「いつもと同じメニューだな」
「代わり映えしないのは、どの艦も一緒さぁ。空母が変わったからってトーストの味が変わるわけじゃないし」
空母バンカーヒル。パイロット達が食事を始めております。この後すぐブリーフィングが行われる予定になっておりました。
シリアル。オムレツ(粉末の卵を使用したもの)。ベーコン。トースト。オレンジジュース。コーヒー。
「あとどの位ここにいるんだ。俺たちは?」
「さぁな。一ヶ月もたてば、まずオレンジジュースがなくなる。シリアルがなくなって・・パンとコーヒーだけになる日もそう遠くはないさ」
この食事が最後となるパイロットもいたのでした。
「いいか。よーく聞け!俺たちの獲物は日本の艦隊だ。とくにデカイ奴。こいつを仕留めるんだ。こいつはデカイだけにすぐ判る。だがな、周りには駆逐艦が七~八隻。巡洋艦が一~二隻いるんだ。こいつらも厄介な代物だ。目標の識別だが、巡洋艦。こいつが『阿賀野型』だ。これが二隻かも知れない。あとは駆逐艦と巡洋艦の間の大きさの奴がいるんだ。これが写真だが。(黒板に添付されています)こいつの対空砲を喰らうなよ。すぐさま、次の弾が飛んでくるし、何せ、砲身がまっすぐ空を見る事ができる。まぁ命が惜しければこいつの真上には近づかないことだ」
数隻の駆逐艦も他。名前でよばれているのは少ないのでした。このブリーフィングでも「大和(YAMATO)」とは呼ばれず「デカイ奴(BIG ONE)」と呼ばれております。
お気づきかと存じますが「アメリカ編」より、くだまきでは「大和」を「デカイ奴」と言っておりますのは、こうした史実からです。大和他開戦後に建造された艦名は殆ど秘匿でした。
ブリーフィングは続きます。
「いつもにまして、長い飛行時間が要求される。攻撃時間は15分~20分。攻撃後は燃料を気にしながら帰投するように。そしてこの地点には『ダンボ』がいる」
「こいつあぁ嬉しいぜ!」
「うまく着水できれば、あとはダンボの背中に乗るだけさ」
前回もお話いたしましたが、攻撃の際のバックアップの発想がアメリカにはあるのでした。
生存の確率が大きく増える。何にもましてパイロット達が安心して戦闘に集中できる環境にあるのでした。
各、空母。艦長達が訓示を述べているところです。と言いましても艦内スピーカーです。
「我が飛行機部隊は、日本艦隊に対し大規模攻撃の為に発進する!」
そして次なる命令。
「搭乗せよ!」
「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない」(イザヤ書40章31)
一人のルーテル派牧師が飛行甲板におります。彼のパイロット達に対する説教でした。
ミッチャーは、通路に置かれたデッキチェア(攻撃機発進の際には必ず使う椅子)に腰をかけて発艦を見守っておりました。
「『歩いても疲れない』だと!俺はだいぶ疲れるようになっちまったがな・・・」
「おいどうしてこんな時に限って、マニュアル通りにいかないんだ!」
「誰だ、エレベターに乗せる部隊間違えたやつぁ!軍法会議もんだ!」
ベニントンです。いささか慌てている様子です。本来ならば海兵隊のコルセアを先に発進させるべきところ、一機のみ発艦。他は甲板に取り残されております。
ハンコックです。ハンコックでは、発艦作業そのものに遅れが出たために、他の空母艦載機は彼等をおいてきぼりにいたします。その為集合海域上空まで急がねばならず、ハンコックの攻撃は短いものとなったのでした。
ですが、「58.1群」→サンジャシント、ベニントン、ホーネット、ベローウッドが先に発艦し、その後すぐさま「58.3群」→エセックス、バターン、バンカーヒル、キャボット、ハンコックの艦載機が発艦します。
総機数280機。戦闘機132機。急降下爆撃機50機。雷撃機98機。ハンコックの53機は出遅れた上に道に迷い、燃料を使い果たした後帰艦しております。そうです、何もせずして帰って来たのです。これ、指揮官がどうなったか記録がございません故、詳細不明ですが。
さて、上記艦載機出撃数ですが、これが公式な記録があるのかないのか不明な箇所が多いのです。
実際には、上記の後一○四五 「58.4機動群」→イントレビット、ラングレー、ヨークタウンからのべ106機が発進されております。
総計386機となります。
この数値「ラッセル・スパー著 戦艦大和の運命」から拾った数値です。
この数値は1960年サミュエル・エリオット・モリソン著「第二次世界大戦における合衆国海軍海軍作戦史、太平洋方面の勝利」と一致いたします。ラッセル・スパー氏はこの記録から著されたのではないかと推察いたします。
果して、そうであったのか。「原勝洋氏は『真相・戦艦大和ノ最期』」でこう述べられておられます。
その内訳は、(サミュエル・エリオット・モリソン著の数値を指して)高速空母部隊第五十八・一任務群所属の百十三機、三任務群所属(58.3群を指します)の百六十七機、四任務群(58.4群を指します)百六機そして機種別では戦闘機百八十機、急降下爆撃機七十五機、雷撃機百三十一機とされている。しかし「太平洋方面の勝利」の原文は「Launching」(発艦)であって、空母を飛び立った数を意味し、「大和」攻撃に参加した機数でないことは明白である。
秘密解除された飛行機戦闘報告は、実際に「大和」を含む十隻の攻撃に参加した機数を明らかにしている。(原勝洋氏著「真相・戦艦大和ノ最期」158頁より抜粋)
機種別の内訳数に差異がございます。この後、原氏は実際の攻撃に参加した機数を明らかにされておられます。以下見てみます。
秘密解除された飛行機戦闘報告は、実際に「大和」を含む十隻の攻撃に参加した機数を明らかにしている。
出撃数は三百六十七機、うち「大和」のみを攻撃した機数は、百十七機であった。
その出撃内容は第58.1群所属の百一機、三群所属の百五十九機、四群所属の百七機そして機種別では、戦闘機ヘルキャット百六機と戦闘爆撃機コルセア五十二機の計百五十八機、急降下爆撃機ヘルダイバー七十八機、雷撃機アベンジャー百三十一機の三百六十七機となる。
この三百六十七機全機が、海上特攻隊を攻撃したのではなく、空母「ハンコック」所属の三十八機は「大和」を発見することなく帰投している。(上記ラッセル・スパー氏によれば、この数は五十三機と記載されておられます)また、他にもエンジントラブルなどの理由で二機以上が母艦に戻っているの実情である。(この事実はこれからお話いたします)
(原勝洋氏著「真相・戦艦大和ノ最期」158頁~159頁より抜粋)
今、数値を重ねて語っております。「三百何機」の攻撃機です。ここで一つ思い出した記述がございます。九州鹿屋「第五航空艦隊」の実働機数です。百機を少し越えるだけです。
当時の日本にどれだけの航空機があったか酔漢は知りません。ですが、この数。艦艇十隻を沈める為にアメリカはこれだけの航空機を用意できたのです。おそろしい数です。
バンカーヒルに戻ります。
「全機、発艦完了」
この報告を受けると同時にミッチャーは椅子を立ちます。
飛行機がトラブルこそあれ(このトラブルはまだ続くのですが)甲板を発艦する様を見るのが大好きなミッチャーでした。ですが、これから「自身がやらなければならないこと」を考えると、とたんにに頭が重くなるのも事実でした。
「スプールアンスの親父にどう言ったものか・・」
半分開き直ってはいるものの、やはりそこは上官であるスプールアンスです。
報告の義務はあるのです。
ミッチャーはアーリー・バークに義務的に命令を出しました。
「スプールアンス提督に電文を送ってくれ。指示が出なければ『一ニ○○デカイ奴を攻撃する』と。意見具申をする」
これだけ言うとアーリー・バークに背を向けて立ち去ろうとします。が、振り向きざまこうも付け加えました。
「それからこうも聞いてくれ『Will you take them or shall I?』とな」
大和の艦内。朝霜の脱落、マーチンの来襲。しかし、この時間「戦闘前の静けさ」とも言うのでしょう。艦橋内は比較的落ち着いた様子と「吉田満電測士」は語っております。
一番忙しい部隊はと、聞かれますれば「炊飯所」でしょう。昼食の準備に追われております。一人あたり握り飯二個。沢庵と福神漬け。これを約三千名分用意しなくてはなりません。
まっ白な、大きい、そしてすこぶるうまいにぎり飯であった。タクアンと福神づけがついていた。
「これが最後の食いおさめか!」
だれとなく冗談をいい合いながらほおばりつつも、敵情の監視だけはつづけている。
(小林健さん 手記より抜粋 前部射撃指揮所内より)
祖父はこのにぎり飯を多分暗号室の中で食したのでしょう。本人にとりまして、最後の食事となったのでした。
「代わり映えしないのは、どの艦も一緒さぁ。空母が変わったからってトーストの味が変わるわけじゃないし」
空母バンカーヒル。パイロット達が食事を始めております。この後すぐブリーフィングが行われる予定になっておりました。
シリアル。オムレツ(粉末の卵を使用したもの)。ベーコン。トースト。オレンジジュース。コーヒー。
「あとどの位ここにいるんだ。俺たちは?」
「さぁな。一ヶ月もたてば、まずオレンジジュースがなくなる。シリアルがなくなって・・パンとコーヒーだけになる日もそう遠くはないさ」
この食事が最後となるパイロットもいたのでした。
「いいか。よーく聞け!俺たちの獲物は日本の艦隊だ。とくにデカイ奴。こいつを仕留めるんだ。こいつはデカイだけにすぐ判る。だがな、周りには駆逐艦が七~八隻。巡洋艦が一~二隻いるんだ。こいつらも厄介な代物だ。目標の識別だが、巡洋艦。こいつが『阿賀野型』だ。これが二隻かも知れない。あとは駆逐艦と巡洋艦の間の大きさの奴がいるんだ。これが写真だが。(黒板に添付されています)こいつの対空砲を喰らうなよ。すぐさま、次の弾が飛んでくるし、何せ、砲身がまっすぐ空を見る事ができる。まぁ命が惜しければこいつの真上には近づかないことだ」
数隻の駆逐艦も他。名前でよばれているのは少ないのでした。このブリーフィングでも「大和(YAMATO)」とは呼ばれず「デカイ奴(BIG ONE)」と呼ばれております。
お気づきかと存じますが「アメリカ編」より、くだまきでは「大和」を「デカイ奴」と言っておりますのは、こうした史実からです。大和他開戦後に建造された艦名は殆ど秘匿でした。
ブリーフィングは続きます。
「いつもにまして、長い飛行時間が要求される。攻撃時間は15分~20分。攻撃後は燃料を気にしながら帰投するように。そしてこの地点には『ダンボ』がいる」
「こいつあぁ嬉しいぜ!」
「うまく着水できれば、あとはダンボの背中に乗るだけさ」
前回もお話いたしましたが、攻撃の際のバックアップの発想がアメリカにはあるのでした。
生存の確率が大きく増える。何にもましてパイロット達が安心して戦闘に集中できる環境にあるのでした。
各、空母。艦長達が訓示を述べているところです。と言いましても艦内スピーカーです。
「我が飛行機部隊は、日本艦隊に対し大規模攻撃の為に発進する!」
そして次なる命令。
「搭乗せよ!」
「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない」(イザヤ書40章31)
一人のルーテル派牧師が飛行甲板におります。彼のパイロット達に対する説教でした。
ミッチャーは、通路に置かれたデッキチェア(攻撃機発進の際には必ず使う椅子)に腰をかけて発艦を見守っておりました。
「『歩いても疲れない』だと!俺はだいぶ疲れるようになっちまったがな・・・」
「おいどうしてこんな時に限って、マニュアル通りにいかないんだ!」
「誰だ、エレベターに乗せる部隊間違えたやつぁ!軍法会議もんだ!」
ベニントンです。いささか慌てている様子です。本来ならば海兵隊のコルセアを先に発進させるべきところ、一機のみ発艦。他は甲板に取り残されております。
ハンコックです。ハンコックでは、発艦作業そのものに遅れが出たために、他の空母艦載機は彼等をおいてきぼりにいたします。その為集合海域上空まで急がねばならず、ハンコックの攻撃は短いものとなったのでした。
ですが、「58.1群」→サンジャシント、ベニントン、ホーネット、ベローウッドが先に発艦し、その後すぐさま「58.3群」→エセックス、バターン、バンカーヒル、キャボット、ハンコックの艦載機が発艦します。
総機数280機。戦闘機132機。急降下爆撃機50機。雷撃機98機。ハンコックの53機は出遅れた上に道に迷い、燃料を使い果たした後帰艦しております。そうです、何もせずして帰って来たのです。これ、指揮官がどうなったか記録がございません故、詳細不明ですが。
さて、上記艦載機出撃数ですが、これが公式な記録があるのかないのか不明な箇所が多いのです。
実際には、上記の後一○四五 「58.4機動群」→イントレビット、ラングレー、ヨークタウンからのべ106機が発進されております。
総計386機となります。
この数値「ラッセル・スパー著 戦艦大和の運命」から拾った数値です。
この数値は1960年サミュエル・エリオット・モリソン著「第二次世界大戦における合衆国海軍海軍作戦史、太平洋方面の勝利」と一致いたします。ラッセル・スパー氏はこの記録から著されたのではないかと推察いたします。
果して、そうであったのか。「原勝洋氏は『真相・戦艦大和ノ最期』」でこう述べられておられます。
その内訳は、(サミュエル・エリオット・モリソン著の数値を指して)高速空母部隊第五十八・一任務群所属の百十三機、三任務群所属(58.3群を指します)の百六十七機、四任務群(58.4群を指します)百六機そして機種別では戦闘機百八十機、急降下爆撃機七十五機、雷撃機百三十一機とされている。しかし「太平洋方面の勝利」の原文は「Launching」(発艦)であって、空母を飛び立った数を意味し、「大和」攻撃に参加した機数でないことは明白である。
秘密解除された飛行機戦闘報告は、実際に「大和」を含む十隻の攻撃に参加した機数を明らかにしている。(原勝洋氏著「真相・戦艦大和ノ最期」158頁より抜粋)
機種別の内訳数に差異がございます。この後、原氏は実際の攻撃に参加した機数を明らかにされておられます。以下見てみます。
秘密解除された飛行機戦闘報告は、実際に「大和」を含む十隻の攻撃に参加した機数を明らかにしている。
出撃数は三百六十七機、うち「大和」のみを攻撃した機数は、百十七機であった。
その出撃内容は第58.1群所属の百一機、三群所属の百五十九機、四群所属の百七機そして機種別では、戦闘機ヘルキャット百六機と戦闘爆撃機コルセア五十二機の計百五十八機、急降下爆撃機ヘルダイバー七十八機、雷撃機アベンジャー百三十一機の三百六十七機となる。
この三百六十七機全機が、海上特攻隊を攻撃したのではなく、空母「ハンコック」所属の三十八機は「大和」を発見することなく帰投している。(上記ラッセル・スパー氏によれば、この数は五十三機と記載されておられます)また、他にもエンジントラブルなどの理由で二機以上が母艦に戻っているの実情である。(この事実はこれからお話いたします)
(原勝洋氏著「真相・戦艦大和ノ最期」158頁~159頁より抜粋)
今、数値を重ねて語っております。「三百何機」の攻撃機です。ここで一つ思い出した記述がございます。九州鹿屋「第五航空艦隊」の実働機数です。百機を少し越えるだけです。
当時の日本にどれだけの航空機があったか酔漢は知りません。ですが、この数。艦艇十隻を沈める為にアメリカはこれだけの航空機を用意できたのです。おそろしい数です。
バンカーヒルに戻ります。
「全機、発艦完了」
この報告を受けると同時にミッチャーは椅子を立ちます。
飛行機がトラブルこそあれ(このトラブルはまだ続くのですが)甲板を発艦する様を見るのが大好きなミッチャーでした。ですが、これから「自身がやらなければならないこと」を考えると、とたんにに頭が重くなるのも事実でした。
「スプールアンスの親父にどう言ったものか・・」
半分開き直ってはいるものの、やはりそこは上官であるスプールアンスです。
報告の義務はあるのです。
ミッチャーはアーリー・バークに義務的に命令を出しました。
「スプールアンス提督に電文を送ってくれ。指示が出なければ『一ニ○○デカイ奴を攻撃する』と。意見具申をする」
これだけ言うとアーリー・バークに背を向けて立ち去ろうとします。が、振り向きざまこうも付け加えました。
「それからこうも聞いてくれ『Will you take them or shall I?』とな」
大和の艦内。朝霜の脱落、マーチンの来襲。しかし、この時間「戦闘前の静けさ」とも言うのでしょう。艦橋内は比較的落ち着いた様子と「吉田満電測士」は語っております。
一番忙しい部隊はと、聞かれますれば「炊飯所」でしょう。昼食の準備に追われております。一人あたり握り飯二個。沢庵と福神漬け。これを約三千名分用意しなくてはなりません。
まっ白な、大きい、そしてすこぶるうまいにぎり飯であった。タクアンと福神づけがついていた。
「これが最後の食いおさめか!」
だれとなく冗談をいい合いながらほおばりつつも、敵情の監視だけはつづけている。
(小林健さん 手記より抜粋 前部射撃指揮所内より)
祖父はこのにぎり飯を多分暗号室の中で食したのでしょう。本人にとりまして、最後の食事となったのでした。
”Big One”はその状況証拠ですね。
吉田俊雄さんの『大和と武蔵』(秋田書店刊)(だったと思います)のシブヤン海海戦だったか、天一号作戦だったか記憶が定かではありませんが、
英語に堪能な敵信班の少尉が
”Hey,get the big one!”
という米軍機の交信を聴いて、
「奴ら、大物を狙えって言ってます」
と口にしたくだりがあったような気がします。
「空母が変ってもトーストの味は変らない」
小粋なアメリカンジョークです。
だったら
「いつまでここにいるんだ?」
「パンとコーヒーだけになる頃には帰れるさ」
なんてものありのような気がします。
戦闘配食のお握り・・・
この時ばかりは兵食と士官食の区別はなく、
司令長官から二等水兵まで同じ献立だったそうですね。
研究室の机の本の山を崩していたら、
牧島貞一氏著の『ミッドウェー海戦』が出土しました。
牧島さんは同名通信と日本映画社に勤務。
報道班員としてミッドウェー海戦と南太平洋海戦を経験しています。
牧島さんの著書によれば海戦当日、
第一次攻撃隊が発進した後で最初に接触した敵機も飛行艇だったようです。
その前日にも水平線に飛行機を発見。
戦闘機が追跡したが取り逃がしたという記述があります。
その飛行機が飛行艇を含む水上機か陸上機かは、書かれておりません。
なお同書によれば、海戦当日の朝食はやはり戦闘配食。
握り飯、福神漬、佃煮、焼いた塩引、沢庵漬
だったそうです。
本日、語っている最中で気付きました。
食事の話から始まり、食事で終わっていたのですね。トーストとにぎり飯。
戦闘中の食事でした。
ところで、大和のラムネってどんな味だったのでしょうか。ふと思い出しました。
アメリカ人らしいやり取りが目に浮かびます。
米国の戦争に対する体勢は、国力の違いもありますが、日本と全く違うように思えます。
当時の軍事国家…〇〇〇〇万歳も
北の某国〇〇〇万歳もさほど変わらないように思えます。
驕るものは久しからず。ですね。
犠牲になった大和他、英霊及びその家族は、悔やみきれないのでは?
まだ骨になっても帰国できない兵士が不憫です。湯水のごとく、使い捨てにされた命は重く尊いものであることを総指揮者は知っていなければなりませんね。
索敵機の見張員とかが「艦影のイラスト」と実物とを見比べていたりします。
米国側でも同じような方法で確認していたのでしたっけ?
「パゴダ」とかの表現方法もありましたよね。
戦闘食とまではいきませんが、多賀城駐屯地内の食堂では何度か定食を頂きました。
内容はすっかり忘れてしまいましたが、炊き上がった米は確かにシャベル?でかき回していました・・・
洞窟醸造の壷入り泡盛。
義弟(元沖縄知事の甥)が時々回してくれます。
奥行きのある味わいはさすがですが、とにかく度数が強くてひっくり返りそうです。
気合を入れないと飲めません・・・
考え方が違っていることに驚愕します。
「当時の考えだから」という事はないのです。
仕事です。アメリカのスタッフと話す機会がありますが。やはり「アメリカ人の物の見方」に「あきれる」もとい「尊敬!?」する自分がいるのでした。
そして、その艦の特徴をミーティングしております。「月型」の主砲はまさにその通りです。以前クロンシュタット様からのコメントにもありましたが「上空を飛ぶな!」は、本当の事だったのです。何せB-29の巡航高度に届く砲だったのです。
「酒の話題」であれば、「泡盛」の話題で盛り上がったでしょうね。酔漢にとりまして「未知の領域」なのでした。