酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

潮騒のメモリーって。

2013-09-30 04:48:05 | もっとくだまきな話
表題をご覧になられた皆様は「なしてだべ?」と思われたのでは。
本日「くだまき」は「あまちゃん」を語ります。
丁度、仕事が、午後に偏った関係で、朝ドラに付き合う事が出来たのでした。
オープニングは目覚まし時計替りでした。
さてさて、宮藤官九郎さんの脚本には、「してやられた!」酔漢ではございますが、「最終回」はことのほか印象に残りました。
ですがその前に・・・。

話しは遡って1884年。仙台市内喫茶店「カフェ・ソコ」です。
「酔漢君って、なんだかんや言ってもっしゃ。考え過ぎなんでねぇのすか?」
いつものコーヒーを飲みながら映画の話題。
相手は「ある友人」君なのですが・・。
「んだってっしゃ、俺はそう思うんだおん」
と、これもいつもの酔漢の台詞。

ですから、これも「それ的な落ち」なのかもしれません。

鈴鹿ひろ美「あら、やだ!『じょじょ』って・・奇妙な冒険よねぇぇ」

酔漢が一番「おもせがった」台詞です。
もう腹抱えて笑ってしまいました。
例の「お鮨屋」「無頼」(この店の名前も凄くて・・)での会話なのですが。
「じぇじぇ」と言うところを、「じょじょ」と言った鈴鹿ひろ美さんです。
間違いに気づいて、先の台詞。
「ジョジョ」って言えばです「ジョナサン・ジョースター」の事ですよね。
「ジョジョの奇妙な冒険」の作者「荒木飛呂彦」氏は宮城の出身ですから。
宮藤さんが意識したのは、解ります。
たぶん、「これ的な場面はたくさんあったんでねぇかや」と思う次第。
「レディオ・ガガ」にも笑えましたが・・・。

「壊れた物を逆回転で元に戻す」
でも、これは、絶対に出来ない事ですよね。
主人公は、壊れた物を元に戻すどころか、以前の形以上の物を作り上げて行きます。
それが魅力だったのですね。
「何かが壊れていくシーン」はたくさんありました。
その都度、その先がどうなるのか・・・これが、次週への興味に繋がるのですが、大いに期待してしまう。
「んで、おらがやる!」
この台詞はさり気ないようで、「アキ」の決め台詞にも思えて来ます。
最終回。鉄道の未復旧路線をトンネルの先へと歩いていく。
それまであったもの以上のものが出来そうな期待感で幕を閉じます。

そして「おしまい」の文字。
「おしまい」はテレビ、映画では使われる事は少ない。と言いますか酔漢の記憶にはありません。
ただ唯一の記憶と言えば「のらくろ」です。
田川水泡氏は各単行本の最後に「おしまい」としていた記憶がございます。(違っておりましたらご容赦)。
その「おしまい」の後に「少年倶楽部の宣伝」があって・・。
「おしまい」は「お終い」で「おわり」と同じ意味なのでしょうが、どうにも、先への繋がりが見えてきそうな言葉です。
「あまちゃん2」(仮題)は、宮藤官九郎氏は否定的ではありますが、最後のこの「おしまい」は、まだ道半ばの復興への希望のように見えてきます。
トンネルの先にあるもの・・・見えて来るものは今だ片付かない瓦礫の山です。
「おしまい」では片付かない何かが・・そこにあるような。
「アキ」が歩いていくその道の先に、逆光の中の光がみえてくるような演出だったと思うのです。

「来てよそのひを飛び越えて」
「鈴鹿ひろ美」と「天野春子」と「潮騒のメモリーズ」が歌う「潮騒のメモリー」。
字幕を見て、ふと気付きました。
「来てよその火を飛び越えて」とありますが「その日を飛び越えて」には聞こえませんでしょうか。
どうしても、「その日」=「3.11」となるような気がしてなりません。
「その日を飛び越えて。来てよ!」
「その日を飛び越えなくては出来ない何か」その覚悟。
そう考えてしまいました。

2011年。「潮騒のメモリー」映画上演が震災で頓挫しました。
「寄せては返す波のよう」が「津波を連想させ、被災者を苦しめる」そんな「鈴鹿ひろ美」の台詞があります。
実は。
「中村ハルコ」さんの写真集「海からの贈り物」が「ACのCMに採用される」そんな予定があったのです。
彼女の表現した海。「荒浜」で撮影された数々のシーン。
その中には、彼女自身の姿もあります。
これが、あの震災で、やはり企画打ち切りになりました。
「津波での被害が甚大なときに、『海からの贈り物』は如何なものか」となりました。

今、「あまちゃん」を思い出してます。
「恵みの海」を思い切って表現し、そして評価されてます。
「寄せては返す波のように激しく・・・」。
批判の対象にならないのは時間た経ったからでしょうか・・・。
この答えは酔漢にも解りません。
ブレイクしたこの歌詞は、誰しもが聴き、そして癒される。
「だれ、酔漢。俺達は海でしかやっていけねぇんだ。って言うか、そいずが一番おもせぇんだ」
釜石の「しんぺい」の言葉も思い出します。

♪地元へ帰ろう 地元で会おう あなたの故郷 私の地元♪

実は、この歌詞が一番堪えた酔漢でした。
「会いたい人・・大勢・・」
その会いたい人の中におります高校時代の同級生。
本日より始まります「朝ドラ」の音楽は、彼女の作品。

♪地元で会おう(仙台)♪
三番の歌詞。

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4 コメント

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こんばんは (見張り員)
2013-09-30 21:18:11
あまちゃん
大変な人気を博して終了しましたね。
私は時間の関係等で見ることはなかったですが、あまちゃん効果でロケ地等への観光客が大変来たとか。
これが復興のさらなる足がかりになることを願ってやみません。

「おしまい」という言葉、好きですね。
「終わり」というとそこまでという感じですが「おしまい」というと・・・うまく言えませんが何か別もののような気がして・・・。
言葉自体の優しい響きのせいかもしれませんね。
返信する
見えてない答えがあるとすれば 消えてない 窓の隙間から見える太陽 (ある友人)
2013-09-30 21:50:40
名前が出たので、何か答えようと思ったのですが、私は「あまちゃん」どころか「半沢直樹」も見ていないという天の邪鬼な人間なのものですから・・・。そちらの感想は他の方にお任せします。ちなみにジョジョは第三部と第四部が好きですが。

まあ確かに「考えすぎ」と言ってましたねえ。でもそれはさ、「好きなら芝居をやればいい」と言ってるのに、いろいろ考えすぎてなかなか動かない酔漢さんを焚き付ける意図で言っていたのが一番の理由ですけどね(笑)。私からすると「ごちゃごちゃ言ってねえで、やってみりゃ何か分かるよ」って感じだったわけですよ(笑)

ただそれとは別に、私が知る酔漢さんは、何につけ「隠された意図」を探るのが好きで、いつもそういう事に熱中する人でした。私が「考えすぎだ」と答える構図が示す通り、多くは酔漢さんが何らかの話をして、私がそれに反応する感じだったけど、まあ暇な大学生同士が真面目に思考の遊びをしていましたよね。至って真面目な論議の遊びだったから、ちゃんと私なりに定義もありました。優れた物語はシンクロニシティみたいな「意味のある偶然の一致」を生みだす事が往々にしてある。つまり必ずしも作者の意図ではなく、誰かに発見され、解釈されて、意味が生まれてくる場合もあるという考えです。
たとえば村上春樹の「1Q84」に出てくるリトルピープルと、最近になってよく都市伝説として語られる「小さいおじさん」にはどこかリンクするものを感じますが、村上氏はそれを知っていて意図的に書いたわけではない筈です。あの方はテレビを見ないし、あまり日本にいませんからね。ただ偶然に何か時代的な意味のある一致を見せたのだと思うわけです。
だから「考えすぎ」と言ったもうひとつの理由は、酔漢さんが語る事の多くは自身が見つけだした意味であり、創造(想像じゃないよ)物だと思っていたわけです。
言うまでもないけど、批判的な意図はまったくありませんよ。もっと分かりやすく言い換えれば、「酔漢さんってホントに妄想力が豊かだよね(笑)」と言っていただけです。それは私流のひねくれた賞賛と扇動です。

というわけで、今後とも変わらず妄想世界を広げてくださいませ。

ちなみにかつてロッテが準フランチャイズでありながら、仙台での日本シリーズを蹴った怨念を、今年の楽天が晴らしてくれるかもしれませんよ。楽しみじゃないですか?ふふふ。
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見張り員さんへ (酔漢です)
2013-10-01 06:08:44
こんにちは。
「おしまい」は、記憶がなくて、記事にもしましたが「のらくろ」の各回の最後が「おしまい」だった事しか覚えないです。でも「丸」のバックナンバー(と言ってお分かり頂けるかと・・・・)を見ると、そうでもないですから・・。
でも、言葉的には良いですね!
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ある友人君へ (酔漢です)
2013-10-01 06:11:15
妄想癖・・・あるかも!って、ある!
そうか、言われてみれば・・デス。
50になって気づく事もあるんだなぁ。
とさておき。
最後のセリフでもって「くだまき」を更新しました。
そうだよね。あれはやはり怨念!だよね。
そう考える仙台人?多いよね。
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