、大臣はスイライにしか捕まらない・・・
スイライはボッカンに、ボッカンは王様に捕まる・・・
捕まったら敵の陣地に連行され、捕まえた相手が捕まったときだけ人質交換で解放される。
と、こんなルールだったと思いますが・・・
この「スイライボッカン」伝上山以外の出身者に聞いても知ってる人に逢ったことがありません・・・
だれか知ゃねすか~~~~?!?!?!
文献なんてないですもんね。
チンパンジーがオールキャストのどたばた動物コメディーといったところでしょうか。バヤリースジュースのCMと重なった記憶があります。「地獄の底までけっとばせぇ」歌詞の最後が過激です。
伝上山におりました、家内も知りませんでした。どうなんでしょう。いろいろな遊びは本当に狭い地域で行われていたのですね。
でも面白そうな遊びだなぁ。
ほんの5km位しか離れていないのに不思議です。
ちなみに,私が育った東仙台近辺で昭和40年代にやっていた遊びといえば,ロクモンスはもちろんのこと,「S字カイセン」(カイセンは海戦?開戦?ゲームの始まりは「開戦タッチ」だったと思いますが・・・),「ひまわりおにけん」,50年代にかけては「天下大名」などがあります。
皆さんのところは,どうですか?
話は違いますが,私たちは,2組に分けるとき,「う~らお・も・て」のほかに同じ動作(手の平か甲を出す)で「アッタコギショ」と声を出してやっていましたが,高校で体育の時間に同じ中学出身者だけが「アッタコで決めっぺ」と言って,他の中学出身者から「アッタコって何や?」と不思議がられ,ローカルな言葉だったと気づかされた思い出があります。
「アッタコギショ」知ってる人この指とまれ!
伝上山の低地部は、戦後払い下げられた海軍工廠の工員住宅が昭和50年代頃まで
立ち並んでいたところで、戦前から住んでいる家族も随分いました。
そんなことで、スイライボッカンは海軍工廠関係者の子どもたちのローカルゲームで
昭和40年代まで残ったものかと思っていました。
「スイライ」は「水雷」のことだろうとは考えていましたが、「ボッカン」=「母艦」とは!!!
目からウロコです♪
しかも伝上山以外でも遊ばれていたとは!!!
ところでロクモンスについては、亘理出身で2歳年上のオイラの上司もやってたそうですが、呼び方は「ロクムス」だったそうです。
ちなみに八木山育ちで30代後半の部下の方は、「なんですか?それ?」状態でした・・・
それを全部つかった「缶けり」ですか。
小学校時代は今では信じられないくらい走っていました。
ロクモンスはやはりローカルな遊びだったのでしょうか。