「ひょっこりひょうたん島」の後番組は1年で終わります。
やはり人形劇だったのですが、未来都市を描いた作品でした。
「空中都市008(ゼロゼロエイト)」がそれ。
「00ナンバー」と言えばもちろん「サイボーグ」。
この「00」は、世界各都市に存在する空中都市の番号でした。
日本の空中都市についた番号が「008」だったわけです。これ国際電話「0081」の元となった。という人もおられます。
世界の主要都市を8か所にしそれをロケーションとしたのが小松左京氏。
ここで、この8か所という数字が浮き出てまいります。
石ノ森原作の「サイボーグ009」は9人がメンバー。
世界から主要地域、そして主要とされる人種から構成されております。
本来ならば、もっと多くが必要だったのではないか。
これも酔漢の私見ではあるのですが、「先に9人がいて、それからそれに能力をつけたのではないか」。
ストーリーを展開させるには確かに9人では多い。
しかし、「世界を考慮したときどうしても9人が必要」であり、石ノ森は、「あえてストーリーを展開させにくい状況を作っていたのではないのか」。
こう考えております。
この劇場版も含めて神山の監督作品です。
時代と共に、その本流(例えば「ヨミ編」であるとか「天使編」であるとか)を一度外れながら、その時代時代に登場する彼等。
神山が酔漢より少し後の世代の旗手であるならば、こうしたあたりの影響が強く印象に残るのは当然の事であろうと考える次第。
今回のリメイクは、神山の強烈なる意識フィルターに通された「サイボーグ009」という事ができるのであろうと考えます。
小野寺氏がスーパーバイザーを務められましたアニメーション「平成版サイボーグ009」では、「ヨミ編」にも触れておりますが、「ヨミ編」の完結には至っておりません。
これは原作でもそうなのですが、各編が完結しないまま、次のエピソードに入り、それがまた支流となって、大海へ到達することはありません。
昨日も申し上げましたが、これが、この作品を難解にしている要因であることは否めません。
ですが、例えば、その当初からの彼等の悩み。「我々は人間であるのか」という疑問には、各エピソードによって描かれます。
「008=ピュンマ」が、ブラックゴーストの人工怪獣に襲われ大怪我をいたします。(→「ヨミ編」前「怪鳥島編」)急遽「ギルモア」によって緊急手術が施されます。
水中能力を更に高めることにも成功致しますが、ここで彼は大いに悩みます。
「これでまた人間から遠ざかってしまった」
彼等全員がこうした「人とサイボーグとの間での存在」と戦いながら、生きていく。
この事は、彼等のエピソードの中で取り上げられるところとなります。
「009=島村ジヨー」は、孤児であるため、孤児院での話が随所に出てまいります。家族ということに固執しているその弱点をブラックゴーストは巧みに突いてきます。
この精神的な部分が「最強の00ナンバー」と言われる島村ジョーの最大の弱点として描かれ、このプロローグの部分は、本当に悲しくなりさえ致します。
「未来人が、地球滅亡を感じ取り、現代への移民の計画を企てる」これは「天使編」と同時期の構想となります。
「ブラックゴースト」という懲悪に対しては、彼等は常に正義であり「戦いの意味」に於いては、吾々読者にしても明確なところなのですが、「未来人」であり「神」であり「天使」であったりしてまいりますと、彼等の苦悩が大きくクローズアップされる描かれ方になります。
原作者自らが語るところの詩。
「誰がために戦う」は、これを意識したものであろうかと、これも私見です。
最初にご紹介いたしました映像の中に「小さな国連軍」という言葉がございます。
彼等9人はそれぞれの地域からサイボーグをしてその能力を発揮しているわけですが、「アボリジニはどうした!」とかご意見が多々あります。
9人でもストーリー展開には多い人数。これは、ギリギリの選択ではなかったのか。こうも考えます。
「彼らの意志はそれを通した人類の意志」として、初期の作品発表の世界観では、東西冷戦状態、ベトナム戦争時代を考えれば、答えはおのずから出て来るのはなかろうか。
それぞれの時代の中で、彼等は生き、そして、「石ノ森」の意志を継ぎ、その感覚と意識の中で存在する「サイボーグ達」。
「本流を導いた石ノ森は、これを肯定的に捉えている」こう信じます。
漫画本世代(僕らよりもさらに上の世代)とは、やはり一線が引かれている。
これを否定するつもりは全くございません。
少年マガジン当時の編集長「宮原」が、完結を見せず、他社での連載開始を「至極残念に思う」とのコメントを残しておりますが、「書き切れなかった」という本音は、石ノ森にはあったのだろうとこう思います。
果たして今。「攻殻機動隊」の神山が、監督、脚本の「RE:CYBORG」が公開されております。
一部アニメファンからも「作画崩壊」とも言われますが、これは「神山の世界」。
酔漢がこだわるところではありません。
ご覧あれかし。
「仮面ライダー」は「改造人間」でした。
「サイボーグ」ではありませんでした。「サイボーグ009」以降、石ノ森は「変身」という大きなキーワードを残しております。
「サイボーグ」とはもともと「医学用語」です。生命体の保管機能として人工的な機能を融合させるという意味で正式な名称となっております。
英語にいたしますと「Cybernetic Organism」となります。
「改造人間」「新造人間」(キャシャーン)などなど、多くの用語がありますが、「サイボーグ」自体は、1960年発表の医学誌に掲載されています。
この作品が昭和39年(1964年)ですから、一般に発表されてから4年後に、石ノ森は作品としてその題名に使っております。
彼の感覚の中で「サイボーグ」から「改造人間」しかして、その後、定義的にはアンドロイドと言ってもよかろう「ロボット刑事K」が発表されおります。
人間が機械的な助けを必要としているのか。機械そのものが「人間的」であるべきなのか。「組織自体を変格させてその実態を変化させていくのか」
その捉え方は、様々ではあるけれども、「心」であるとか「良心」であるとかは変えられない普遍なものである。こうした事も石ノ森の作品の共通ではないのか。
(キカイダーの良心回路は、そのものであるけれども・・)
物心ついたときには、「鉄腕アトム」がアニメ(テレビ漫画)として放映され、そして、数々の作品に触れて来ました。
僕らの世代に共通の感覚でもって「テレビ漫画」から「アニメ」という変遷に触れて来ました。
「火の鳥」以上に、未だ自身でもって結論を出しきれない「サイボーグ009」。
この作品に付き合う。
郷土が生んだ天才の一人、「石ノ森章太郎」の意図を解っておきたい。
こうした思いはこれからも続くという感覚だけが残ります。
1997年のカレンダーだけが、壁に掛けられている。
石ノ森は目の前の幻影を掻き消そうと、一瞬カレンダーに目をやった。
再び、眼前に立ち尽くす「ギルモア」の目を見た。
現実に目まいを感じてしまう。
言葉が出ない。
そんな石ノ森の様子を、ギルモアは、いつもの(自分が描いてきたように)目で石ノ森を見下ろし、笑みさえ浮かべていた。
「石ノ森君、話しをしよう。君が驚くのも無理はない。私は2011年からここに来た。イワンのテレパシーでな」
「2011年?未来から?私はどうしているのか・・・」
「その話はまた後にしよう。と、君はどうして我々(サイボーグ9人他)の事を世に知らしめているのかね?」
「私はただ・・・そうしろと言われていたような・・・」
「そう、その通り。001(「001=イワン・ウィスキー」)の能力でもって、君に伝達させてそれを作品にしていた。答えはこうなのだ」
「一つ、聞きたい。いいか?」
石ノ森からようやく言葉が出た。聞きたい事は山ほどある。だが、今は目先の事だけが先決なのだ。
「何だね?」
「彼等・・・サイボーグ達は、今、何をしている・・?」
「彼らは、それぞれの住む場所にいて、それぞれの生活をしているのだが・・・」
「『しているのだが・・?』とはどういう意味なんだ?」
「日常に於いても戦いは続いておる」。
「相手は?」
「おそらく『神』と思われる・・」
「神?」
「逆に我々からの願いでもある・・001からは、21世紀からのメッセージを受け取っているはずなのだが、もちろん君への意識の奥底へだ。君が描く世界もまた逆に、我々の世界に反映される。こう理解してもらって構わない。だから!なのだ!」
「どうしろと?」
「彼らに休息を与えてくれないか。普通の生活に戻してやりたいのだ。幸せにしたやってもらいたい・・そうハッピーエンドという事だ」
「フランソワーズとジョーも・・・」
「そこは、君次第・・・」
「・・・・・・」
「すまん、まずは君が生きている間にという事だ」
ギルモアは腕時計を見る。
「いかん。001が眠りに着く頃となった。わしは行かないといけない。石ノ森君、邪魔して、すまんかった。また会おう」
「待って下さい。神とは、一体どんな相手なのですか!どうやって彼等には・・・戦う術はあるのですか?」
石ノ森の言葉が終わらない内に、ギルモアは病室を去っていった。
「完結・・・・生きている間。誰に・・・託すか」
雨は止んでいた。
夕方。
「お父さん、具合は?」
次男、「小野寺章」が病室のドアをノックしながら声を掛けてきた。
「Conclusion God's War」冒頭を基に、酔漢、脚色。
サイボーグ009 : 故石ノ森章太郎さんの人気作がついに完結へ 「クラブサンデー」で連載開始
2012年04月03日
クラブサンデーに告知されたマンガ「サイボーグ009」のページ
故石ノ森章太郎さんの人気マンガ「サイボーグ009」の完結編となる「サイボーグ009 完結編 conclusion GOD’S WAR」が、無料ウェブコミックサイトの「クラブサンデー」(毎週火曜日・金曜日更新)で連載を開始することが3日、明らかになった。第1話「プロローグ サイボーグ001~天使の羽音~」(42ページ)は13日から配信される。
「サイボーグ009」は、悪の組織ブラックゴースト団によってサイボーグにされてしまった島村ジョーら9人の戦士が、ギルモア博士とともに正義のために戦う物語。64年に「週刊少年キング」(少年画報社)で連載が始まり、「少年サンデー」や「月刊少年ジャンプ」(集英社)など約22年にわたって連載された。石ノ森さんの代表作として3度テレビアニメ化され、劇場版アニメも公開されている。
完結編は、石ノ森さんが残した膨大な構想ノートと資料のほか、石ノ森さん本人による小説原稿に基づいて、石ノ森さんの息子で、演出家の小野寺丈さんが構成。作画は、石ノ森さんの元アシスタントで、平成仮面ライダーシリーズではキャラクターデザインも務めた早瀬マサトさんと石森プロが担当する。13日に配信される第1話「天使の羽音」以降は、毎月中旬にクラブサンデーに掲載される予定。(毎日新聞デジタル)
やはり人形劇だったのですが、未来都市を描いた作品でした。
「空中都市008(ゼロゼロエイト)」がそれ。
「00ナンバー」と言えばもちろん「サイボーグ」。
この「00」は、世界各都市に存在する空中都市の番号でした。
日本の空中都市についた番号が「008」だったわけです。これ国際電話「0081」の元となった。という人もおられます。
世界の主要都市を8か所にしそれをロケーションとしたのが小松左京氏。
ここで、この8か所という数字が浮き出てまいります。
石ノ森原作の「サイボーグ009」は9人がメンバー。
世界から主要地域、そして主要とされる人種から構成されております。
本来ならば、もっと多くが必要だったのではないか。
これも酔漢の私見ではあるのですが、「先に9人がいて、それからそれに能力をつけたのではないか」。
ストーリーを展開させるには確かに9人では多い。
しかし、「世界を考慮したときどうしても9人が必要」であり、石ノ森は、「あえてストーリーを展開させにくい状況を作っていたのではないのか」。
こう考えております。
この劇場版も含めて神山の監督作品です。
時代と共に、その本流(例えば「ヨミ編」であるとか「天使編」であるとか)を一度外れながら、その時代時代に登場する彼等。
神山が酔漢より少し後の世代の旗手であるならば、こうしたあたりの影響が強く印象に残るのは当然の事であろうと考える次第。
今回のリメイクは、神山の強烈なる意識フィルターに通された「サイボーグ009」という事ができるのであろうと考えます。
小野寺氏がスーパーバイザーを務められましたアニメーション「平成版サイボーグ009」では、「ヨミ編」にも触れておりますが、「ヨミ編」の完結には至っておりません。
これは原作でもそうなのですが、各編が完結しないまま、次のエピソードに入り、それがまた支流となって、大海へ到達することはありません。
昨日も申し上げましたが、これが、この作品を難解にしている要因であることは否めません。
ですが、例えば、その当初からの彼等の悩み。「我々は人間であるのか」という疑問には、各エピソードによって描かれます。
「008=ピュンマ」が、ブラックゴーストの人工怪獣に襲われ大怪我をいたします。(→「ヨミ編」前「怪鳥島編」)急遽「ギルモア」によって緊急手術が施されます。
水中能力を更に高めることにも成功致しますが、ここで彼は大いに悩みます。
「これでまた人間から遠ざかってしまった」
彼等全員がこうした「人とサイボーグとの間での存在」と戦いながら、生きていく。
この事は、彼等のエピソードの中で取り上げられるところとなります。
「009=島村ジヨー」は、孤児であるため、孤児院での話が随所に出てまいります。家族ということに固執しているその弱点をブラックゴーストは巧みに突いてきます。
この精神的な部分が「最強の00ナンバー」と言われる島村ジョーの最大の弱点として描かれ、このプロローグの部分は、本当に悲しくなりさえ致します。
「未来人が、地球滅亡を感じ取り、現代への移民の計画を企てる」これは「天使編」と同時期の構想となります。
「ブラックゴースト」という懲悪に対しては、彼等は常に正義であり「戦いの意味」に於いては、吾々読者にしても明確なところなのですが、「未来人」であり「神」であり「天使」であったりしてまいりますと、彼等の苦悩が大きくクローズアップされる描かれ方になります。
原作者自らが語るところの詩。
「誰がために戦う」は、これを意識したものであろうかと、これも私見です。
最初にご紹介いたしました映像の中に「小さな国連軍」という言葉がございます。
彼等9人はそれぞれの地域からサイボーグをしてその能力を発揮しているわけですが、「アボリジニはどうした!」とかご意見が多々あります。
9人でもストーリー展開には多い人数。これは、ギリギリの選択ではなかったのか。こうも考えます。
「彼らの意志はそれを通した人類の意志」として、初期の作品発表の世界観では、東西冷戦状態、ベトナム戦争時代を考えれば、答えはおのずから出て来るのはなかろうか。
それぞれの時代の中で、彼等は生き、そして、「石ノ森」の意志を継ぎ、その感覚と意識の中で存在する「サイボーグ達」。
「本流を導いた石ノ森は、これを肯定的に捉えている」こう信じます。
漫画本世代(僕らよりもさらに上の世代)とは、やはり一線が引かれている。
これを否定するつもりは全くございません。
少年マガジン当時の編集長「宮原」が、完結を見せず、他社での連載開始を「至極残念に思う」とのコメントを残しておりますが、「書き切れなかった」という本音は、石ノ森にはあったのだろうとこう思います。
果たして今。「攻殻機動隊」の神山が、監督、脚本の「RE:CYBORG」が公開されております。
一部アニメファンからも「作画崩壊」とも言われますが、これは「神山の世界」。
酔漢がこだわるところではありません。
ご覧あれかし。
「仮面ライダー」は「改造人間」でした。
「サイボーグ」ではありませんでした。「サイボーグ009」以降、石ノ森は「変身」という大きなキーワードを残しております。
「サイボーグ」とはもともと「医学用語」です。生命体の保管機能として人工的な機能を融合させるという意味で正式な名称となっております。
英語にいたしますと「Cybernetic Organism」となります。
「改造人間」「新造人間」(キャシャーン)などなど、多くの用語がありますが、「サイボーグ」自体は、1960年発表の医学誌に掲載されています。
この作品が昭和39年(1964年)ですから、一般に発表されてから4年後に、石ノ森は作品としてその題名に使っております。
彼の感覚の中で「サイボーグ」から「改造人間」しかして、その後、定義的にはアンドロイドと言ってもよかろう「ロボット刑事K」が発表されおります。
人間が機械的な助けを必要としているのか。機械そのものが「人間的」であるべきなのか。「組織自体を変格させてその実態を変化させていくのか」
その捉え方は、様々ではあるけれども、「心」であるとか「良心」であるとかは変えられない普遍なものである。こうした事も石ノ森の作品の共通ではないのか。
(キカイダーの良心回路は、そのものであるけれども・・)
物心ついたときには、「鉄腕アトム」がアニメ(テレビ漫画)として放映され、そして、数々の作品に触れて来ました。
僕らの世代に共通の感覚でもって「テレビ漫画」から「アニメ」という変遷に触れて来ました。
「火の鳥」以上に、未だ自身でもって結論を出しきれない「サイボーグ009」。
この作品に付き合う。
郷土が生んだ天才の一人、「石ノ森章太郎」の意図を解っておきたい。
こうした思いはこれからも続くという感覚だけが残ります。
1997年のカレンダーだけが、壁に掛けられている。
石ノ森は目の前の幻影を掻き消そうと、一瞬カレンダーに目をやった。
再び、眼前に立ち尽くす「ギルモア」の目を見た。
現実に目まいを感じてしまう。
言葉が出ない。
そんな石ノ森の様子を、ギルモアは、いつもの(自分が描いてきたように)目で石ノ森を見下ろし、笑みさえ浮かべていた。
「石ノ森君、話しをしよう。君が驚くのも無理はない。私は2011年からここに来た。イワンのテレパシーでな」
「2011年?未来から?私はどうしているのか・・・」
「その話はまた後にしよう。と、君はどうして我々(サイボーグ9人他)の事を世に知らしめているのかね?」
「私はただ・・・そうしろと言われていたような・・・」
「そう、その通り。001(「001=イワン・ウィスキー」)の能力でもって、君に伝達させてそれを作品にしていた。答えはこうなのだ」
「一つ、聞きたい。いいか?」
石ノ森からようやく言葉が出た。聞きたい事は山ほどある。だが、今は目先の事だけが先決なのだ。
「何だね?」
「彼等・・・サイボーグ達は、今、何をしている・・?」
「彼らは、それぞれの住む場所にいて、それぞれの生活をしているのだが・・・」
「『しているのだが・・?』とはどういう意味なんだ?」
「日常に於いても戦いは続いておる」。
「相手は?」
「おそらく『神』と思われる・・」
「神?」
「逆に我々からの願いでもある・・001からは、21世紀からのメッセージを受け取っているはずなのだが、もちろん君への意識の奥底へだ。君が描く世界もまた逆に、我々の世界に反映される。こう理解してもらって構わない。だから!なのだ!」
「どうしろと?」
「彼らに休息を与えてくれないか。普通の生活に戻してやりたいのだ。幸せにしたやってもらいたい・・そうハッピーエンドという事だ」
「フランソワーズとジョーも・・・」
「そこは、君次第・・・」
「・・・・・・」
「すまん、まずは君が生きている間にという事だ」
ギルモアは腕時計を見る。
「いかん。001が眠りに着く頃となった。わしは行かないといけない。石ノ森君、邪魔して、すまんかった。また会おう」
「待って下さい。神とは、一体どんな相手なのですか!どうやって彼等には・・・戦う術はあるのですか?」
石ノ森の言葉が終わらない内に、ギルモアは病室を去っていった。
「完結・・・・生きている間。誰に・・・託すか」
雨は止んでいた。
夕方。
「お父さん、具合は?」
次男、「小野寺章」が病室のドアをノックしながら声を掛けてきた。
「Conclusion God's War」冒頭を基に、酔漢、脚色。
サイボーグ009 : 故石ノ森章太郎さんの人気作がついに完結へ 「クラブサンデー」で連載開始
2012年04月03日
クラブサンデーに告知されたマンガ「サイボーグ009」のページ
故石ノ森章太郎さんの人気マンガ「サイボーグ009」の完結編となる「サイボーグ009 完結編 conclusion GOD’S WAR」が、無料ウェブコミックサイトの「クラブサンデー」(毎週火曜日・金曜日更新)で連載を開始することが3日、明らかになった。第1話「プロローグ サイボーグ001~天使の羽音~」(42ページ)は13日から配信される。
「サイボーグ009」は、悪の組織ブラックゴースト団によってサイボーグにされてしまった島村ジョーら9人の戦士が、ギルモア博士とともに正義のために戦う物語。64年に「週刊少年キング」(少年画報社)で連載が始まり、「少年サンデー」や「月刊少年ジャンプ」(集英社)など約22年にわたって連載された。石ノ森さんの代表作として3度テレビアニメ化され、劇場版アニメも公開されている。
完結編は、石ノ森さんが残した膨大な構想ノートと資料のほか、石ノ森さん本人による小説原稿に基づいて、石ノ森さんの息子で、演出家の小野寺丈さんが構成。作画は、石ノ森さんの元アシスタントで、平成仮面ライダーシリーズではキャラクターデザインも務めた早瀬マサトさんと石森プロが担当する。13日に配信される第1話「天使の羽音」以降は、毎月中旬にクラブサンデーに掲載される予定。(毎日新聞デジタル)
更に私なりの考察をすれば、石ノ森氏の出身地でもある東北は「異能者」の世界でもあります。たとえば鬼がつく地名は圧倒的に東北に分布しています。たとえば坂上田村麻呂による悪路王という鬼の退治話は、当然石ノ森氏も知っていた筈です。歴史で語られる鬼とはまつろわぬ者たちですから、常にある種の反権力です。物語でサイボーグたちが対峙するのも、いつもある種の権力です。そもそもサイボーグ自体、普通の人間に対するフリークスであり、アンチテーゼでもあります。そんな彼らが繰り返し「復活」するのは、時代時代で作者が作中で問うべき権力対象を見つけているからで、私はあまり違和感を持ちません。その石ノ森氏の感覚は永井豪氏に受け継がれている気がします。
要するに石ノ森氏は自身の抱えるあらゆるテーマを背負わせる事ができるキャラクターとして、サイボーグたちを見ていたのではないでしょうか?それがライフワークだからこそ、多少の矛盾など気にしなかったのだと感じます。重要なのは作品から伝えるメッセージだし、細かな設定にこだわり過ぎて、せっかくの伝える手段を失ってしまったら意味がないと思っていたのではないでしょうか?
さて私は攻殻機動隊を高く評価していますが、アニヲタではなく単なるSF愛好者ですので、神山氏の手腕がアニメ的にどうでるかは見当がつきません。ただ攻殻機動隊も「ゴースト」という設定で人間の本質を見つめているところがありますし、追求するテーマは009と親和性がある気がしますね。
以前、ブログで、
「サイボーグ009」は、石森章太郎の不朽の名作と、よく言われますが、私には全く理解できません。
と書きましたが、石森章太郎の漫画は、特にSFものはよくわかりません。手塚、横山に比べ、ストーリーがわかりにくいですね。
00ナンバーで言えば、 0010(ゼロゼロテン)、0011(ゼロゼロイレブン)、0012(ゼロゼロトウェルブ)、0013(ゼロゼロサーティーン)というのも少年キング版009では出てましたね。悪役ですけど。(笑)
やはり、宮城の風土の影響なのでしょうか。
攻殻機動隊はマッドマックスが主として作られてます。
丸山さんの会社、そして菅野さんの音楽。
大きい部分をその土地の影響もあるのかと、認識を新たにいたしました。
トム様がおっしゃいますように、自身では未だ完結を見ない結論となります。
これからも付き合っていこうかと、そう思いました。
双子が登場する0011。精神薄弱とも思われる0010.
いずれも、その悲しさを背負ったストーリーのような気がいたします。
彼等を倒す度に重いものを背負っていく。
そんなストーリーだと感じてしまいます。