この映画を最初に見たのが小学校3年生。
テレビだと記憶しております。
それから劇場で十数回。
それぞれがカットの場面が違っていて、「公開の時に自分がいたら・・」と何度思ったかしれません。
親父の洋画好きは、これもなかなかでして、親父殿は「公開時に3度立て続けに見た」と話しておりました。
因みに、親父殿の西部劇ベスト1は「大いなる西部」でした。(後程 「駅馬車を抜いたんだ!ワイラーの野郎」とは、親父の弁)→1958年日本公開。
酔漢が映画にどっぷりハマッタ切っ掛けになりましたのがこの「シェーン」なのです。
シェーン扮する「アラン・ラッド」は不器用な役者ですよね。
ですが、その不器用さが、この映画では「無骨」となって、その演技に重みが出ている。
「男はこうありたい」
小学生の酔漢にも伝わるものがありました。
台詞も少ない脚本です。これは監督「ジョージ・スティーブンス」の抑えた演技指導と言えると思います。
ライカー一味との銃撃戦は、銃撃戦だけを捉えれば「真昼の決闘」のどうしようもない緊張感(始まる前の時計の運針・・・)とは、違っているし、「駅馬車」のような、効果を狙ったアクションとも違っております。
これも、「無骨」という形容詞がぴったりかと感ずる所です。ウィルソンとシェーンの一騎打ちには、もう心臓が飛び出しそう。
1秒ないんです!凄い絵です!
ジョーイ(少年)役「ブランダン・デ・ワイルド」の澄んだ瞳。
流れ者シェーンにひかれていく、気持ちの揺らぎを見事に演じきった「ジーン・アーサー」のさり気ない演技。
「これは、西部劇だぁぁ!ではなくて、西部劇という舞台を借りた人間映画だぁ」と、酔漢的私見でございます。
先に、酔漢の映画を観る切っ掛けになった。こう語りましたが、これには理由があります。
おなじみになりましたラストシーン。
「シェーンはどこに行くの?」
「戻って来てよ!戻ってヨ!・・・シェーーーーーーーーン!」
馬に乗ったシェーンが、何も言わずに去って行く。
この時、大きく字幕が流れてきます。
もう、半べそですから、席を立てません。
それで、馬に乗ったシェーンをじっと目で追って行きます。
その最後の最後。
「!何っしゃ!??」
画面の右側、丁度シェーンが馬でいるらしいあたりから黒い点が下の落ちるようなシーン。
「フィルムの汚れ?かや?」
最初はそう思っておりまして、数回程たって、同じ場面。
「もしかしたら。アラン・ラッドが落馬?」
そして数回経って。
シェーンが最後の場面にいる場所が「墓地」ではないかと思いまして、その時ふと。
「シェーンは、あの場所で死んだんだ!」と確信いたしました。
あの銃撃戦で、やはり撃たれていたシェーン。
最後に自分の死を見せる事をしたくなかったんだ。
これも、酔漢の私見です。
ですが、数十年が経ち、ある映画評の中に(誰の評かは失念)「あれに気づいた人がいたらそれは本当の映画好きだと言える」とありました。
「映画を観ていてえがったっちゃ」
これが何故か嬉しくて、映画にどっぷりとはまって行ったわけです。
Shane Classic Gunfight
「遥かなる山の呼び声」
「ヴィクター・ヤング」の名曲は、あのラストを思い浮かばせるのに十分な名曲です。
「遥かなる山々へ・・・・」誰を呼ぶ。そしてその声は。
ジョーイの最後のセリフ「Good bye Shane」とあった記憶があるのですが、(これも考えれば、相当意味が深いセリフなのですが)最近のDVDにはこのセリフがない事に気づきました。
「Shane!Come back!」の後に「Good bye・・・」なので、これがありますと、ラストの解釈も違ってきます。
「Good bye Shane・・・」少年の最後のつぶやきが、シェーンの最後を見るような気がしてなりません。
Shane (シェーン)-The call of the far away hills
テレビだと記憶しております。
それから劇場で十数回。
それぞれがカットの場面が違っていて、「公開の時に自分がいたら・・」と何度思ったかしれません。
親父の洋画好きは、これもなかなかでして、親父殿は「公開時に3度立て続けに見た」と話しておりました。
因みに、親父殿の西部劇ベスト1は「大いなる西部」でした。(後程 「駅馬車を抜いたんだ!ワイラーの野郎」とは、親父の弁)→1958年日本公開。
酔漢が映画にどっぷりハマッタ切っ掛けになりましたのがこの「シェーン」なのです。
シェーン扮する「アラン・ラッド」は不器用な役者ですよね。
ですが、その不器用さが、この映画では「無骨」となって、その演技に重みが出ている。
「男はこうありたい」
小学生の酔漢にも伝わるものがありました。
台詞も少ない脚本です。これは監督「ジョージ・スティーブンス」の抑えた演技指導と言えると思います。
ライカー一味との銃撃戦は、銃撃戦だけを捉えれば「真昼の決闘」のどうしようもない緊張感(始まる前の時計の運針・・・)とは、違っているし、「駅馬車」のような、効果を狙ったアクションとも違っております。
これも、「無骨」という形容詞がぴったりかと感ずる所です。ウィルソンとシェーンの一騎打ちには、もう心臓が飛び出しそう。
1秒ないんです!凄い絵です!
ジョーイ(少年)役「ブランダン・デ・ワイルド」の澄んだ瞳。
流れ者シェーンにひかれていく、気持ちの揺らぎを見事に演じきった「ジーン・アーサー」のさり気ない演技。
「これは、西部劇だぁぁ!ではなくて、西部劇という舞台を借りた人間映画だぁ」と、酔漢的私見でございます。
先に、酔漢の映画を観る切っ掛けになった。こう語りましたが、これには理由があります。
おなじみになりましたラストシーン。
「シェーンはどこに行くの?」
「戻って来てよ!戻ってヨ!・・・シェーーーーーーーーン!」
馬に乗ったシェーンが、何も言わずに去って行く。
この時、大きく字幕が流れてきます。
もう、半べそですから、席を立てません。
それで、馬に乗ったシェーンをじっと目で追って行きます。
その最後の最後。
「!何っしゃ!??」
画面の右側、丁度シェーンが馬でいるらしいあたりから黒い点が下の落ちるようなシーン。
「フィルムの汚れ?かや?」
最初はそう思っておりまして、数回程たって、同じ場面。
「もしかしたら。アラン・ラッドが落馬?」
そして数回経って。
シェーンが最後の場面にいる場所が「墓地」ではないかと思いまして、その時ふと。
「シェーンは、あの場所で死んだんだ!」と確信いたしました。
あの銃撃戦で、やはり撃たれていたシェーン。
最後に自分の死を見せる事をしたくなかったんだ。
これも、酔漢の私見です。
ですが、数十年が経ち、ある映画評の中に(誰の評かは失念)「あれに気づいた人がいたらそれは本当の映画好きだと言える」とありました。
「映画を観ていてえがったっちゃ」
これが何故か嬉しくて、映画にどっぷりとはまって行ったわけです。
Shane Classic Gunfight
「遥かなる山の呼び声」
「ヴィクター・ヤング」の名曲は、あのラストを思い浮かばせるのに十分な名曲です。
「遥かなる山々へ・・・・」誰を呼ぶ。そしてその声は。
ジョーイの最後のセリフ「Good bye Shane」とあった記憶があるのですが、(これも考えれば、相当意味が深いセリフなのですが)最近のDVDにはこのセリフがない事に気づきました。
「Shane!Come back!」の後に「Good bye・・・」なので、これがありますと、ラストの解釈も違ってきます。
「Good bye Shane・・・」少年の最後のつぶやきが、シェーンの最後を見るような気がしてなりません。
Shane (シェーン)-The call of the far away hills
塩竈について検索していたら酔漢さんのブログにたどりつきました。
私も伯父も母も幼児園と二小の卒業生です。伯父は酔漢さんと年が同じか少し上、母は酔漢さんの二つ下のようです。
私は今広島に住んでいるのですが、ブログの中の会話が宮城弁で再生され、塩竈に帰ったような気持ちになりました。
やっぱり塩竈はいいところですね。子育てが落ち着いたら、塩竈をゆっくり散策してみたいものです。
これからもブログを楽しみにしています。
磯山上に
太平洋を
真下に見つつ
素晴らしい校歌だと、先だっても二小の大先輩と呑んだ時に、盛り上がりました。
初めまして、酔漢です。
カヨ様は、こまっつあきさぁいたのすか?
幼児園に縁のある方のコメントは初めて。
また、いらしてくださいね。
私も校歌をたまに口ずさみます。
明るい曲、故郷の風景を思い出させてくれる歌詞が好きです。
私は長沢町に住んでいました。
一昨年、里帰り出産した際に元幼児園をちらっと見てみたのですが、入口の壁画がまだうっすらと残っていて非常に懐かしかったです。
また伺います(^^)
僕らの頃にはなかったものです。
長沢町ですか。
今度覗いてまます。
近くのお寺は友人宅です。
自分なんかストーリーさえ覚えていない、テレビでもやっただろうか?
そこなんですよね~ 何度も見なくちゃわからない!と思うのが・・・
特に最初と最後は見逃せないシーンだと思います。
繋がっている場合がありますからね。
それ以来、最後の最後まで、映画を観るようになりました。
本当ですね。繋がっている場合が多いです。