酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

酔漢の中の大島監督

2013-01-26 09:40:26 | さぁ楽しい「音・画」の時間だ!
次男の病気検査の為に、「藤沢市民病院」へ出かけました。
僕が向かうところは、眼科でございますが、その廊下を歩いていたとき、車椅子に乗った一人の老人がこちらとすれ違います。
奥様に車椅子の押された「大島渚監督」でした。
知り合いでもありません。
ですが、条件反射的に一礼。
奥様が返してくださいました。
大島監督の御病気が早く治って頂きたい。
一人のファンの気持ちが伝わったのかと、こう思いました。

大島渚監督作品→故郷塩竈市。

酔漢のチャートはこうなるのです。
これが、まず先に来ます。
このチャートにお気づきの方がおられますでしょうか。

塩竈市には「長井勝一漫画美術館」がございます。
ガロ編集長でらした「長井勝一」さんの編集した作品、「水木しげる」「白土三平」。
原画が多数展示されております。
とくに、ガロは「白土作品」の為の漫画雑誌と言っても過言ではないくらい。
「カムイ」の原点とも言える「忍者武芸帳」も、この美術館で観る事が出来ます。

「忍者武芸帳」は、大島渚監督が手掛けております。
昭和42年。
この作品、その年の「キネマ旬報社」の邦画ベスト10に入ります。
「漫画紙芝居の究極」と、酔漢は解釈しております。
「紙芝居を1秒間に5回替えられたら?パラパラ漫画ではなくて、本当に枠の中で横移動で帰る事が出来たら。どんなアニメーションになるのだろうか・・」
もともと、「忍者武芸帳」は貸本屋全盛の頃の作品です。
大島監督は、紙芝居のような流れでアニメーションを作成致します。
このリズム感。
凄すぎます。
単に「モンタージュ」という映画文法を駆使したものではありません。
現在、CGを駆使したアニメが殆どですが、この「忍者武芸帳」も決して古くはありません。
むしろ現代でも生きてくる。
そうした新鮮さも感じます。


http://youtu.be/LsjQI856HEQ

酔漢が中学時に見たこの作品。
「キネマ旬報社」がアニメーション(この作品は単に「アニメーション」というカテゴリーではないのですが・・・)作品をベストに入れたのは、「宮崎駿監督作品」「風の谷のナウシカ」までございませんでした。
酔漢に取りまして大島作品に初めて触れたもの。
「だから」なのかもしれませんが、この作品がベストに入ります。

「日本の夜と霧」
ストリーの中で激論が交わされる作品。
学生運動に大きな影響を与えます。
この作品は、「単に、大島作品に触れておきたい」。
こう考えて、東北大学側、ある小さな集会所的な場所へ行きました。
東北大学の某サークルが主催し上映されるというものです。
これは、実は、ある意味恐怖もありました。
「恐怖」というのは、これは作品によるものではございません。
まずは、会場へ入る前に、主催者側へ、学生証を提示させられます。
そして、ここへ来た目的を尋ねられ、最後に「後ろからつけてきた人がいなかったか」聞かれます。
その主催者は、いわゆる「過激派」と呼ばれる方々であることは、後に分かった事なのでした。
「まずいとこさぁ来てしまったなや」と半ば反省。
「後から勧誘されっこっともあんだべか?」とこれは不安だったのですが、そんな事もありませんでした。
全編に流れる「労働歌」と共に、出演者による激論。
消化するには、あと5回は必要。と考えましたが、これに五回も付き合うだけの根性は全くありません。
上映が終わり、入口から出ようと致しますと、耳にイヤホンをつけた背広姿の男が数名。
出て来る人間達を観察するように、遠めでチェックしているのが分りました。
これも、後程わかったのですが、「警察公安」の面々。
酔漢も五橋交差点まで、後をつけられました。
まいった。
「間違えられなくて、えがったぁ」
正直な気持ちでした。


「松竹ヌーベルバーグ」と呼ばれる事を嫌っていた監督でした。
「青春残酷物語」「太陽の墓場」
これは、映画産業が少しだけ斜陽へと向かう過渡期の作品です。
このリズム感と映像の美しさ、何せ、脚本の妙は、大島監督ならではの味付けです。

「戦場のメリークリスマス」は、3度。(一日一回。三日連続)。
ローレンス・ヴァン・デル・ポスト 氏著。「影の獄にて」と「種子と蒔く者」が原作です。
どちらが先がと言いますと、この原作「影の獄にて」を読みましたのが、高校二年次。
南のはずれの「捕虜収容所」は、歴史の中で埋もれている部分だと思います。
例えば「バターンしの行軍」は歴史の知るところではありますが、正確な記録も案外少ない。
書も少なく、こうした中で出会った本でした。
はたして、映画は、全員が男性でありました。(アラビアのロレンスはあれだけの出演者がいながら女性キャストはいないわけです)
宗教、教育的背景、価値観、育った環境、信条・・・・こういった単語をありったけ羅列させても、その個人個人の心の内は計りかねません。
民族、習慣などましてや。
「メリークリスマス・ミスター・ローレンス!」
このセリフの奥深さに考えさせられてしまいました。

「大島渚監督を酔漢が語る。どれほど長くなるのかと想ったら・・・・・何ぁんだぁ?」
おそらく、「ある友人君」はこう思うんだろうなぁ。
君と語ったあの饒舌な時間からすれば、これで終わりは短いよなぁ。
でも彼との会話を整理して「くだまき」にしようとしますと、これにはかなりのエネルギーを使います。
そして、岩井君が話してくれた「大島渚」も。
彼の心情も分かるような気がします。

最後にお見かけいたしましたのが、昨年の夏前の事でした。
「早くお元気になられて、また、大きな声で怒鳴って下さい」
心の中で何度も思いました。

その作品は永遠に。
大島渚監督のご冥福を心よりお祈り申し上げます。


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2 コメント

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生きた証を残しておくにはモノじゃなくて 誰かの記憶に残るような人生をお薦めします (ある友人)
2013-01-26 16:09:00
確かに学生の頃には大島渚氏についても随分と話しましたね。東北大での話は、「おいおい」とため息をついたのを思い出します(笑)。個人的には岩井さんのオフィシャルではない大島渚評をうかがいたいですねえ・・・。こそこそと耳打ちするようにメールで教えてくださいよ。
大島氏の作品は政治的だとか猥褻だとか言われ、当時の時代性が色濃く出たりもしていて、いろいろと物議を醸しだしましたが、実はいずれも常識的には歪んで見えるところもあるけれど、真っ直ぐな愛情が様々な形で描かれていたように私は思います。左翼的だとされていましたが、映画を見る限り、どこか三島由紀夫氏の匂いを感じるところがある気もします。「戦場のメリークリスマス」や「御法度」に共通する男色の雰囲気のせいじゃないですよ(笑)。創作における独特の美意識が互いに共通する何かを感じさせるのかもしれません。表出の仕方は違いますが、まるで谷崎潤一郎のような一筋縄ではいかない強烈な自意識を持つ美意識。そういうのって単純な自己愛に陥りがちな今では、天然記念物のようなものかもしれません。寂しい限りです。
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ある友人君へ (酔漢です)
2013-02-01 14:36:29
コメント遅れました。申し訳ございません。
さて、君が言う通り「三島のにおい」はありますね。岩井君が「豊饒の海」を映画にするなら「大島渚が面白い」と言っていた記憶があります。
さて、大島監督のデカダンはデカダンではなくて、壊しきれない何かを壊そうとしていた。
そんな印象があります。
「愛のコリーダ」ノーカット版以外は見ましたが、自分の中では消化できないで現在に至っております。
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