酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

史学してみた。 「風雲児」が生きた時代 五

2012-12-21 10:27:53 | もっとくだまきな話
昭和32年10月25日。東京丸の内署。留置場内。
川口検事との取調べに対し、立松は頑として、証言を拒否しております。
「ニュースソースを明かすことは出来ない」この一点ばりです。
検察は、立松を、丸の内署内、留置場へ案内します。
「おい!東京高検の預かりさんだ。入れるぞ!」
「なんだぁ!こらぁ!どこにそんな場所があるんだよ!看守やってんなら分るじゃねぇかぁ」
やたら、凄みのある連中が数人、留置されているのを立松は見ておりました。
「この連中、皆が高検預かり?相当のワル達だなぁ。・・・高検め。わざと『ゴロツキ部屋』にいれやがったな」
立松は入れられます。
一人の男が立松に話しかけて来ました。
「おい、そこの新入りさんよぉ。高検からなんだよな」
立松は、膝を抱えたまま、牢屋の外を眺めておりました。
「あんた、いいスーツ着てるじゃねぇか。そんなあんたが、一体何やらかしたんだい?」
立松は答えを返すのにも、辟易しております。
「控訴審か?おい!」
返事をしない立松に、別の男が、凄んで見せました。
(しょうがねぇなぁ・・答えないと何されるか分らんし・・・)
「違うよ」
「じゃぁ、最高裁の差し戻しかよ?」
「そいつも・・違う」
「他に何があるんだよ!」
「高検の特命捜査!」
立松はぶっきらぼうに答えます。
その言葉を聴いた牢屋の住人達は一斉に声を上げました。
「何だって!!こいつぁ大物だぁぁ!」
彼らの立松を見る目が違ってきました。
立松はスーツを着ております。当時のスーツは既製品ではなくてオーダーが殆ど。しかも、イギリス製高級服地で誂えた高級品です。
所謂「ゴロツキ」と呼ばれる連中は、ヤクザ(この表現を使いますが、他意はありません)が殆ど。
ですから、自分たちと同じ世界の人間と考えたわけです。
「高級紳士服のヤクザ」=「どこか、大きなところの組長クラス」
こういう方程式だったわけでした。
「新聞記者だなんて、言えるかよ」
立松は、まんじりともしない夜を明かしました。

先の「第4話」に於きまして、読売新聞昭和32年10月25日の朝刊を掲載いたしました。
立松逮捕が23日夜。ですから読売側は約24時間、「立松逮捕」を報道しなかった事になります。
これには、いろいろと憶測が飛び交う史実でもあるのでした。
ですが、読売は、「立松を見殺しにしたわけではない」。
酔漢的私見です。
少しだけ、読売の行動を見てみます。

昭和32年10月25日。正午。読売新聞社内。
編集局長、小島。社会部長、景山。弁護士二名による協議が行われております。
「中村さん(弁護士)、立松を釈放する術はあるのでしょうか?」
「立松君は、大きな病気をされていたと聞きましたが。本当でしょうか」
「そう、胃を切り取って、そして、結核の手術も二度」
「主治医は?」
「前田外科、林医院長です」
「診断書を高検に提出しましょう」
しかし、高検はこれを拒否致します。
中村は、岸本と検事時代に交流がありました。
帰りの車中、こう話しております。
「まさか、岸本さんが政治的配慮が理由で、一新聞記者を逮捕するなんて・・君たちの話しを聞いても信じられなかった。しかしだ。実際、今日、東京高検へ行って初めて分かった。・・君たちの見方の方が正しいのかもしれない。一体、岸本さんは・・・でも・・それほど、検事総長になりたいのか。馬場がそんなに邪魔なのか・・」
他紙も含めて、この東京高検の取った「立松逮捕」は大きな意味として捉えられます。

昭和32年10月25日。午後1時。記者会見会場。
司法記者クラブの求めに応じた、岸本検事長。
朝日の記者が噛みつきました。
「岸本さん。逃亡の怖れがない者を逮捕するなんて、全く『不当逮捕』だと思わないのですか?」
「諸君は、そう言われるが、私はそうは思いません。立松記者と読売の他の関係者との供述が大きく食い違っていて、証拠隠滅の怖れも出て来た。つまりだ!この度の逮捕はだなぁ、必要性と緊急性があったことは自明。刑事訴訟法の手続き通りです」
途中、記者たちに、にらみを聞かせながら、話しを進める、岸本。
しかし、記者達の質問攻めにとうとう本音を漏らしてしまいました。
「要はだ!立松記者が、当局に一切の真相、問題のあった記事のニュースソースがどこの何という検事なのか。これが重要なんです。これを話してくれさえすれば、数時間で片がつくんだ」
記者達は、この発言に唖然とします。
ここで、立松逮捕の理由が「ニュースソースの裏付け」であることが、公になってしまいます。
記者達はいきり立ちました。
「ニュースソースを明かせだと!これを明かしたら、新聞が新聞でなくなるんだ!何を馬鹿げた事を検事長は話したんだ!言論統制ではないか!」
「そのような、慣習があること自体がおかしいんだ!これはね、君たちだけの世界の事であって、法的には何ら意味をなさないものなのだよ。君たちは司法記者なんだろ?知らない訳はないと思うのだが?」
「検事長!検事長!いいですか!今の発言は重大な意味を持ちますよ!報道の自由に対する挑戦ではないですか!」
「どう受け取ろうが、君たちの勝手。それによって法が変わることは無いんだよ。取材源秘匿はね、過去の最高裁判決でもそうだろ?『石井記者証言拒否事件判決』でも明白だ!」
この席にいた読売新聞、記者、三田は、質問を一切しておりません。
各社、記者達の発言を注意深く見守っております。
ですが、他社の記者達が「立松擁護」「岸へ反論」を全会一致となるような、そんな記者会見。
熱くなるのを抑えきれませんでした。
会見も途中、しかし、結論は無い。三田は、電話へ走りました。
「萩原さん!各紙、立松擁護。立松擁護で全会一致です」
「よーーし!わかったぁぁぁぁ!明日の一面だ、立松そのものを明らかにするんだ!」


そして、読売はその夕刊でこうコラムを掲載しております。

10月26日。読売新聞、夕刊。「読売寸評」より抜粋
売春汚職に関する本社立松記者の記事が、完全な誤報であったとすれば、名誉棄損になるかもしれない。(中略)名誉棄損かどうかの問題も、売春汚職の本筋にはっきり白黒をつければ、結論の出る話だ。■最高裁の判例には、「記者といえどもニュース源を秘匿できない」というのがある。立松記者を逮捕したのは、こういう根拠によるものだろうが、ヒトラーや東条でさえ、善良な市民を逮捕するためには、いつも根拠を用意していた■公正な岸本検事長が、しかも言論の自由のこんにち、立松記者をしたことには、よほどの根拠と確信があったのだろう。が、怖れるのは、売春汚職という国民注視の事件の勃発が、このような第二義的な事件で、ほぐらかされはしないかという印象を与えることだ■千葉東大教授は「今度のやり口は、新聞記者に記事を書かせないようにするオドカシ的な効果を持っている」(日経)と批判している。逮捕の当不当はともかく、立松記者をはじめこれしきのことで、真相摘発への意力を捨てることはできない■国民は当局が様々な汚職事件に、いつも柔断厳正で、かりそめにも政治の圧力による腰砕けなどしなかったと信じている。誤審がどうかは、このような当局の態度によってのみ決められる。

他紙はどうであろうか。朝日新聞新聞「社説」10月27日。

外国人記者クラブの声明を読売は掲載しております。10月27日。


「立松記者の不当逮捕」は、広く国民の知るところとなり、言論統制と意味も受け、大きな検察へのバッシングへと進んでおります。

立松は、留置場内でこれを知り得ることが出来ておりましたでしょうか。
おそらく、ここまで、お聴きになられた皆様は、この辺りが非常に気になっておられることと思います。
実際はどうであったか。
記録では立松が逮捕された翌朝、新聞の閲覧を認められております。
おそらく(ですが・・)立松は特に、自身の所属する読売が記事にしている。こう考えたのではないのでしょうか。
しかし、読売が記事にいたしましたのが、これは先に語った通りです。1日近く経ってからでした。
その後、立松には世間を知る術はありませんでした。
もし、立松が上記のように、「世間が自身を擁護している」と知ることが出来たなら、彼の心の支えも違っていたのだろうと思います。

昭和32年10月26日朝。東京高検へ。6階特別室前。
立松は便所へ立ち寄ります。
やはり、懇意にしている検事と一緒になります。
「立松君、えらい目に合っているね。今日から取調べの検事が変わるそうだよ。噂は君も知っている関西の人だ。最後まで頑張ってくれたまえ」
立松は検察内にも自分を応援してくれる者がいると思うだけで、目頭が熱くなるのを感じました。
特別室のドアを開け、立松は驚きます。
「関西の鬼検事」と異名を持つ「五番街事件」で名を馳せた泉がいるのでした。
「これで取調べの検事が三人目(山口、大津そして泉)。岸本の野郎、そこまで俺を追い込むのか」
関西の検事であれば、「立松父親の影響を受けていない」岸本はこう考えたと推察いたします。
立松自身を単に、犯罪者(この表現は当てはまりません、彼は拘置されているだけです。ですが、泉視点からだとこうなります)としてしか、見ていない。
そして、自白を得ることに掛けては、敏腕とされる鬼検事。
立松に対する執拗な取調べが始まりました。
「黙秘権がありますが、ですが、それを問題にしていては、物事が進みませんからなぁ」
立松は黙って聞いております。
「あなたの知り合いの検事の名前だけおっしゃて下されば、その場で釈放致します」
単刀直入に聞いてきた。いきなりニュースソースの核心に触れて来ました。
「そんな者いませんよ」
「では、仕事を通じて、知り合った検事は?」
「知り合いの検事なら大勢いますよ。何せ、司法記者なんですからねぇ」
「あなたのお書きになられた記事は拝読させていただきましたよ。随分特種な内容ですなぁ。そういうときのニュースソースは、検察内部でしょ?いやねぇ、お宅の編集局長がね、言っておるんですわ。今度の記事の情報源は検察内部からだとねぇ。その教えてくれた人物をお話ししてくださいよ」
「局長が?誰に対して、何を言ったかなんて知りませんぜ。泉さんねぇ。私がニュースソースを明かすなんてそんな事は出来ませんよ」
同じ質問。同じ回答の繰り返しです。
立松は、留置場内、そしてコンクリートの壁に囲まれた、この部屋においても、背中の傷が相当痛くなっていることを感じております。
泉検事は、話しを変えて来ました。
「立松さん。私はあなたとお会いするのは初めてなんですがね。お母様の事は良く存じているんですよ」
「家のお袋は有名人だからねぇ、知った奴ぁ多いと思うよ」
立松も動揺を隠せません。泉はその立松の動揺を見逃すわけもありません。
「音楽会が大阪でありましてなぁ。私は花束持って会場へ行ったのですよ。いやぁ、相変わらず素晴らしいお声だった。感動しましたなぁ」
「私はね、音痴でしてね。お袋の歌も庄司太郎の歌を聴いても一緒なんです」
「いやね。今頃どうされていらっしゃるのかなぁって思いましてね。ご子息がこのようなところにいると思ってね。相当嫌な思いをされておられるのかと・・・こう思いましてねぇ」
泉の口調は丁寧であり過ぎる程、凄みを持って聞こえてきます。
「お子さんがおられるんでしょ?」
「男が二人」
「いくつ?」
「小学校二年と・・下の坊主は4歳」
「そうですか、学校ですよね。お友達の親御さんがね。新聞みますよねぇ。立松君のお父さんがどうなっているか知りますよ。虐められますよねぇ」
あらゆる手を駆使して、立松を精神的に追い込み、自白を得る。
流石の立松にも堪えます。
「立松、はいちまぇよ」
1時間も黙りこくっていた二人。泉が口調を変えます。

10月28日。読売新聞社、社会部内。
「局長、全国から反響が寄せられてます。全て立松を支持するものばかりです」
しかし、局長は押し黙ったままでした。
「どうしたんですか?」
「これだけの、支持を得たって、立松が全てを検察に話したら・・新聞の信用はこの瞬間で終わりなんだ」
「局長、まさか、局長は立松が自白すると・・・」
「そんな事は言ってない。だがな・・立松が・・・・お前、立松が打たれ強いと思っているのか?」
「タフですよ。あの人は。何せ、レイテの生き残りなんですから!」
「俺はそうは思わん。根っからのボンボン。そんな奴が、鬼検事の取調べに耐えられるはずがない・・」
「局長。弱気になったらどうするんです!立松を信じましょう。それまで、この問題を記事にし続けるんです!」



読売は「言論の自由に対する検察の挑戦」とこうした意味の記事をさかんに掲載しているのでした。

立松は、背中の痛みが限界を超えるのを感じます。
拘置期限は明日であることを知っていたのでした。

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