クリスマスが近いですね。いつものネタと違って、今日はあの「イヴ嵐」のお話です。
中学時代をお話しておりましが、酔漢は、高校3年生になっております。(中学の続きはまた来年あたりから始めます)そして、クリスマスに相応しい?酔漢の恋のお話です。(少し照れくさいですが)
高校三年生、冬休み。酔漢、共通一次試験勉強中でした。12月24日。生物と国語の補修授業のため、高校に向う朝です。
「なんだや、雨かや。クリスマスなのにっしゃ」
「受験生にクリスマスもないの!」母のきつい言葉を後にして、塩釜を出ました。
仙石線を降り、八木山南団地行きのバスに乗っていましたら、愛宕橋を過ぎたあたりで雨が雪に変わってきました。
「やっぱりクリスマスは雪だっちゃ」
のんびり窓を眺めておりましたら、そのロマンチックなはずの雪がだんだんと強くなっておりました。
幼稚園の前から坂道に入っていく途中(丁度仙台放送鉄塔の下の位置)でバスの運転手が「チエーン装着のために一旦停止します」とのアナウンス。
本当に雪は強く降っておりました。それもドカ雪。
いつもより遅くに高校に着くと、いつもは15人位いるはずの教室が6人位しかおりません。
「八木山から下るバスは全部停まってんのっしゃ」
生物の高橋先生が話しながら教室に入って来ました。
「近い奴がこねぇくて、一番遠い酔漢が来てんのかや」
八木山・緑ヶ丘方面からのバスはストップしたまま。
授業が始まるか始まらないかのうち、教頭先生が教室に入って来ました。
「雪はこれからますます激しく降ってきそうだから、補講は中止」と話しました。
「なんだや、来たばっかりなのにっしゃ」
「酔漢は電車が動いている間に塩釜さぁ帰ってった方がいいんでねぇか」
「先生電車はまだ動くけんど、下さぁ降りるバス来んのかや」
教室から校庭をみますと、もう雪は長靴の上近くまで積もっております。
ほんの3時間のうちに、15センチは降り積もったことになります。
それでも雪は降り続いておりました。
「今日、サイカワでダウンジャケット買おうと思ってたのにっしゃ」
「酔漢、んで歩いて帰ぇのか」と、はらまい君が話しかけてきました。
彼は亘理からの通学者でしたから、彼も帰るのには難儀するはずです。
「はらまいなんじょして帰ぇんのか?」
「俺、家さぁ電話したおん。ここさぁ向えにくんだすぺ。まぁ何時間かかっかしゃねぇけんどな」
僕はあきらめて、山(向山)を御霊屋橋方面へと歩きました。
後悔した。確かにバスは動いてないけれども、横殴りの雪の中を傘をしているとはいえ、上半身は雪がくっついているし、前は見難いし、足は冷たいしで。
(歩くのやんだくなったっちゃ)
どうにかこうにか、サイカワ運動具店へと入りました。普通この異常気象の中で、新品のダウンジャケットを買う奴なんていないとは思いますが。
「これ下さい」と完全防水のアシックス製茶色のダウンを購入しました。
今着ているジャケット(もうずぶ濡れですが)は背中のディパックに突っ込みました。
一番丁のアーケードをくぐりぬけ、名掛丁をダイエーの前まで来た頃には1時を過ぎてました。
青葉通りでは仙台市の広報車が大雪警報は宮城県全域に出されていることと、市バスの運行状況などを流しておりました。
吉野家で牛丼を食べて、とりあえず、仙台駅に入りました。肝心の仙石線は?
「ただ今、仙石線は大雪の為、運休いたしております。復旧の見込みはございません」なんてこった!俺はどうやって帰ったらいいんだ。この前、地震で家に帰れなかった(宮城県沖地震で)ばかりでねぇかや。なんじょすっぺ。
携帯電話でもあればまだよかったのでしょうね。ないもんね。その時代。
駅の中の公衆電話は長蛇の列。もう、駅の待合室が満員にならない内に、そこに居座ることに決めました。
「何もあわてっことなんかねぇっちゃ」
酔漢、腕組みをしたまま、転寝です。ここで本当に寝ちまった!
気付くと、待合室はもう芋洗う様子となっておりました。時計は午後4時を回っています。(なんだや、1時間半も寝てたのかや)
ふと、外を見ますと、いつもより、あたりが暗いことに気付きました。
信号はついているものの、ビルの窓が、暗いのです。
「停電してるんだなや」周りの人達が口々に言っているのが聞こえました。
ほんとうにやばい事になってる。
家に電話をしようにも、どこの電話も長い列が出来ております。
雪はまだまだ降っております。
ですが、すこしだけ小降りにはなっているようです。
仙石線はまだ、動いておりません。午後6時をすぎた頃、復旧の見込みがたっていない仙石線をあきらめ、バスで塩釜へ向うことに決めました。
丸光の前から、宮城交通の塩釜車庫前行きのバスがあるはずでした。
僕はそこに向かいました。
話はまた次回へと続きます。どこが恋の話かって?まぁ後編をお読み下さい。
1980年12月24日。「イヴ嵐」と名づけられた大雪。みなさんはどう過ごされましたか?
「雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう」
大雪に変わっちまったら、大変だぁ。
(J-WAVEでは、クリスマスの曲が多くかかっています。マライヤキャリーのいいよね)
中学時代をお話しておりましが、酔漢は、高校3年生になっております。(中学の続きはまた来年あたりから始めます)そして、クリスマスに相応しい?酔漢の恋のお話です。(少し照れくさいですが)
高校三年生、冬休み。酔漢、共通一次試験勉強中でした。12月24日。生物と国語の補修授業のため、高校に向う朝です。
「なんだや、雨かや。クリスマスなのにっしゃ」
「受験生にクリスマスもないの!」母のきつい言葉を後にして、塩釜を出ました。
仙石線を降り、八木山南団地行きのバスに乗っていましたら、愛宕橋を過ぎたあたりで雨が雪に変わってきました。
「やっぱりクリスマスは雪だっちゃ」
のんびり窓を眺めておりましたら、そのロマンチックなはずの雪がだんだんと強くなっておりました。
幼稚園の前から坂道に入っていく途中(丁度仙台放送鉄塔の下の位置)でバスの運転手が「チエーン装着のために一旦停止します」とのアナウンス。
本当に雪は強く降っておりました。それもドカ雪。
いつもより遅くに高校に着くと、いつもは15人位いるはずの教室が6人位しかおりません。
「八木山から下るバスは全部停まってんのっしゃ」
生物の高橋先生が話しながら教室に入って来ました。
「近い奴がこねぇくて、一番遠い酔漢が来てんのかや」
八木山・緑ヶ丘方面からのバスはストップしたまま。
授業が始まるか始まらないかのうち、教頭先生が教室に入って来ました。
「雪はこれからますます激しく降ってきそうだから、補講は中止」と話しました。
「なんだや、来たばっかりなのにっしゃ」
「酔漢は電車が動いている間に塩釜さぁ帰ってった方がいいんでねぇか」
「先生電車はまだ動くけんど、下さぁ降りるバス来んのかや」
教室から校庭をみますと、もう雪は長靴の上近くまで積もっております。
ほんの3時間のうちに、15センチは降り積もったことになります。
それでも雪は降り続いておりました。
「今日、サイカワでダウンジャケット買おうと思ってたのにっしゃ」
「酔漢、んで歩いて帰ぇのか」と、はらまい君が話しかけてきました。
彼は亘理からの通学者でしたから、彼も帰るのには難儀するはずです。
「はらまいなんじょして帰ぇんのか?」
「俺、家さぁ電話したおん。ここさぁ向えにくんだすぺ。まぁ何時間かかっかしゃねぇけんどな」
僕はあきらめて、山(向山)を御霊屋橋方面へと歩きました。
後悔した。確かにバスは動いてないけれども、横殴りの雪の中を傘をしているとはいえ、上半身は雪がくっついているし、前は見難いし、足は冷たいしで。
(歩くのやんだくなったっちゃ)
どうにかこうにか、サイカワ運動具店へと入りました。普通この異常気象の中で、新品のダウンジャケットを買う奴なんていないとは思いますが。
「これ下さい」と完全防水のアシックス製茶色のダウンを購入しました。
今着ているジャケット(もうずぶ濡れですが)は背中のディパックに突っ込みました。
一番丁のアーケードをくぐりぬけ、名掛丁をダイエーの前まで来た頃には1時を過ぎてました。
青葉通りでは仙台市の広報車が大雪警報は宮城県全域に出されていることと、市バスの運行状況などを流しておりました。
吉野家で牛丼を食べて、とりあえず、仙台駅に入りました。肝心の仙石線は?
「ただ今、仙石線は大雪の為、運休いたしております。復旧の見込みはございません」なんてこった!俺はどうやって帰ったらいいんだ。この前、地震で家に帰れなかった(宮城県沖地震で)ばかりでねぇかや。なんじょすっぺ。
携帯電話でもあればまだよかったのでしょうね。ないもんね。その時代。
駅の中の公衆電話は長蛇の列。もう、駅の待合室が満員にならない内に、そこに居座ることに決めました。
「何もあわてっことなんかねぇっちゃ」
酔漢、腕組みをしたまま、転寝です。ここで本当に寝ちまった!
気付くと、待合室はもう芋洗う様子となっておりました。時計は午後4時を回っています。(なんだや、1時間半も寝てたのかや)
ふと、外を見ますと、いつもより、あたりが暗いことに気付きました。
信号はついているものの、ビルの窓が、暗いのです。
「停電してるんだなや」周りの人達が口々に言っているのが聞こえました。
ほんとうにやばい事になってる。
家に電話をしようにも、どこの電話も長い列が出来ております。
雪はまだまだ降っております。
ですが、すこしだけ小降りにはなっているようです。
仙石線はまだ、動いておりません。午後6時をすぎた頃、復旧の見込みがたっていない仙石線をあきらめ、バスで塩釜へ向うことに決めました。
丸光の前から、宮城交通の塩釜車庫前行きのバスがあるはずでした。
僕はそこに向かいました。
話はまた次回へと続きます。どこが恋の話かって?まぁ後編をお読み下さい。
1980年12月24日。「イヴ嵐」と名づけられた大雪。みなさんはどう過ごされましたか?
「雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう」
大雪に変わっちまったら、大変だぁ。
(J-WAVEでは、クリスマスの曲が多くかかっています。マライヤキャリーのいいよね)
大雪といえば、1975年(酔漢さんの小学生時代の記事にありました昭和50年です)の大雪も大変でした。
私が乗車していた仙石線が車両の屋根に積もった大雪で傾き、駅間で停車してしまったのです。
車内はとても息苦しいのですが、大雪のため窓をあけるわけには行きません。
おねーさんの中には、床にしゃがみこんでしまう方もおりました。
ケータイなんか陰も形もない時代でしたし、車内の空気はピリピリギスギスです。
数時間後「救援列車」がたどり着き、やっとこさ二高に着いた時には、11時を回っていました。
で、当然と申しますか、「大雪のため休校」の掲示。
Uターンした私がバスで下馬にたどり着いたのは夜になっていました。
雪国の路線でしたら、車両の雪対策もきちんとしているんでしょうが、仙石線はあまりに弱かったのです。
酔漢さんもご承知のように、首都圏の列車は数センチの積雪でも止まってしまいます。
そのたびに、あの日の仙石線を思い出し、苦笑いしてしまいます。
このブログにコメントをくださる丹治さんは、その頃にはすでに仙台へ通学しておりましたから、ご本人のコメントが欲しいところです(おねがいしまーーす)
冬になりますと、仙台駅仙石線ホーム一番端。下り電車の先頭車両のあたりから、ポイントを見ますと、よくランプで火を焚いて、凍結防止をしてました。西塩釜駅でも単線に切り換わるポイントは、そうしてました。こまっつあきの実家では、最近水道管が凍りません。地球温暖化?こんなところにも現れているのでしょうか。
日本一「止まる」事で有名な?中央線は、とにかくなんでもしなくちゃなりませんから。
先日の雷雨の際は三鷹駅の落雷で信号・ポイントが故障し、またもや止まってしまいました。
仙台の頃にはまったく理解できなかったのですが、ヘタすると毎週のように「止まる」のです。
逆に東京人がまったく理解できないのが「水道管の凍結」。
風呂の残り湯をやかんでお湯にして、屋外の水道管にドボドボ...これは北国の風物詩ですよね。
小中学生の頃は、道路の下の水道本管も凍結して「破裂」を何度も繰り返していました。
道路が洪水に!しかも路面が何十メートルも全面凍結!
東京じゃTVニュースモノですが...
そうそう路面凍結といえば、仙台の「山」方面の路面凍結時のバスに乗ったことがあります。
カーブのたびにギュワーンと滑っていき、景色がブレて行くのです。
まあ、酔漢さんの奥さんの地元では、日常の風景かもしれませんね。