幼稚園の頃には、流石に「怪獣」は作り物で。「ウルトラマン」は架空のものだとは理解しておりました。ですから、頭の中から「怪獣=恐怖」という式は成り立たなくなっておりました。
ところが、どうもまだ「妖怪」「お化け」そして「幽霊」とかという「物の怪」の類は苦手だったのでした。ですが、そこは「興味が先走る」幼年時代でございましたので、「ゲゲゲの鬼太郎」は毎週欠かさず見たりもするのでした。
最初の「水木しげる氏原作」のテレビ実写は「悪魔君」でしたが、(日曜日の午前に仙台では放映されておったかと記憶しております)。丁度「永大産業提供」の「時事放談」のすぐ後だったかと思います。(話は飛びますが・・・「時事放談」と漢字の意味が解らなかった当時「じじほうだん」そして「じじぃほうだん」と年寄が出てくるからこういう題名になったと勝手に理解しておりました・・チャンチャン)
オープニングのあの怪しい音楽とはうって変ってエンディングの明るさに救われた番組でした。(あの 「エロイムエッサイム エロイムエッサイム 回れ地獄の魔法陣 それいけ悪魔くん 魔法の杖だ」というやつです)。
エンディングの作詞が「水木しげる氏」ご本人ということは知りましたが、「しげる」と平仮名で記載されておりましたものですから、僕が記憶した最初の漫画家となりました。ちょうど父と同名だったことも。
ですが、この「悪魔くん」、あまり怖いと感じたことはなかったのでした。
一つ上の従弟の家に遊びに行き、そこには「少年マガジン」がございました。
この頃、ちょうど「妖怪特集」が連載されまして、あの水木しげる氏の描くところの「妖怪図鑑」が付録であったりもするのです。この絵は正直「怖かった」。
多くの妖怪の解説と共に、リアルな表現で描かれているものですから、頭の中に「ドーーン」と入力されるわけです。
「がんばり入道」は特に印象に残っており、こいつのおかげで、一人で行けたはずの夜中の「便所」(妖怪がでそうなのはトイレではなくやはりこの表現かな・・と・・)に行けなくなりました。必ず祖母を起こしていったものです。行く前にまず左手の親指を隠して、手を握りながら便所へと向かいます。そして、ウグイスが鳴いてないか耳を立てます。ウグイスの声がしていないのが解りますと安心して用をたすわけです。
上記、妖怪図鑑によりますれば、「がんばり入道」は口から小さなウグイスを吐き出して、便所の窓から覗き見て、人を驚かせるとしてあります。姿をみた者は気が狂います。(だったらなして絵になってんだべ?と考えましたのは後後の事でございます)そして、ウグイスの声が聞こえたら退散の呪文を唱えるわけです「がんばり入道ホトトギス!」と。
ある日の事、朝方、もう明るくなっている頃合いでしたが、便所へ一人で向かうと、便所の窓のそばにある柿木から「ホーホケキョ」と甲高いウグイスの鳴き声が聞こえてきました。
「なんだや!がんばり入道だべ!」と焦った酔漢は、すかさず、「がんばり入道ホトトギス」と大声で叫んだのです。すると不思議なことに今度は二小の裏山の方から「テンペンカケタ!」とホトトギスの鳴き声が聞こえて来ました。
「がんばり入道はいたのかや」とふと汝に帰りますと、パジャマの前には大きな染みが・・。
母から「何おだってのすか!」と大目玉を食らったのでした。
「水洗トイレ」が大変珍しい時代でした。
「家鳴り」(やなり)は何故か自分ひとりで留守番しているときに限って登場するのでした。これは決まって真夏の昼過ぎ。母が妹を連れて買い物に出かけまして、祖母が近所に出かけております。雲行きが急に怪しくなりまして、あたりが真っ暗になってきました。遠くの方で「雷」がしております。そう思うや否や家の丁度物置の方がいきなり「ガタガタガタ」と鳴り出します。地震ではないのです。
「家鳴り来たっちゃ!」と咄嗟に「蚊帳」へ避難する酔漢少年です。
「気圧の急激な変化で、家が軋む」と理解しましたのは、小学校も5年生頃だったかと。
天井に妙な染みを見つけると「天井なめ」の仕業と信じ、風呂場で夜中物音がすると「あかなめ」が来たと思い、台風などの後にシーツか何かが木にひっかかっていると「一反もめん」と間違え、寝ている間に枕がすっとんで寝違えてしまうのは「枕返し」のいたずらだと・・・・そう考えてしまったりもするのでした。
妖怪を身近なものして感じておりましたのは「水木しげる先生」のおかげです。(笑)
さて、鬼太郎のテレビ放映ですが、我が家はまだ白黒テレビでして、この白黒が味噌です。
鬼太郎の登場する妖怪が妙にリアルに迫力を持ってテレビから登場するわけです。後のカラー放送になってからより怖さと迫力さは持っておりました。
提供は「リボンシトロン」という清涼飲料でしたが、番組の合間に入る「リボンちゃん」(イメージキャラクター)のアニメーションに何度か救われました。
「妖怪戦争」は、西洋妖怪との対決。二話に分かれての話でした。「一反もめん」「ぬりかべ」「砂かけばばぁ」「子泣きじじぃ」等が「魔女」「狼男」「バックベアード」と対決する。これには声を上げて応援いたしました。相変わらず「ねずみ男」は裏切るのですが、腹立てて怒ってました。「吸血鬼エリート」の話も印象に残り「何して鬼太郎さぁくじらになったんだべ」と不思議に思いながら見ておりました。
最近、あの「ゲゲゲの鬼太郎」へ思いをはせることが多くなっておりました。
父が入院しましたのが今年の三月も末。台原の病院へ通いました。四月中は元気にテレビなどを見ております。
朝見舞いに行きますと丁度NHK朝のテレビ小説「ゲゲゲの女房」を見ております。
「こいづや、久しぶりにおもせぇど」と見ておりました父です。
まだ最初の頃のストーリーでしたが、私が父に、
「その内、塩竈出身の人が出てくんだすぺ」と話しました。
「おーう?塩竈と何がつながってのや?」と父。
「ガロって漫画誌があってっしゃ、その編集長やった人が塩竈の出身だおん。」
「あああいづな!聞いたことあるおん。」
そこで終わりました。なるほど「ガロ」の最初の編集長「長井勝一さん」が「深沢」として登場いたしました。ですが、その頃には父はテレビを見るのがやっとの状態でした。(ガロはゼロとして番組は進みました)
番組が始まった頃に入院し、番組の最初の方で父が亡くなりました。最終回を待たずに楽しみにしていた番組を見ることは出来ませんでした。
月一で塩竈へ帰省し、新駅へ向かうと新しい「市民図書館」等の建物の前を通ります。
中に長井勝一さんのコレクションが展示されているということが意外にも知られておりません。(先の記事でご紹介いたしました「中村ハルコさん」の写真展もここで開催されます)
東京都調布市は大河ドラマとそして今回の「ゲゲゲの女房」で脚光を浴びました。
塩竈も「もう少し宣伝しては」と思うのです。
この「ガロ」の詳細につきましては、「くだまき」からもリンクされておりますが「トム様」のブログ「アッと!乱ダむ」に書かれております。『月刊漫画ガロ』昭和41年11月号 こちらを是非ご覧ください。
長井勝一さんのプロフィールを拝読いたしますと、「虫プロ」と交流が深かったとか。
アニメの帝王マッドハウスの「丸山正雄」さんと塩竈マンガ、アニメタッグが組めたのかなとも考えます。石巻市とは違った意味で塩竈は漫画、アニメの巨頭が育っております。
本当に市民の間でも知られていない事を残念に思います。
NHK「テレビ小説」を熱心に見たのは祖母が大変楽しみにしておりました「おはなはん」以来だった酔漢です。時間が自分に近かったことと、「鬼太郎」や「悪魔くん」がどうした背景で誕生したのか興味もあったからでした。
その番組ももうすぐ最終回。原作を読んでいない酔漢ですが、原作にも触れてみようかとふと思います。
写真です「ねずみ男汁」「目玉おやじのりんご風呂」「猫娘汁」。
ジュースの空き缶です。どれもおいしいのでしたが。パッケージに誘われて買い求めました。「ねすみ男汁」はっさく果汁のジュースですが(こいつが一押し!)どうも「おなら」のイメージが強かった酔漢です。
再び父との会話を思い出します。
酔漢「妖怪、お化けが怖い」と訴えております。
「なんだや、そんなもん、なんじょしたってこえぐなんかねぇど!一番こぇぇのは生きている『人間』だっちゃ」
同じ事をつい最近、自分の息子に話している酔漢がおりました。
ところが、どうもまだ「妖怪」「お化け」そして「幽霊」とかという「物の怪」の類は苦手だったのでした。ですが、そこは「興味が先走る」幼年時代でございましたので、「ゲゲゲの鬼太郎」は毎週欠かさず見たりもするのでした。
最初の「水木しげる氏原作」のテレビ実写は「悪魔君」でしたが、(日曜日の午前に仙台では放映されておったかと記憶しております)。丁度「永大産業提供」の「時事放談」のすぐ後だったかと思います。(話は飛びますが・・・「時事放談」と漢字の意味が解らなかった当時「じじほうだん」そして「じじぃほうだん」と年寄が出てくるからこういう題名になったと勝手に理解しておりました・・チャンチャン)
オープニングのあの怪しい音楽とはうって変ってエンディングの明るさに救われた番組でした。(あの 「エロイムエッサイム エロイムエッサイム 回れ地獄の魔法陣 それいけ悪魔くん 魔法の杖だ」というやつです)。
エンディングの作詞が「水木しげる氏」ご本人ということは知りましたが、「しげる」と平仮名で記載されておりましたものですから、僕が記憶した最初の漫画家となりました。ちょうど父と同名だったことも。
ですが、この「悪魔くん」、あまり怖いと感じたことはなかったのでした。
一つ上の従弟の家に遊びに行き、そこには「少年マガジン」がございました。
この頃、ちょうど「妖怪特集」が連載されまして、あの水木しげる氏の描くところの「妖怪図鑑」が付録であったりもするのです。この絵は正直「怖かった」。
多くの妖怪の解説と共に、リアルな表現で描かれているものですから、頭の中に「ドーーン」と入力されるわけです。
「がんばり入道」は特に印象に残っており、こいつのおかげで、一人で行けたはずの夜中の「便所」(妖怪がでそうなのはトイレではなくやはりこの表現かな・・と・・)に行けなくなりました。必ず祖母を起こしていったものです。行く前にまず左手の親指を隠して、手を握りながら便所へと向かいます。そして、ウグイスが鳴いてないか耳を立てます。ウグイスの声がしていないのが解りますと安心して用をたすわけです。
上記、妖怪図鑑によりますれば、「がんばり入道」は口から小さなウグイスを吐き出して、便所の窓から覗き見て、人を驚かせるとしてあります。姿をみた者は気が狂います。(だったらなして絵になってんだべ?と考えましたのは後後の事でございます)そして、ウグイスの声が聞こえたら退散の呪文を唱えるわけです「がんばり入道ホトトギス!」と。
ある日の事、朝方、もう明るくなっている頃合いでしたが、便所へ一人で向かうと、便所の窓のそばにある柿木から「ホーホケキョ」と甲高いウグイスの鳴き声が聞こえてきました。
「なんだや!がんばり入道だべ!」と焦った酔漢は、すかさず、「がんばり入道ホトトギス」と大声で叫んだのです。すると不思議なことに今度は二小の裏山の方から「テンペンカケタ!」とホトトギスの鳴き声が聞こえて来ました。
「がんばり入道はいたのかや」とふと汝に帰りますと、パジャマの前には大きな染みが・・。
母から「何おだってのすか!」と大目玉を食らったのでした。
「水洗トイレ」が大変珍しい時代でした。
「家鳴り」(やなり)は何故か自分ひとりで留守番しているときに限って登場するのでした。これは決まって真夏の昼過ぎ。母が妹を連れて買い物に出かけまして、祖母が近所に出かけております。雲行きが急に怪しくなりまして、あたりが真っ暗になってきました。遠くの方で「雷」がしております。そう思うや否や家の丁度物置の方がいきなり「ガタガタガタ」と鳴り出します。地震ではないのです。
「家鳴り来たっちゃ!」と咄嗟に「蚊帳」へ避難する酔漢少年です。
「気圧の急激な変化で、家が軋む」と理解しましたのは、小学校も5年生頃だったかと。
天井に妙な染みを見つけると「天井なめ」の仕業と信じ、風呂場で夜中物音がすると「あかなめ」が来たと思い、台風などの後にシーツか何かが木にひっかかっていると「一反もめん」と間違え、寝ている間に枕がすっとんで寝違えてしまうのは「枕返し」のいたずらだと・・・・そう考えてしまったりもするのでした。
妖怪を身近なものして感じておりましたのは「水木しげる先生」のおかげです。(笑)
さて、鬼太郎のテレビ放映ですが、我が家はまだ白黒テレビでして、この白黒が味噌です。
鬼太郎の登場する妖怪が妙にリアルに迫力を持ってテレビから登場するわけです。後のカラー放送になってからより怖さと迫力さは持っておりました。
提供は「リボンシトロン」という清涼飲料でしたが、番組の合間に入る「リボンちゃん」(イメージキャラクター)のアニメーションに何度か救われました。
「妖怪戦争」は、西洋妖怪との対決。二話に分かれての話でした。「一反もめん」「ぬりかべ」「砂かけばばぁ」「子泣きじじぃ」等が「魔女」「狼男」「バックベアード」と対決する。これには声を上げて応援いたしました。相変わらず「ねずみ男」は裏切るのですが、腹立てて怒ってました。「吸血鬼エリート」の話も印象に残り「何して鬼太郎さぁくじらになったんだべ」と不思議に思いながら見ておりました。
最近、あの「ゲゲゲの鬼太郎」へ思いをはせることが多くなっておりました。
父が入院しましたのが今年の三月も末。台原の病院へ通いました。四月中は元気にテレビなどを見ております。
朝見舞いに行きますと丁度NHK朝のテレビ小説「ゲゲゲの女房」を見ております。
「こいづや、久しぶりにおもせぇど」と見ておりました父です。
まだ最初の頃のストーリーでしたが、私が父に、
「その内、塩竈出身の人が出てくんだすぺ」と話しました。
「おーう?塩竈と何がつながってのや?」と父。
「ガロって漫画誌があってっしゃ、その編集長やった人が塩竈の出身だおん。」
「あああいづな!聞いたことあるおん。」
そこで終わりました。なるほど「ガロ」の最初の編集長「長井勝一さん」が「深沢」として登場いたしました。ですが、その頃には父はテレビを見るのがやっとの状態でした。(ガロはゼロとして番組は進みました)
番組が始まった頃に入院し、番組の最初の方で父が亡くなりました。最終回を待たずに楽しみにしていた番組を見ることは出来ませんでした。
月一で塩竈へ帰省し、新駅へ向かうと新しい「市民図書館」等の建物の前を通ります。
中に長井勝一さんのコレクションが展示されているということが意外にも知られておりません。(先の記事でご紹介いたしました「中村ハルコさん」の写真展もここで開催されます)
東京都調布市は大河ドラマとそして今回の「ゲゲゲの女房」で脚光を浴びました。
塩竈も「もう少し宣伝しては」と思うのです。
この「ガロ」の詳細につきましては、「くだまき」からもリンクされておりますが「トム様」のブログ「アッと!乱ダむ」に書かれております。『月刊漫画ガロ』昭和41年11月号 こちらを是非ご覧ください。
長井勝一さんのプロフィールを拝読いたしますと、「虫プロ」と交流が深かったとか。
アニメの帝王マッドハウスの「丸山正雄」さんと塩竈マンガ、アニメタッグが組めたのかなとも考えます。石巻市とは違った意味で塩竈は漫画、アニメの巨頭が育っております。
本当に市民の間でも知られていない事を残念に思います。
NHK「テレビ小説」を熱心に見たのは祖母が大変楽しみにしておりました「おはなはん」以来だった酔漢です。時間が自分に近かったことと、「鬼太郎」や「悪魔くん」がどうした背景で誕生したのか興味もあったからでした。
その番組ももうすぐ最終回。原作を読んでいない酔漢ですが、原作にも触れてみようかとふと思います。
写真です「ねずみ男汁」「目玉おやじのりんご風呂」「猫娘汁」。
ジュースの空き缶です。どれもおいしいのでしたが。パッケージに誘われて買い求めました。「ねすみ男汁」はっさく果汁のジュースですが(こいつが一押し!)どうも「おなら」のイメージが強かった酔漢です。
再び父との会話を思い出します。
酔漢「妖怪、お化けが怖い」と訴えております。
「なんだや、そんなもん、なんじょしたってこえぐなんかねぇど!一番こぇぇのは生きている『人間』だっちゃ」
同じ事をつい最近、自分の息子に話している酔漢がおりました。
本当ですね。
そして、自分も同じ事を子供達に話しております。言った後に気づいて「おやじも同じこと言ってたなや」とつぶやいたりいたします。
俺もこんな年だとその時感じます(笑)
長井勝一さんのブースは少しづつですが、閲覧者が増えているようです。
貴重な原画があるんですよ。今度帰省したら取材しようかと思っております。
それと、丸山さんのコレクションや記録もそろそろ展示されてもいいかなって思っております。若い現役の芸術家を宣伝しておりますが、
もっと知っていただきたい方は大勢いるのでした。
長井勝一コレクションの展示会があまり知られていないというのは残念ですね。
水木しげる、白土三平の原画を見ることができるということですが、ファンは必見ですけどね。しかし、若い人は知らないでしょうね。
>一番こぇぇのは生きている『人間』だっちゃ
お父様の言われるとおりです。
お世辞、媚びへつらい、裏切り、怖いですね。
「たんころり」の柿木が仙台市内に残されていると聞きました。
調べてみますね。
確か本町だったかと思います。
古い柿木の話ですよね。柿をきちんと収穫しないと出るらしいです。
仙台は雨でしょうか。(予報で見ましたが)
湘南は今月が奇麗に出ております。
彼岸の入りですが、亡くなった父の誕生日が明日(23日)でした。
白黒の無気味さ。
「ゴジラ」一作目を見てもそう感じます。
怪獣の恐怖は、カラーより白黒映像がより鮮明に印象に残ります。まったく同感です。
『時事放談』は祖父がよく見ておりました。
そのそばで「ババ放談」なんて駄洒落を言ってたのが、当時の小生です。
細川R元さんに藤原H達さん。この二人がメインでしたね。
斎藤(斉藤?)A三郎さんが出てくると、「数次の話ばっかりで面白くない」って言うのが
祖父の口癖でした。
最後の頃には加藤Kさんも出てましたね。
(ことに子供の目で見ればことに)皆さんお年寄りで、
「時事放談」が確かに「ジジ放談」に聞えたものです。
『日本妖怪大全』は少年マガジンの別冊か何かだったでしょうか。
持ってました。
昔の家の便所は廊下の突当りとか母屋とは別棟でしたよね。
あの頃、トイレが玄関脇にあるような家の作りを誰が想像したでしょうか。
電気を消してしまうと、怖くて後がふり向けない。
自分の後でバターンと扉がなる音が怖い・・・
便所の中で必死になって唱えてましたよ。
「がんばり入道ホトトギス、がんばり入道ホトトギス」って。
今思い出してもコワ~~~~~い妖怪や幽霊が多かったのを覚えています。
確か岩波新書のカラー版で水木しげるの妖怪がらみの本が出ていたんじゃないでしょうか(題名失念)。
古い木に宿る霊もいくつか出てましたね。
酔漢さん、タンコロリンって覚えてますか?
古い柿の木に宿るんだそうです。
しかもご丁寧に「宮城県地方に多い」なんて但書きがついているもので、
しばらくは「タンコロリン」ってからかわれました。
弟も「タンコロリン」って呼ばれた時期があったとか。
これって、まさに崇りぢゃないでそうか。
タンコロリンの・・・
訳の分らない妖怪やひょうきんな妖怪もいましたね。
深い山の中の小川で、誰もいないのに小豆をとぐような音がする。
妖怪小豆洗いが小豆をといでいるのだ。
とか
孫を連れて山道を歩いていた老婆が「昔はこのあたりに油すましという妖怪がいたんだそうだ」と言うと、
「今でもいるぞ」と言って油すましが出てきた
とか・・・
白黒と言うのは確かにある種の凄みがあります。
遺影なんか、カラーのよりも白黒の方が怖いです。
写真じゃなくて絵のもあったけど、あの絵がまた妙にリアルなんですよね。
昔の家だから天井は高いし、暗い仏間には一人でなんか行けませんでしたよ。
「ネズミ男汁」の中身はハッサクのジュースでしたか。
見つけたら買ってみます。
酔漢さんの解説がなければ、
何が入ってるか分らなくて、ちょっと手が出せなかったと思います。
実は『ゲゲゲの鬼太郎』で一番好きなキャラクターがネズミ男なんですよ。
ネズミ男が出てくる時のBGMって、酔漢さんは覚えてますか?
「おい、鬼太郎!」
「これは高かったんだよ!!」
あの声が今にも聞えてきそうです。
朝の連続テレビ小説は、僕も『おはなはん』が最初です。
ストーリーは覚えてませんが、
樫山文枝がきれいだったのと、高橋幸治がかっこよかったことは印象に残っています。
少しは話の中身を覚えているのは『旅路』でしょうか。
そうそう、実写の『悪魔君』には地獄大使が出てたんですね。
もちろん、あのコスチュームじゃないですけど・・・
うちのおばあさんが亡くなってから一年半たちましたが、お彼岸だからとお線香をあげにきて下さっったり、親戚が集まったりすると、(不幸ではありますが)他人と結びつきが強くなるって、こういう事なんだなぁと感じます。
ところで、「TVの白黒映像」って、なんであそこまで恐いんでしょうね~(涙目)『鬼太朗』の初期のアニメも『ウルトラQ』も、カラー映像の何倍も恐かったです。