お久しぶりでございました。約二週間ぶりの「くだまき」でございます。時間の都合で申し訳ございませんが。今回の話は、二回に分けてのものとなります。ご容赦下さい。
皆様から暖かいお言葉を多数頂戴いたしました。個別のコメントとして、返事に替えさせていただいております。
この件。前々回からの続きからです。
「奇跡的な駆逐艦」のお話を語ります。
「おい例の奴をお見舞いしてやろうぜ!」
「あの、『真上に行くと危ない奴』に。(月型駆逐艦です)射程が遠いんだ、奴等には最適なプレゼントに違い無い」
最近登場したばかりの航空用ロケット弾です。ですが、信頼性が今一つ。高度1000フィートから発射します。
「どうだ?」
「命中です!・・・あっつ!」
「なんだ?」
「二発命中。どれも不発です」
「『真上に行くとあぶない奴』はどうだ?」
「そのまま、航行を続けてます」
ホーネットの戦闘機隊は最新兵器「ロケット弾」を搭載しております。これを高度1000フィートから発射するのでした。
ビープ少佐はブリーフィングでの話しを思い出しておりました。
「あのクルーザーの真上を飛行するな。奴等の対空砲は恐ろしい。今までのジャップのクルーザーとはわけが違う。いいか、まず一つは『上空に逃げるな』ということだ。フィリピンのときはB25が高高度にいたのにも関わらずこいつにやられている。そしてもう一つは一発避けたと思ったらすぐ次の弾が飛んでくるということだ。その上、砲身が真上を向く。これは我々の艦にはないものなんだ。忘れるなよ」
彼は自身の隊に念を押します。
「『真上に行くと危ない奴』には近づくな!」
爆撃隊が近づけないこのクルーザー(ここでのクルーザーとは巡洋艦を指します。が、月型「駆逐艦」です。彼等はこの船の大きさと装備から最後まで巡洋艦としておりました。矢矧ぎと比較すると確かに駆逐艦なので、艦隊報告には駆逐艦としております。航空攻撃隊各隊は「クルーザー」と呼んでおりました)を仕留めるには雷撃かこのロケット弾に頼るしかないと彼等は判断しておりました。
しかしながら二発とも不発。
「奴の対空砲を黙らせるんだ!」
このロケット弾攻撃に会ったのは「涼月」の僚艦「冬月」だったのでした。
立て続けに二発。何がどう攻撃されたか分からなかった。戦後「ロケット弾」と知りました。見張員が戦闘機の翼が光ったと確認してから艦目掛けて飛んでくる爆弾を見たと話しておりました。二発喰らいましたが、一発は発令所に飛び込んできて中にいる六名が戦死しました。(昭和52年 慰霊祭 冬月艦長 山名寛雄中佐証言 懇親会より 父メモ抜粋)
この日本が誇る「月型」駆逐艦は十一隻建造されております。航空母艦用護衛としてのコンセプトで設計されております。が、そこは水雷戦隊。しっかり雷撃も可能です。しかし、ミッドウェーでの敗戦直後の就航であるため、その成果を遺憾なく発揮するには遅きに失したきらいがございます。この艦の就航がミッドウェーに間に合っていたらミッドウェーの結果も少しは違っていたのかと推察するところでございます。
この艦の売りはなんと言ってもその主砲にあります。
六十五口径一○サンチ。仰角九○度。世界に類を見ない主砲なのです。しかも初速が早く秒速1000メートル。最大高度が一万四千メートル。(有効射程は一万二千メートル)B29の高度空襲にも攻撃可能だったのでした。しかも発射間隔が一分間に約十九発。それを指揮する射撃指揮装置は前部と後部とを別個に指揮することが出来ます。四門個別の目標を捕捉し射撃が可能。敵に取っては大変な脅威だったのです。
「真上に行くと危ない奴」と打電したのはショートランドでの爆撃隊です。B17爆撃機三機が日本艦隊を空襲。これまででは日本艦隊の艦船では届くはずのない高度からの空襲です。が、当時の「秋月」が発砲。三機のうちニ機を撃墜。強烈なデビューを飾ります。残った一機が「最新鋭艦」として写真を持ち帰りますが、大きさから「クルーザー」とされます。しかしそれ以上に「高度をしかも正確な射撃を行う危険なクルーザー」として全軍に打電。これがアメリカ軍は「真上に行くと危険な奴」とされたわけです。
昭和二十年三月。海軍人事異動。涼月艦長に平山敏夫中佐が着任致します。着任と同時に士官室に私物を持ち込んだ平山艦長でした。
「艦長これは・・・蓄音機・・ですか?」
「シンガポールからのお土産だがな。倉橋先任将校。音楽は?」
「本来ならば・・・・」
「どうした、音楽は嫌いか?」
「そうではなくて・・・敵性音楽が・・・」
「ははは・・そうかジャズを聴くか!実はな、上海にいるころは良く聴いておった」
「艦長がですか?」
「なんだ、悪いか。今は聴けないが、我慢しておる。ダンスもできるぞ」
音楽を聴きながら好きな酒を呑む。平山艦長の日課となるのでした。実は密かにジャズを聴いていたとの話もありますが・・。
「原田周三」機関長も、この三月に「朝霜」から「涼月」へ転属しておりました。
「原田、この艦はな、絶対に沈まない。たとへどんな攻撃に曝されてもだ。なんてったって船体がこなごなになったって還って来た。それも二度もだ。三度目だって大丈夫だ」
そう話すのが、原田機関長の前任「桑原堅志少佐」なのです。
「確かに、『涼月不沈』は伝説になっておりますが・・・」
「そう心配するな!こいつの心臓(機関)は並の艦と全く違う。これは忘れるな。扱いにくく、扱い易い。まぁ『KA』と同じだな・・・」(KA=海軍の隠語。女房の事です)
「涼月不沈」
次回、この艦の壮絶極まりない奮戦をご紹介いたします。
皆様から暖かいお言葉を多数頂戴いたしました。個別のコメントとして、返事に替えさせていただいております。
この件。前々回からの続きからです。
「奇跡的な駆逐艦」のお話を語ります。
「おい例の奴をお見舞いしてやろうぜ!」
「あの、『真上に行くと危ない奴』に。(月型駆逐艦です)射程が遠いんだ、奴等には最適なプレゼントに違い無い」
最近登場したばかりの航空用ロケット弾です。ですが、信頼性が今一つ。高度1000フィートから発射します。
「どうだ?」
「命中です!・・・あっつ!」
「なんだ?」
「二発命中。どれも不発です」
「『真上に行くとあぶない奴』はどうだ?」
「そのまま、航行を続けてます」
ホーネットの戦闘機隊は最新兵器「ロケット弾」を搭載しております。これを高度1000フィートから発射するのでした。
ビープ少佐はブリーフィングでの話しを思い出しておりました。
「あのクルーザーの真上を飛行するな。奴等の対空砲は恐ろしい。今までのジャップのクルーザーとはわけが違う。いいか、まず一つは『上空に逃げるな』ということだ。フィリピンのときはB25が高高度にいたのにも関わらずこいつにやられている。そしてもう一つは一発避けたと思ったらすぐ次の弾が飛んでくるということだ。その上、砲身が真上を向く。これは我々の艦にはないものなんだ。忘れるなよ」
彼は自身の隊に念を押します。
「『真上に行くと危ない奴』には近づくな!」
爆撃隊が近づけないこのクルーザー(ここでのクルーザーとは巡洋艦を指します。が、月型「駆逐艦」です。彼等はこの船の大きさと装備から最後まで巡洋艦としておりました。矢矧ぎと比較すると確かに駆逐艦なので、艦隊報告には駆逐艦としております。航空攻撃隊各隊は「クルーザー」と呼んでおりました)を仕留めるには雷撃かこのロケット弾に頼るしかないと彼等は判断しておりました。
しかしながら二発とも不発。
「奴の対空砲を黙らせるんだ!」
このロケット弾攻撃に会ったのは「涼月」の僚艦「冬月」だったのでした。
立て続けに二発。何がどう攻撃されたか分からなかった。戦後「ロケット弾」と知りました。見張員が戦闘機の翼が光ったと確認してから艦目掛けて飛んでくる爆弾を見たと話しておりました。二発喰らいましたが、一発は発令所に飛び込んできて中にいる六名が戦死しました。(昭和52年 慰霊祭 冬月艦長 山名寛雄中佐証言 懇親会より 父メモ抜粋)
この日本が誇る「月型」駆逐艦は十一隻建造されております。航空母艦用護衛としてのコンセプトで設計されております。が、そこは水雷戦隊。しっかり雷撃も可能です。しかし、ミッドウェーでの敗戦直後の就航であるため、その成果を遺憾なく発揮するには遅きに失したきらいがございます。この艦の就航がミッドウェーに間に合っていたらミッドウェーの結果も少しは違っていたのかと推察するところでございます。
この艦の売りはなんと言ってもその主砲にあります。
六十五口径一○サンチ。仰角九○度。世界に類を見ない主砲なのです。しかも初速が早く秒速1000メートル。最大高度が一万四千メートル。(有効射程は一万二千メートル)B29の高度空襲にも攻撃可能だったのでした。しかも発射間隔が一分間に約十九発。それを指揮する射撃指揮装置は前部と後部とを別個に指揮することが出来ます。四門個別の目標を捕捉し射撃が可能。敵に取っては大変な脅威だったのです。
「真上に行くと危ない奴」と打電したのはショートランドでの爆撃隊です。B17爆撃機三機が日本艦隊を空襲。これまででは日本艦隊の艦船では届くはずのない高度からの空襲です。が、当時の「秋月」が発砲。三機のうちニ機を撃墜。強烈なデビューを飾ります。残った一機が「最新鋭艦」として写真を持ち帰りますが、大きさから「クルーザー」とされます。しかしそれ以上に「高度をしかも正確な射撃を行う危険なクルーザー」として全軍に打電。これがアメリカ軍は「真上に行くと危険な奴」とされたわけです。
昭和二十年三月。海軍人事異動。涼月艦長に平山敏夫中佐が着任致します。着任と同時に士官室に私物を持ち込んだ平山艦長でした。
「艦長これは・・・蓄音機・・ですか?」
「シンガポールからのお土産だがな。倉橋先任将校。音楽は?」
「本来ならば・・・・」
「どうした、音楽は嫌いか?」
「そうではなくて・・・敵性音楽が・・・」
「ははは・・そうかジャズを聴くか!実はな、上海にいるころは良く聴いておった」
「艦長がですか?」
「なんだ、悪いか。今は聴けないが、我慢しておる。ダンスもできるぞ」
音楽を聴きながら好きな酒を呑む。平山艦長の日課となるのでした。実は密かにジャズを聴いていたとの話もありますが・・。
「原田周三」機関長も、この三月に「朝霜」から「涼月」へ転属しておりました。
「原田、この艦はな、絶対に沈まない。たとへどんな攻撃に曝されてもだ。なんてったって船体がこなごなになったって還って来た。それも二度もだ。三度目だって大丈夫だ」
そう話すのが、原田機関長の前任「桑原堅志少佐」なのです。
「確かに、『涼月不沈』は伝説になっておりますが・・・」
「そう心配するな!こいつの心臓(機関)は並の艦と全く違う。これは忘れるな。扱いにくく、扱い易い。まぁ『KA』と同じだな・・・」(KA=海軍の隠語。女房の事です)
「涼月不沈」
次回、この艦の壮絶極まりない奮戦をご紹介いたします。
先日、大和ミュージアムに行きました。近くでありながら、ようやくという感じです。
大きな大和の模型が飾ってあるだけかと思っていましたが、亡くなった方の遺品や遺書、戦死者名簿等もありました。
この中に、酔漢さんのおじいさまがおられるのだなあと思いました。
また、昨年、息子さんが大和ミュージアムに来られたという話も思い出しました。
宇宙戦艦ヤマトが飾ってあったのは、ちょっとガックリ来ましたが・・・。
その点、新幹線先頭車両の形状に繋がります。あれも皆、手造りが基本となっています。
それにしても戦略爆撃機を打ち落とせるってのは、アナログがデジタルに勝利するような、「親父世代の爽快感」があります。
長男が北海道修学旅行から帰ってきました。やたらと列車の写真を撮りまくってきたようです。
でも嬉しかったことが2つ。私の両親用のお土産に添える「函館夜景」「美瑛の丘」の写真があったこと。
それと、浮いていた中学時代と異なり、友人の写真がたくさんあったこと。
「長砲身」10センチ砲だというところが肝腎ですね。
砲身が長ければ初速も速いですし。
しかも主砲の仰角が夕雲型でさえ75度なのに
90度ですから。
「真上に行くとアブナイ」という米軍パイロットの発言は実感がこもってます。
月型駆逐艦では、初月がエン我のガノ岬沖海戦で沈んでいますね。
瑞鶴はじめ沈没艦の乗員救助に当り、艦隊に合同する前に敵水上部隊に捕捉されたのでした。
「敵艦隊と接触中」の無電を最後に消息を絶ったそうです。
二時間に亘って敵艦隊を引受け、第三艦隊の残存艦艇を救いました。
我が身を犠牲にして見方を救ったのです。
敵艦隊の陣容は重巡2、軽巡2、駆逐艦12。
重巡4隻で合計1200発以上の徹甲弾を撃ったとか。
米水上部隊の指揮官は初月を「戦艦か重巡」と主張していたそうです。
軽巡「夕張」と同じぐらいの排水量でシルエットも似ています(長船首楼型で一本煙突)。
間違える可能性は小さくいありませんね。
そういえば月型を初めて目にしたときも、米軍は「巡洋艦」と間違えたという話を聞いたことがあります。
話が大きくずれてしまいました。
敵艦隊に捕捉された時の艦長の命令はどうだったでしょうか。
「砲雷同時戦用意!」
であったと信じます。
投稿の主は勿論のこと小生であります。
原作者と話をしたことがあります。某放送局の控え室ですが「戦艦大和の知識はない」と本人が言っておりました。
展示ブースと別室にはまだ非公開の資料がございます。展示される日はあるのかと思います。
私も行かなければとは思うのですが、なかなか思うようにまいりません。
学芸員の新谷さんが大変親切に応対してくださったと息子が申しておりました。
お仕事、大変そうですね。お体はいかがですか?
月型駆逐艦は防空「防」があるから海軍は毛嫌いしていた?との話もあります。が、その活躍ぶりは艦船の歴史になるのだと考えております。
「砲雷同時戦」
真骨頂だと思います。
違う所に興味が行きそうです。
船を設計する技術…これはこのブログの中で語られて来ましたが、一方この様な兵器なども技術者の苦労があったのかも知れませんね。
仰角九○度で自動装填が可能。これは世界にない技術だったと聞きました。
詳細を調べてみます。