仙台市内。勾当台公園。
名横綱「谷風」の像があります。
その少し奥まったところにも、銅像があります。
「志賀潔」その人。
日本の細菌学はこの志賀潔で頂点を迎えます。
「頂点を迎える」このように表現をいたしましたが、これは、細菌学自体が頂点であり、何も学問としての衰退を意味する表現ではございません。
「細菌」という微生物の発見が限界にきている。そうした意味です。
志賀潔の赤痢菌発見は、世界的な功績です。
北里がいて、伝染病研究所があって、志賀がいて。
そのロケーションであったからこそ、赤痢撲滅に貢献できた。
史実です。
「伝染病研究所 志賀潔 研究室」
建物を正面に見て、左側二階にありました。
明治29年冬。
「先生。寒くないですか?ストーブのある部屋に行きませんと・・」
「君ねぇ、この位で寒い?」
「じゅうぶん!です・・ヨ!僕なんか、試験管触るのも冷たくて嫌になっちゃうんですから・・」
「そうかぁなぁ。でもここはまだ水出るでしょ!」
「はぁ?水・・ですか?」
「僕の家(実家)はねぇ・・水道が凍るんだよ。だから、藁なんかでこうねぇ、ぐるぐる巻きにしてねぇ・・」
「先生の・・・御実家って・・?」
「そうそう、まだ話してなかったけねぇ・・・・仙台なんだよ」
「仙台?ですか・・・遠いよなぁ」
「とおい・・・かぁ・・・」
明治三年の頃。仙台での住所は、こうです。
「陸前国宮城郡仙台」。才育小学校から一高。そして帝大。才育小学校は現在の「片平小学校」。
ここで少しばかり、細菌学の手法を見てみましょう。
純粋培養が出来るか否か。これに尽きるわけです。
環境下では、細菌は単独で生きているわけではありません。
他の細菌との共存です。
ある病原となり得る細菌を抽出し、それを培養させ、特定に至る。
こうした事を繰り返して、菌を特定させ、それを今度、血清他を作り出す元とする。
掻い摘んで申し上げますならば、くした事と理解しております。
お断りいたしますが、酔漢まったく医学の知識に疎いわけですから、間違い等ありますれば、ご指摘を待ちたいところです。
お気づきの方がおられましたら、何卒宜しくお願い致します。
ですから、膨大な時間と労力、そして技術が大事になってまいります。
「先生。お時間がございますでしょうか?」
「おや、どうした、志賀君。僕に何か・・」
「先生に見て頂きたいものがありまして」
「志賀君。見せたい物って・・・まさか!」
「先生、その『まさか』なんですよ。検証も、済んでます」
「早く、早く見せたまへ!」
キタサトは、シャーレを取り出します。見事なコロニーを形成させている、細菌群。
純粋培養に成功していることを意味しております。
キタサトは顕微鏡を覗きます。
「これは、君が研究していた『赤痢』!」
「先生。やりました!赤痢菌です」
明治30年。1898年です。
そして、キタサトもなしえなかった「日本人名」のついた細菌となります。
赤痢菌は志賀Shigaの名を取り「Shigella」と命名されました。
東京帝大内。青山。
瀕死の状態を脱し、(前回のくだまきですが、青山自身がペストに罹りました。今復帰です)元気でおります。
「なんだとぉぉぉ!伝研の志賀が、赤痢菌を発見しただとぉぉ!奴は帝大出身じゃないか!帝大で発見すればよかったのだぁ!どいつもこいつもだぁぁ!」
机を叩きながら、その第一報を受け取りました。
「先生。青山先生。落ち着いて下さい!」
「これが、落ち着いていられるか!またしても、伝研なんだぞ!帝大からは、何もでてこんではないか!」
そうです。帝大は、そのプライドから、新発見をことごとく逃しております。
「鈴木梅太郎のビタミンB1の発見」(理化学研究所)
「山極勝ニ郎の癌細胞発生」(帝大であるにも、病理学という事で医学部は否定に走る。後に、世界的な業績として認められる)
いずれも、その基礎は帝大医学部にあるのですが、帝大は自らこれらの業績を捨てている。これも史実なのです。
「先生、そろそろ回診へ伺いませんと・・・」
「回診だとぉ。お前も考えろ!伝研を何とかせぇ!全く、腹の立つやつらばかり居やがる!」
青山。回診へ出かけます。
回診の先は、大隈重信邸です。
「総理。最近、どこか痛いところでも・・」
「いやねぇ、青山君。身体の痛いところはないのだがねぇ・・・頭の痛いことばかり起きるからねぇ」
「ははは!総理。それは私も同じ事ですよ」
「ほう!天下の帝大、青山教授も『頭の痛くなるような事』を抱えておるのかね?」
「実は、ですねぇ。福沢と北里がグルになりまして、伝染病研究所などという怪しい研究機関を作りましてですなぁ。どうもあれが、調子に乗り過ぎでして・・」
「君はどうしたいのだね?」
「はぁ、実は、内務省が・・・・・でして・・・・・文部省をですねぇ・・・・こうしていただけるとぉ。そのぉ・・・よろしいかとも・・・」
「そんな事かぁ、君の心配事って・・分かった。良きにしようではないか」
前回の表紙でした。これは明治39年に白金台へ移設した伝染病研究所です。
これからは、この建物が舞台となります。
時代は大正へと移ります。
馬車が二台。人力車が三台。伝研の前に着きました。
中から役人とおぼしき人物が数名。研究所の中へ入って行きます。
「研究施設です。部外者は立ち入り禁止です」
「部外者だとぉぉ。今から。、君たちの方が部外者となるのだ。これを見ろ!」
国からの勅令。
研究者達の眼前に突き付けます!
「勅令!本日より当、伝染病研究所は、その一切を内務省より文部省へ移管することとする!」
「何をもって・・・急に・・そんな!」
所長室。キタサトの眼前。
「どうした?」
「志賀先生。伝研が今日から文部省管轄へ移管・・」
「何だって?」
「と、いう事はだ、キタサト先生は、あの帝大、青山の部下という事に・・・」
「ああ。そうだ!そういう事だ!」
キタサトは、前を見開き。悔しそうな顔をしております。
「あ・お・やまぁぁ!」
キタサトが十数年掛けて作り上げた物を、一瞬して奪い去るような、勅令。
青山の政治力の凄まじさを物語る事実です。
東京。愛宕山。愛宕神社境内。
「やはりここでしたか?」
「志賀君。よくここが解りましたねぇ・・」
「まぁ、先生。これでも、一緒に・・」
「珍しいねぇ、君が酒を持ってくるなんて・・」
「たまには、良いじゃないですか」
「今は、そんな気分でも・・愚痴をこぼしそうになるからね」
「先生。私はそのつもりなのですが・・」
志賀はポケットから猪口を二個取り出します。キタサトへ注ぎます。そして自身にも。
「先生のおかげで、僕は赤痢菌を発見できました。あのまま帝大にいたら、そんな発見は不可能でした」
「何を言うか志賀君。君ならどこにいたって・・」
「そんな事はないですよ。あの伝研でなければ、出来ない事です。そして、若い研究員が多く育っているのも確かなんですから・・」
キタサトは、空を眺めます。
「志賀君。君もドイツへ留学していたから、解ると思うがね。どうして、日本の医学界、いや、研究機関は全て帝大へ向いているんだ?おかしいだろ。人の顔ばかりうかがっていたら、医学は、医学ばかりではない。日本の科学は、それだけで世界に取り残されるばかりだとは、思わないのか。君は良く知っているから・・そんなんじゃダメだ!志高く、自由に研究できる。そんな日本に私はしたいだけなんだ!」
「・・・・・・」
志賀、もう一献。キタサトへ。
帝大構内。キタサトは徒歩で医学部へ向かっております。
「青山先生。北里せん・・北里がこちらへ、向かってきます」
「ふん!今頃になってきやがって。部下になったらその日の内に挨拶に来るものだ!相変わらず礼儀知らずな奴目!いいか、助手たちには、打ち合わせ通りにと伝えておけ!」
キタサト帝大医学部の門を入ります。
「部外者は立ち入り禁止となっておりますが。どちら様で?」
「・・・・・」
無言で歩いて行こうとするキタサト。
「ですから、部外者は・・!」
「部外者だと!君たちが勝手に当事者にしたのではないのかね!」
その眼光の鋭さに、助手たちは一斉に引きます。
キタサトは青山の部屋へ入ります。
「ふん!今頃になって御挨拶か!まぁ多少遅れたことには目をつぶろうではないか、北里君」
「青山君。今日は、君に話しをしたくて、ここに来たんだ。もう一度話し合おう。伝研と帝大が一緒になってそれぞれが独立して研究を行えば・・・」
「北里ぉぉ。おい、お前、今何と言ったぁ『青山君』だと!『くん』とは何事かぁぁ!上司に向かってその口の効き方はなんだぁ!出直してこい!」
「だから。。。そのぉ、だな。伝研と帝大医学部がぁぁ。。。。。。。。」
「くどおぉぉぉい。お前の指示は俺が出す!おれの言う通りにやれ!ってんだよ!」
「そうか。残念だよ!アオヤマク・ン!おれの答えは・・・・コレダァァァ!」
キタサト。辞表を青山へ突き付けます。
「辞表?笑わせるな!お前一人の辞表など屁でもないわぁぁ!」
「本当にそう言えるのかね?」
「な!なんだ!その笑いは?」
一人の助手が走り込んできました。
「青山先生。大変です!伝研の職員、研究者。助手の全員がぁぁ」
「全員がぁ?伝研のぉ?何をしでかしたんだ?」
「全員がぁぁ、辞表を提出してきましたぁ。文部省へです!」
「何んだとぉぉぉ!」
キタサトは、一人笑っております。そして一言「志賀君。君って人は・・・」涙が溢れてくるのを感じました。
1914年、大正3年11月。辞表を提出したキタサトは、自費を投入し、あらたな研究所を設立させます。
「北里研究所」しっかり、自身の名を被せました。
志賀潔も、一緒です。伝研の元職員が全員スタッフとして移動してきました。
新たな出発を迎えます。
その頃。海の向こう、アメリカ。
「この度の君の功績に対して、当研究所は最大、最高の敬意を表する。ノグチこれで良いかね?正式な研究員にと思うのだが。遅くなってすまないね」
ロックフェラー財団、医学研究所。
「フレクスナー先生!では、私は・・・」
「そうだ。ノグチ。君を正式な研究員として、迎えよう!研究室は、どこが良いかね?」
ノグチは溢れる涙を抑えきれませんでした。
「これで・・・これで・・・かあちゃんに遭える!遭えるんだぁぁ!!」
その年、日本から、「理学博士」の称号も届きます。
世界の英雄。ノグチの名が広がって行きます。
お待たせしました。ノグチ登場です
名横綱「谷風」の像があります。
その少し奥まったところにも、銅像があります。
「志賀潔」その人。
日本の細菌学はこの志賀潔で頂点を迎えます。
「頂点を迎える」このように表現をいたしましたが、これは、細菌学自体が頂点であり、何も学問としての衰退を意味する表現ではございません。
「細菌」という微生物の発見が限界にきている。そうした意味です。
志賀潔の赤痢菌発見は、世界的な功績です。
北里がいて、伝染病研究所があって、志賀がいて。
そのロケーションであったからこそ、赤痢撲滅に貢献できた。
史実です。
「伝染病研究所 志賀潔 研究室」
建物を正面に見て、左側二階にありました。
明治29年冬。
「先生。寒くないですか?ストーブのある部屋に行きませんと・・」
「君ねぇ、この位で寒い?」
「じゅうぶん!です・・ヨ!僕なんか、試験管触るのも冷たくて嫌になっちゃうんですから・・」
「そうかぁなぁ。でもここはまだ水出るでしょ!」
「はぁ?水・・ですか?」
「僕の家(実家)はねぇ・・水道が凍るんだよ。だから、藁なんかでこうねぇ、ぐるぐる巻きにしてねぇ・・」
「先生の・・・御実家って・・?」
「そうそう、まだ話してなかったけねぇ・・・・仙台なんだよ」
「仙台?ですか・・・遠いよなぁ」
「とおい・・・かぁ・・・」
明治三年の頃。仙台での住所は、こうです。
「陸前国宮城郡仙台」。才育小学校から一高。そして帝大。才育小学校は現在の「片平小学校」。
ここで少しばかり、細菌学の手法を見てみましょう。
純粋培養が出来るか否か。これに尽きるわけです。
環境下では、細菌は単独で生きているわけではありません。
他の細菌との共存です。
ある病原となり得る細菌を抽出し、それを培養させ、特定に至る。
こうした事を繰り返して、菌を特定させ、それを今度、血清他を作り出す元とする。
掻い摘んで申し上げますならば、くした事と理解しております。
お断りいたしますが、酔漢まったく医学の知識に疎いわけですから、間違い等ありますれば、ご指摘を待ちたいところです。
お気づきの方がおられましたら、何卒宜しくお願い致します。
ですから、膨大な時間と労力、そして技術が大事になってまいります。
「先生。お時間がございますでしょうか?」
「おや、どうした、志賀君。僕に何か・・」
「先生に見て頂きたいものがありまして」
「志賀君。見せたい物って・・・まさか!」
「先生、その『まさか』なんですよ。検証も、済んでます」
「早く、早く見せたまへ!」
キタサトは、シャーレを取り出します。見事なコロニーを形成させている、細菌群。
純粋培養に成功していることを意味しております。
キタサトは顕微鏡を覗きます。
「これは、君が研究していた『赤痢』!」
「先生。やりました!赤痢菌です」
明治30年。1898年です。
そして、キタサトもなしえなかった「日本人名」のついた細菌となります。
赤痢菌は志賀Shigaの名を取り「Shigella」と命名されました。
東京帝大内。青山。
瀕死の状態を脱し、(前回のくだまきですが、青山自身がペストに罹りました。今復帰です)元気でおります。
「なんだとぉぉぉ!伝研の志賀が、赤痢菌を発見しただとぉぉ!奴は帝大出身じゃないか!帝大で発見すればよかったのだぁ!どいつもこいつもだぁぁ!」
机を叩きながら、その第一報を受け取りました。
「先生。青山先生。落ち着いて下さい!」
「これが、落ち着いていられるか!またしても、伝研なんだぞ!帝大からは、何もでてこんではないか!」
そうです。帝大は、そのプライドから、新発見をことごとく逃しております。
「鈴木梅太郎のビタミンB1の発見」(理化学研究所)
「山極勝ニ郎の癌細胞発生」(帝大であるにも、病理学という事で医学部は否定に走る。後に、世界的な業績として認められる)
いずれも、その基礎は帝大医学部にあるのですが、帝大は自らこれらの業績を捨てている。これも史実なのです。
「先生、そろそろ回診へ伺いませんと・・・」
「回診だとぉ。お前も考えろ!伝研を何とかせぇ!全く、腹の立つやつらばかり居やがる!」
青山。回診へ出かけます。
回診の先は、大隈重信邸です。
「総理。最近、どこか痛いところでも・・」
「いやねぇ、青山君。身体の痛いところはないのだがねぇ・・・頭の痛いことばかり起きるからねぇ」
「ははは!総理。それは私も同じ事ですよ」
「ほう!天下の帝大、青山教授も『頭の痛くなるような事』を抱えておるのかね?」
「実は、ですねぇ。福沢と北里がグルになりまして、伝染病研究所などという怪しい研究機関を作りましてですなぁ。どうもあれが、調子に乗り過ぎでして・・」
「君はどうしたいのだね?」
「はぁ、実は、内務省が・・・・・でして・・・・・文部省をですねぇ・・・・こうしていただけるとぉ。そのぉ・・・よろしいかとも・・・」
「そんな事かぁ、君の心配事って・・分かった。良きにしようではないか」
前回の表紙でした。これは明治39年に白金台へ移設した伝染病研究所です。
これからは、この建物が舞台となります。
時代は大正へと移ります。
馬車が二台。人力車が三台。伝研の前に着きました。
中から役人とおぼしき人物が数名。研究所の中へ入って行きます。
「研究施設です。部外者は立ち入り禁止です」
「部外者だとぉぉ。今から。、君たちの方が部外者となるのだ。これを見ろ!」
国からの勅令。
研究者達の眼前に突き付けます!
「勅令!本日より当、伝染病研究所は、その一切を内務省より文部省へ移管することとする!」
「何をもって・・・急に・・そんな!」
所長室。キタサトの眼前。
「どうした?」
「志賀先生。伝研が今日から文部省管轄へ移管・・」
「何だって?」
「と、いう事はだ、キタサト先生は、あの帝大、青山の部下という事に・・・」
「ああ。そうだ!そういう事だ!」
キタサトは、前を見開き。悔しそうな顔をしております。
「あ・お・やまぁぁ!」
キタサトが十数年掛けて作り上げた物を、一瞬して奪い去るような、勅令。
青山の政治力の凄まじさを物語る事実です。
東京。愛宕山。愛宕神社境内。
「やはりここでしたか?」
「志賀君。よくここが解りましたねぇ・・」
「まぁ、先生。これでも、一緒に・・」
「珍しいねぇ、君が酒を持ってくるなんて・・」
「たまには、良いじゃないですか」
「今は、そんな気分でも・・愚痴をこぼしそうになるからね」
「先生。私はそのつもりなのですが・・」
志賀はポケットから猪口を二個取り出します。キタサトへ注ぎます。そして自身にも。
「先生のおかげで、僕は赤痢菌を発見できました。あのまま帝大にいたら、そんな発見は不可能でした」
「何を言うか志賀君。君ならどこにいたって・・」
「そんな事はないですよ。あの伝研でなければ、出来ない事です。そして、若い研究員が多く育っているのも確かなんですから・・」
キタサトは、空を眺めます。
「志賀君。君もドイツへ留学していたから、解ると思うがね。どうして、日本の医学界、いや、研究機関は全て帝大へ向いているんだ?おかしいだろ。人の顔ばかりうかがっていたら、医学は、医学ばかりではない。日本の科学は、それだけで世界に取り残されるばかりだとは、思わないのか。君は良く知っているから・・そんなんじゃダメだ!志高く、自由に研究できる。そんな日本に私はしたいだけなんだ!」
「・・・・・・」
志賀、もう一献。キタサトへ。
帝大構内。キタサトは徒歩で医学部へ向かっております。
「青山先生。北里せん・・北里がこちらへ、向かってきます」
「ふん!今頃になってきやがって。部下になったらその日の内に挨拶に来るものだ!相変わらず礼儀知らずな奴目!いいか、助手たちには、打ち合わせ通りにと伝えておけ!」
キタサト帝大医学部の門を入ります。
「部外者は立ち入り禁止となっておりますが。どちら様で?」
「・・・・・」
無言で歩いて行こうとするキタサト。
「ですから、部外者は・・!」
「部外者だと!君たちが勝手に当事者にしたのではないのかね!」
その眼光の鋭さに、助手たちは一斉に引きます。
キタサトは青山の部屋へ入ります。
「ふん!今頃になって御挨拶か!まぁ多少遅れたことには目をつぶろうではないか、北里君」
「青山君。今日は、君に話しをしたくて、ここに来たんだ。もう一度話し合おう。伝研と帝大が一緒になってそれぞれが独立して研究を行えば・・・」
「北里ぉぉ。おい、お前、今何と言ったぁ『青山君』だと!『くん』とは何事かぁぁ!上司に向かってその口の効き方はなんだぁ!出直してこい!」
「だから。。。そのぉ、だな。伝研と帝大医学部がぁぁ。。。。。。。。」
「くどおぉぉぉい。お前の指示は俺が出す!おれの言う通りにやれ!ってんだよ!」
「そうか。残念だよ!アオヤマク・ン!おれの答えは・・・・コレダァァァ!」
キタサト。辞表を青山へ突き付けます。
「辞表?笑わせるな!お前一人の辞表など屁でもないわぁぁ!」
「本当にそう言えるのかね?」
「な!なんだ!その笑いは?」
一人の助手が走り込んできました。
「青山先生。大変です!伝研の職員、研究者。助手の全員がぁぁ」
「全員がぁ?伝研のぉ?何をしでかしたんだ?」
「全員がぁぁ、辞表を提出してきましたぁ。文部省へです!」
「何んだとぉぉぉ!」
キタサトは、一人笑っております。そして一言「志賀君。君って人は・・・」涙が溢れてくるのを感じました。
1914年、大正3年11月。辞表を提出したキタサトは、自費を投入し、あらたな研究所を設立させます。
「北里研究所」しっかり、自身の名を被せました。
志賀潔も、一緒です。伝研の元職員が全員スタッフとして移動してきました。
新たな出発を迎えます。
その頃。海の向こう、アメリカ。
「この度の君の功績に対して、当研究所は最大、最高の敬意を表する。ノグチこれで良いかね?正式な研究員にと思うのだが。遅くなってすまないね」
ロックフェラー財団、医学研究所。
「フレクスナー先生!では、私は・・・」
「そうだ。ノグチ。君を正式な研究員として、迎えよう!研究室は、どこが良いかね?」
ノグチは溢れる涙を抑えきれませんでした。
「これで・・・これで・・・かあちゃんに遭える!遭えるんだぁぁ!!」
その年、日本から、「理学博士」の称号も届きます。
世界の英雄。ノグチの名が広がって行きます。
お待たせしました。ノグチ登場です
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