酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

祖父・海軍そして大和  七十年目の桜

2015-04-07 06:24:56 | 大和を語る
海軍中尉 三嶋正造墓誌

君は本村花淵浜の素封家初代三嶋好右エ門翁の三男資性剛毅闊達小学校卒業後修養に務め稼業に精励し夙に盡忠報国の念厚く志を立て大正十四年海軍を志望し学業身体優秀にて合格し海軍四等水兵となる爾来累進して昭和十年海軍一等兵曹に進む君は信号の特技に長じ成績常に抜群昭和四年同浜相沢亀松翁の妹すゑ女と花燭の典をあげて一家を興し琴瑟藹々たり昭和十五年支那事変に出征上海方面陸戦隊に参加して功あり勲功叡聞に達し勲七等に叙し青色桐葉章を下賜せらる翌年海軍兵曹長に任じ横須賀鎮守府拝命同十九年任海軍少尉第二艦隊司令部附となり艦の枢機に参画す次いで戦艦大和に転乗帝国艦隊の主力として西部太平洋方面に活躍屡々敵の強力なる艦隊と交戦し或は敵潜の駆逐に又敵機の邀撃に悪戦苦闘をつづけたるも物量を恃み精鋭を敵機の猛攻に我国の堅艦艨艟も忠勇無比の帝国軍人も遂に詮術べなく昭和二十年四月七日の早暁全員三千余人は艦と運命を共にし水漬屍となりしこそ悲しき極みなり時に齢四十一才君が赫々の武功を嘉せられ即日海軍中尉に昇叙し戦功青史に燦たり武人の本壞の栄誉郷党の誇り何ものかえに若かんや茲に君が偉勲を録し永く後世に傳う
七ヶ浜村村長 渡辺今助

祖父の墓碑を公開いたしました。

70年という歳月は、史実として公開できると考えました。

祖父の故郷、七ヶ浜町君が岡公園の桜が開花いたしました。

先の大戦でお亡くなりになられました多くの方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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4 コメント

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ひーさんへ (酔漢です)
2015-12-16 17:12:34
今月に入って、河北新報に多賀城海軍工廠の跡地の記事が掲載されておりました。
自分でも気になる場所、そして機能です。
工廠の詳細もおそらく処分された状態だと推察するので、難しいかもしれませんが、自分でも注視してみます。
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Unknown (ひー)
2015-04-27 20:16:59
記事にしなければと思い未だに書けなくていますが、多賀城にあった海軍工廠の記事です。
確か大和が沈んだとき、海軍工廠も地下に沈みました。多賀城では無く松島にです。
つまり地下に潜ったと言うことです。
記憶が曖昧なので後で記事にします。
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見張り員さんへ (酔漢です)
2015-04-09 07:11:27
史料としての視点から、公開いたしました。
改めて、自分がこうして存在していることの重みを感じております。

いつもご高覧ありがとうございます。
見張り員さんも、大いに語って下さいね。
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おはようございます (見張り員)
2015-04-08 08:33:09
昨日で70年目の節目を迎えた「軍艦大和」沈没の日でした。

ご祖父さまの墓誌に刻まれた文字でご祖父さまを偲びました。
陸戦隊にも所属されていたのですね…ご祖父さまの短い一生を端的に表されている碑文だと思います。
70年という月日を海の底で、『大和』や『矢矧』ほかの乗組員の皆さんはどう思ってらっしゃるのだろうと考えました。
あの戦争という動かしがたい事実を忘れるに十分な月日ですが忘れたくない、忘れてはいけないと思っております。
ご祖父さまの御霊の安らかなることをお祈りいたします。
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