昨日、早稲田大学の総合優勝で幕を閉じました「第八十六回東京箱根間大学駅伝競走」です。我が家は丁度、遊行寺の近くにございますので、(徒歩3分)年始の休みには沿道で応援しております。
今年は20回目を数えました。
シティラピッド君を肩車して、その次は年下君。いまでは、そうはいかず、早めの場所取りです。
テレビを見てまして、二区の後半の頃に家を出ます。
戸塚中継所で、一位の走者が襷を渡された頃では少し遅くて、その前に出ませんと、人の壁に阻まれて走者が見えません。
場所はいつも「遊行寺坂の中央付近」往路ですと「時宗総本山遊行寺」の看板のあたりです。復路は3区、往路は8区。
この遊行寺の坂を上ります、復路の方が見ていて力の入る場所です。
今年は往路での観戦。
遊行寺と反対側の沿道におります。
シティラピッド君は自宅で観戦。年下君といっしょでした。
「親父、順位ってこのあたりは動かないんだろ」と聞いてきました。
「一度、オツオリが一年の時は驚いた。先頭の日大が一位で戸塚に入ってきたのをテレビで見てから家を出た。山梨学院の順位なんか知らなかった。てっきり日大が最初を走ってくるのだと思っていたら、青のランニングが目の前を通り過ぎていく、しかも肌が黒。
だれだ?と思って隣のラジオを聞いている人に尋ねたら『山梨のオツオリ』だって。もちろん、区間新記録だった」
そんなことを話しながら、ランナーが来るのをまっております。
「もうすぐ通過だな」ってわかるは、上空のヘリコプター。
ホバリングをしながら、駅伝の様子を上空撮影しているテレビ局のヘリコプターの音が近づいてきたら「そろそろ・・」と思うし。大会関係者を乗せた車の数が多くなってきます。このころには一般車は通行禁止となってます。
今年から「電気自動車」が多く。そのエンジンの音の静かさに驚きます。
(これがいっぱいだったら、騒音は静かだろうな)
大会本部の車のアナウンス。
「あと5分程で先頭のランナーが通過します」
先は見ると旗のはためきが波を打つようにこちらに向かってくるのが分ります。
「いよいよ・・来る」
テレビの中継車が迫ってきます。
ランナーはそのすぐ後。
「がんばれ」の声が沿道を埋め尽くします。
そういえば、以前は紙製だった「某新聞社の旗」はビニール製に変わっていて、どうも旗を振った時の音が以前より乾いたものなっております。
「紙切れが沿道にいっぱいだった」これお防止するための措置だったのかと。
二区で波乱があると、最終の走者が通過するまで二十分もかかったことがありました。
今は城西大学の監督を勤められております櫛部さんが二区で失速。ふらふらになりながら戸塚中継所に入った年は、最後の早稲田の走者が通過するまでとても長く感じたのを覚えております。
今年は、全員の走者が通過するまで差ほど時間がかからず「戦国駅伝」そのものを体感しました。
嘗て、塩釜一中出身。日体大のエースとして二区を任されました「鈴木君」。
彼のころはテレビ中継もところどころでしたので、箱根の魅力は全国に伝わっていなかったのかと。
元日は出勤。二日か三日に休みを取って「箱根駅伝」を観戦する。
そんな正月が毎年の行事になってます。
駅伝観戦の後、「遊行寺」へ初詣。
湘南の春は駅伝から。そう感じるのでした。
コメントでは「新年のあいさつ」を多数頂戴いたしました。
父が昨年五月に亡くなっております故、新年のごあいさつは控えさせていただきました。
寒い季節です。皆様どうぞご自愛の程を。
今年もよろしくです。
今年は20回目を数えました。
シティラピッド君を肩車して、その次は年下君。いまでは、そうはいかず、早めの場所取りです。
テレビを見てまして、二区の後半の頃に家を出ます。
戸塚中継所で、一位の走者が襷を渡された頃では少し遅くて、その前に出ませんと、人の壁に阻まれて走者が見えません。
場所はいつも「遊行寺坂の中央付近」往路ですと「時宗総本山遊行寺」の看板のあたりです。復路は3区、往路は8区。
この遊行寺の坂を上ります、復路の方が見ていて力の入る場所です。
今年は往路での観戦。
遊行寺と反対側の沿道におります。
シティラピッド君は自宅で観戦。年下君といっしょでした。
「親父、順位ってこのあたりは動かないんだろ」と聞いてきました。
「一度、オツオリが一年の時は驚いた。先頭の日大が一位で戸塚に入ってきたのをテレビで見てから家を出た。山梨学院の順位なんか知らなかった。てっきり日大が最初を走ってくるのだと思っていたら、青のランニングが目の前を通り過ぎていく、しかも肌が黒。
だれだ?と思って隣のラジオを聞いている人に尋ねたら『山梨のオツオリ』だって。もちろん、区間新記録だった」
そんなことを話しながら、ランナーが来るのをまっております。
「もうすぐ通過だな」ってわかるは、上空のヘリコプター。
ホバリングをしながら、駅伝の様子を上空撮影しているテレビ局のヘリコプターの音が近づいてきたら「そろそろ・・」と思うし。大会関係者を乗せた車の数が多くなってきます。このころには一般車は通行禁止となってます。
今年から「電気自動車」が多く。そのエンジンの音の静かさに驚きます。
(これがいっぱいだったら、騒音は静かだろうな)
大会本部の車のアナウンス。
「あと5分程で先頭のランナーが通過します」
先は見ると旗のはためきが波を打つようにこちらに向かってくるのが分ります。
「いよいよ・・来る」
テレビの中継車が迫ってきます。
ランナーはそのすぐ後。
「がんばれ」の声が沿道を埋め尽くします。
そういえば、以前は紙製だった「某新聞社の旗」はビニール製に変わっていて、どうも旗を振った時の音が以前より乾いたものなっております。
「紙切れが沿道にいっぱいだった」これお防止するための措置だったのかと。
二区で波乱があると、最終の走者が通過するまで二十分もかかったことがありました。
今は城西大学の監督を勤められております櫛部さんが二区で失速。ふらふらになりながら戸塚中継所に入った年は、最後の早稲田の走者が通過するまでとても長く感じたのを覚えております。
今年は、全員の走者が通過するまで差ほど時間がかからず「戦国駅伝」そのものを体感しました。
嘗て、塩釜一中出身。日体大のエースとして二区を任されました「鈴木君」。
彼のころはテレビ中継もところどころでしたので、箱根の魅力は全国に伝わっていなかったのかと。
元日は出勤。二日か三日に休みを取って「箱根駅伝」を観戦する。
そんな正月が毎年の行事になってます。
駅伝観戦の後、「遊行寺」へ初詣。
湘南の春は駅伝から。そう感じるのでした。
コメントでは「新年のあいさつ」を多数頂戴いたしました。
父が昨年五月に亡くなっております故、新年のごあいさつは控えさせていただきました。
寒い季節です。皆様どうぞご自愛の程を。
今年もよろしくです。
ここには、多くのドラマがあるでしょうね。
甲子園もそうですが、自分の責任で負けたり、襷が繋がらなかったりすれば本人は相当悔しい思いをすることでしょう。
それにしても、生で見れるのは羨ましいですね。
今ではお正月の風物詩ですね。
それならば、実地で応援というのもうなずけます。
毎年恒例、或いは吉例の行事が今年も出来る。
そういうことが幸福なんだなぁと、最近思うようになりました。
そういえばあの箱根駅伝、
応援団もそれぞれのポイントでどこが一番早く團旗を立てるか競争なのだそうですね。
今度上京したら、遊行寺にも是非お参りしたいです。
今年一年が酔漢さんとご家族ご一族の皆さんにとって
佳き年でありますように。
テレビより遥かに早く目の前を通り過ぎて行く、その真剣な若者の眼差しにすっかり魅了されました。
正月は箱根をみてから始めます。
遊行寺の駐車場に学連選抜の大学応援団がおりまして、「来年は単独チームで出場できれば」と話しておりました。
ますます実力が拮抗しております、各大学です。
家の玄関先から屋根が見えるのです。
雰囲気がある寺です。
お尋ねになられます際は是非ご一報ください。
今年も宜しくお願いいたします。
寒中見舞いの御便り、一昨日に届きました。
早速、母に披露。母も喜んでおりました。
こちらは今なお冬の只中。
そこに温暖の地は湘南から蝋梅の写真が届いたのです。
何よりの初「春」の御挨拶です。
本当に有難うございました。