海上特攻の命令は四月五日午後、入電した。それは「1YB(第一遊撃部隊の略)は海上特攻として八日黎明、沖縄突入を目的とし、急速出撃準備を完成すべし」というもので、1YBには三十一戦隊はふくまれていなかった。当時、秘密電報は暗号届箱という木箱に入れ、司令部の暗号員が関係者をまわって直接届けていた。
われわれは途中で暗号員をつかまえ、電報を盗み読みするのが常であった、このときも士官室の誰かが電報を読むか、仲間の司令部付の暗号士あたりから情報はたちまち伝わったはずであるが、私は戦後長い間、花月も海上特攻にくわわっていたと思いこんでいた。
(寺部甲子男 駆逐艦「花月」水雷長 手記より抜粋)
「花月」は上記にありますように第三十一戦隊に所属する月型の最新鋭駆逐艦です。秋月型駆逐艦の八番艦。いわゆる防空駆逐艦と呼ばれる艦です。大和と共に出撃いたします「涼月」と同型艦です。
この船は、沖縄へは行きません。ですが四月五日を語る上では欠かせない艦なのです。
先の話で「総員前甲板集合」の後、出撃への準備が始まります。
出撃へのシュミレーションは各分隊事に決められており、それぞれの役割がございました。
まず、第一作業といたしまして、乗員および備品などの充実を図ることでございます。そして船体、機関、兵備品の付属具、修理、検査、調整、手入れ、不用物件陸揚げなどの作業です。不用物件は、軍港、要港などに預けます。
第二作業として、艦内の物件の移動、格納、戦時不用品の陸上げして港務部へ預けます。大和では短艇(ランチ)搭載機(零式水上偵察機)などを降ろしております。教練用の弾丸も含まれております。
各公私室においても、木製書棚、額類、一次室(士官室)二次室の食卓、下士官用衣服函、同食器棚、私品の大部分を同じく陸揚げします。
これは火災被害の局限と重量軽減を主目的としております。
大和には(大和型戦艦→武蔵も同様です)舷窓が左舷に二百。右舷に百九十六個ございました。昭和十八年八月以降の改装で左舷百六十六個。右舷百五十四個になっておりますが、その全てを盲蓋閉鎖をします。
映画「男たちの大和」では、その様子が慌しく描かれております。
「遺体安置所」の紙が貼り付けられるシーンがございますが、これは「浴室」だったと聞きました。(レイテの際はそうであったのは確かなのですが、沖縄突入のこの作戦でも同様と考えました)
矢矧艦内です。原艦長です。
「内野副長、今この船には食糧はどの位あるのかね」
「先程、黒川主計長に確認いたしましたところ、約10日分の米があるとか。そう話しておりました」
「十日か。五日で充分であろうと考えるが・・」
「では、五日分の米は、軍需部へ返還と・・」
「徳山軍需部へ返還するのがよろしいだろう。内地では米が不足しているのであるし、一粒の米でも内地に残しておきたいではないか」
「では、水船に頼み込んでみましょう」
糧食も五日分で結構だと判断し、内野副長、黒川主計長と相談し、不要の分は全部横付け中の水船に託して、徳山軍需部へ返還しようと考えた。そこで副長がいろいろと頼み込んで・・・(原為一 矢矧艦長手記より抜粋)
「どうして、米を?この船で徳山軍需部へ返還?」
「そうだ。矢矧の米を引き取っていただきたいのだが」
「手続きが面倒なので。あと五日は掛かりますよ」
「今では駄目なのか」
「手続きにはそれだけかかるのです」
「それでは困る!今から移したいのだ!」
「こちらも多忙の身でさぁ。これからすぐというわけにはまいりません」
赤ら顔の水船船長君は、環納手続が面倒なこと、本務が水船で多忙であることを理由に容易に承知しない。さりとてわが矢矧には米があり余っているのに、日本国内においては配給不足のため国民は飢餓に瀕していることを思えば、矢矧艦長としては余分な米は一粒でも多く内地に陸揚して行きたい。水船船長君にはもちろんこの気持は解らない。かと云って、今突入作戦の秘密を漏らす訳にもいかない。(同手記より 抜粋)
「艦長、がんとして聞いてくれません」内野副長は困り果てて原艦長へ相談へまいりました。
「そうか・・・作戦を漏らすわけにもいかんし・・なぁ。・・よし、俺が直接話してこよう。いくらなんでも何とかしてくれるだろう」
やむを得ず、艦長自ら水船船長に会って、頼んでみたが。(同手記より 抜粋)
「だめだ。指揮系統が違っているとかで云うことを聞いてくれない」
「いっそのことこのままでは・・」
「もったいないではないか。特攻に行く艦がたらふく米を持っていたとなっては、恥ずかしいではないか。それに、重量は少しでも軽い方が良いではないか」
「何か渡せば・・・いいのでは。内野主計長、名案はないか」
「艦長、酒を渡したらどうでしょうか。まだ相当残っておりますし、呉から積んだやつですが」
「『千福』があったか。それを持たせてもう一度話してみよう」
一策を案じ、艦の酒保から酒三升を取り寄せ、船長と船員に二升、軍需部係員に一升をお土産として寄贈し、あらためて依頼してみた。(同手記より 抜粋)
「これは、これは!酒ですか。それも本物の!艦長承知いたしました。書類は後から付け足します。ではこの船で米を運びましょう」
効果は実に覿面であった。水船船長君、言葉使いまで急に改まった。(中略)また側でぼんやり口をあけて、今まで様子をみていた水船の水夫や機関員に向かっても、大きな声で
(同手記より 抜粋)
「何、ぼんやりつ立っているんだ。さっさとしろ!水兵さんに手伝え!」
「艦長。効果覿面。よかったですね」
「地獄の沙汰も金次第・・だな」
ただ黄金水を見ただけで、彼等は夕立の浴した夏草のように生々として元気づき、三百袋以上の米麦が、三十分もかからないで、艦から水船に積み卸された。
(同手記より 抜粋)
「一石二鳥とは云うものだね。お蔭で艦の浮力も相当増したね」
「凄く効き目がありましたねぇ」
温厚謹厳な副長内野信一中佐が、珍しく顔をほころばせて云っているのを聞いた。
(同手記より 抜粋)
さて、大和へ話しを移します。
大和有賀艦長は第二艦隊参謀長森下信衛少将と話しを致しております。この二人海兵四十五期の同期の桜でございます。
「森下参謀長、実は」
「艦長、何か」
「少尉候補生の事なのですが。艦から降ろしたいというのが本音ではあります」
「乗艦三日で戦闘では、苦しいな。降ろすのはいいが、人事はどうするか」
「何とかならないか・・と考えまして参謀長にご相談をと・・」
「伊藤司令長官が同意をしてくだされば、矢矧にも乗艦しているのだし」
転勤人事になります。本来、これは海軍省の指令でよるものです。ですが、ここでは異例の人事発令が行われました。乗艦三日目の候補生四十二名の移動が発令されます(能村副長手記によりますと五十三名となっております。ですが、名簿等見ますと四十二名で確かでございます。海兵七十四期、主計三十五期です)彼等は軍艦「葛城」主計科へ一時預かりの人事として退艦の運びとなります。(「大和主計第五号の十二、給与通牒」)
十七時三十分頃、艦長に呼ばれて急ぎ艦長室へ行くと、有賀艦長はイスから立って静かに、しかし毅然と言い切られた。
「副長、少尉候補生は今夜退艦させることにした」(中略)
同時に、配置につくことのできない病人十余人、および呉で乗せて来た戦闘は一に慣れない年老いた補充兵十余人も、ともに退艦させることになった。
私はまずマイクに向って、
「候補生退艦用意」
を発令、しばらくして、
「候補生集合、艦長室前」
を伝えた。
(略)
艦長室から出て来られた有賀艦長は、けげんな表情の候補生が居並ぶ前に立って敬礼を受け、重い口調でおもむろに述べられた。
「『大和』乗り組みは、皆の長い間の念願であったと思う。しかし熟慮の結果、今回の出撃には皆を加えないことになった。出撃を前にして退艦することは、はなはだ残念であろうが、皆には第二、第三の『大和』が待っておるのである。皆はそれに備えてよく練磨し、りっぱな戦力になってもらいたい。
では、ごきげんよう」
慈父の思いがこもるこの言葉、だがあまりにも意外である、候補生はみな、頭をたれて茫然たるありさまだった。
艦長が静かにその場を立ち去られたので、私も行こうとすると、われに返った候補生の一人が、突然一歩前へ進みでて私にいった。
「副長。われわれは『大和』に乗り組んだことを非常な名誉と思っております。同期生もうらやんでおりました。『大和』の甲板で倒れる覚悟はできております。いま降ろされては残念です。艦長にお願いして、ぜひ連れて行って下さい。お願いです」
私は返事に窮し、しばらく黙って皆の顔を見渡した。(略)
「皆の気持はよくわかる。私がもし皆の立場であったら、やはり同じことをいうだろう。しかし、訓練もまだ十分でなく、しかも乗艦して三日にしかならない皆をこのまま連れていっても、かえって足手まといとなるだけだ、艦長の言われる通り、この際は潔く降りることが一番よいと思う。
出て行くわれらが国のためなら、残る皆もまた、国のためなのだ。
大きな気持になってよく考えてもらいたい。勉強して、帝国海軍を背負って立つりっぱな士官になってくれ。
かげながら皆の健闘を祈っている」
もはや言葉を返す者はなかった。
(能村次郎 大和副長 手記より 抜粋)
「自分等は祖国のために死することを誇りとするものです。最後の大決戦に臨んで退艦を命ぜられるとは心外千万、是非参加させて下さい」と靴で甲板を踏んで申し出た人もあった。
私は心の中では本当に感激して泣いた。しかし、「この度の戦闘は、実戦を経た人だけでやるのだ。未経験者は邪魔になる。だから退を命ずるのだ」と諭した。(中略)
私は若い生命を救い得たことを神に感謝した。
(原為一 矢矧艦長 手記より 抜粋)
彼等は先に紹介いたしました駆逐艦「花月」へ乗艦するのでした。
この花月、燃料を大和へ供給しております。時間は前後するのですが、燃料のお話は次回語ります。
大和横付け中、四月二日に配乗したばかりの候補生の退艦が決定され花月が徳山まで輸送することになった。
候補生はなかなか乗ってこなかった。
(寺部甲子男 花月水雷長 手記より抜粋)
「でっけぇみかん箱みてぇなの、この辺さぁねぇがや」
酔漢祖父でございます。
私室の整理をしております。
「何かするんですか」
「残りの菓子なんかさぁ、詰めてっしゃ。子供達さぁ贈っぺっておもってっしゃ」
郵便物の最終は六日午前十時でした。
祖父は四月五日付けの手紙を送ってはおりません。
でも、手紙もメモもなにもない「お菓子の入った『みかん箱』」が七ヶ浜へ届きました。
(一度語っておりますが、再度です)
ぎっしり詰まったこの箱が宮城県七ヶ浜村へ届きましたのが、四月も十日を過ぎた頃でした。「酒保から何か頂いた」とも考えておりますが。
父は森永のキャラメルを覚えていると話しておりました。
祖父が大和から届けた一つのキャラメルは、そんな慌しい一日の中で荷造りされたのでした。
われわれは途中で暗号員をつかまえ、電報を盗み読みするのが常であった、このときも士官室の誰かが電報を読むか、仲間の司令部付の暗号士あたりから情報はたちまち伝わったはずであるが、私は戦後長い間、花月も海上特攻にくわわっていたと思いこんでいた。
(寺部甲子男 駆逐艦「花月」水雷長 手記より抜粋)
「花月」は上記にありますように第三十一戦隊に所属する月型の最新鋭駆逐艦です。秋月型駆逐艦の八番艦。いわゆる防空駆逐艦と呼ばれる艦です。大和と共に出撃いたします「涼月」と同型艦です。
この船は、沖縄へは行きません。ですが四月五日を語る上では欠かせない艦なのです。
先の話で「総員前甲板集合」の後、出撃への準備が始まります。
出撃へのシュミレーションは各分隊事に決められており、それぞれの役割がございました。
まず、第一作業といたしまして、乗員および備品などの充実を図ることでございます。そして船体、機関、兵備品の付属具、修理、検査、調整、手入れ、不用物件陸揚げなどの作業です。不用物件は、軍港、要港などに預けます。
第二作業として、艦内の物件の移動、格納、戦時不用品の陸上げして港務部へ預けます。大和では短艇(ランチ)搭載機(零式水上偵察機)などを降ろしております。教練用の弾丸も含まれております。
各公私室においても、木製書棚、額類、一次室(士官室)二次室の食卓、下士官用衣服函、同食器棚、私品の大部分を同じく陸揚げします。
これは火災被害の局限と重量軽減を主目的としております。
大和には(大和型戦艦→武蔵も同様です)舷窓が左舷に二百。右舷に百九十六個ございました。昭和十八年八月以降の改装で左舷百六十六個。右舷百五十四個になっておりますが、その全てを盲蓋閉鎖をします。
映画「男たちの大和」では、その様子が慌しく描かれております。
「遺体安置所」の紙が貼り付けられるシーンがございますが、これは「浴室」だったと聞きました。(レイテの際はそうであったのは確かなのですが、沖縄突入のこの作戦でも同様と考えました)
矢矧艦内です。原艦長です。
「内野副長、今この船には食糧はどの位あるのかね」
「先程、黒川主計長に確認いたしましたところ、約10日分の米があるとか。そう話しておりました」
「十日か。五日で充分であろうと考えるが・・」
「では、五日分の米は、軍需部へ返還と・・」
「徳山軍需部へ返還するのがよろしいだろう。内地では米が不足しているのであるし、一粒の米でも内地に残しておきたいではないか」
「では、水船に頼み込んでみましょう」
糧食も五日分で結構だと判断し、内野副長、黒川主計長と相談し、不要の分は全部横付け中の水船に託して、徳山軍需部へ返還しようと考えた。そこで副長がいろいろと頼み込んで・・・(原為一 矢矧艦長手記より抜粋)
「どうして、米を?この船で徳山軍需部へ返還?」
「そうだ。矢矧の米を引き取っていただきたいのだが」
「手続きが面倒なので。あと五日は掛かりますよ」
「今では駄目なのか」
「手続きにはそれだけかかるのです」
「それでは困る!今から移したいのだ!」
「こちらも多忙の身でさぁ。これからすぐというわけにはまいりません」
赤ら顔の水船船長君は、環納手続が面倒なこと、本務が水船で多忙であることを理由に容易に承知しない。さりとてわが矢矧には米があり余っているのに、日本国内においては配給不足のため国民は飢餓に瀕していることを思えば、矢矧艦長としては余分な米は一粒でも多く内地に陸揚して行きたい。水船船長君にはもちろんこの気持は解らない。かと云って、今突入作戦の秘密を漏らす訳にもいかない。(同手記より 抜粋)
「艦長、がんとして聞いてくれません」内野副長は困り果てて原艦長へ相談へまいりました。
「そうか・・・作戦を漏らすわけにもいかんし・・なぁ。・・よし、俺が直接話してこよう。いくらなんでも何とかしてくれるだろう」
やむを得ず、艦長自ら水船船長に会って、頼んでみたが。(同手記より 抜粋)
「だめだ。指揮系統が違っているとかで云うことを聞いてくれない」
「いっそのことこのままでは・・」
「もったいないではないか。特攻に行く艦がたらふく米を持っていたとなっては、恥ずかしいではないか。それに、重量は少しでも軽い方が良いではないか」
「何か渡せば・・・いいのでは。内野主計長、名案はないか」
「艦長、酒を渡したらどうでしょうか。まだ相当残っておりますし、呉から積んだやつですが」
「『千福』があったか。それを持たせてもう一度話してみよう」
一策を案じ、艦の酒保から酒三升を取り寄せ、船長と船員に二升、軍需部係員に一升をお土産として寄贈し、あらためて依頼してみた。(同手記より 抜粋)
「これは、これは!酒ですか。それも本物の!艦長承知いたしました。書類は後から付け足します。ではこの船で米を運びましょう」
効果は実に覿面であった。水船船長君、言葉使いまで急に改まった。(中略)また側でぼんやり口をあけて、今まで様子をみていた水船の水夫や機関員に向かっても、大きな声で
(同手記より 抜粋)
「何、ぼんやりつ立っているんだ。さっさとしろ!水兵さんに手伝え!」
「艦長。効果覿面。よかったですね」
「地獄の沙汰も金次第・・だな」
ただ黄金水を見ただけで、彼等は夕立の浴した夏草のように生々として元気づき、三百袋以上の米麦が、三十分もかからないで、艦から水船に積み卸された。
(同手記より 抜粋)
「一石二鳥とは云うものだね。お蔭で艦の浮力も相当増したね」
「凄く効き目がありましたねぇ」
温厚謹厳な副長内野信一中佐が、珍しく顔をほころばせて云っているのを聞いた。
(同手記より 抜粋)
さて、大和へ話しを移します。
大和有賀艦長は第二艦隊参謀長森下信衛少将と話しを致しております。この二人海兵四十五期の同期の桜でございます。
「森下参謀長、実は」
「艦長、何か」
「少尉候補生の事なのですが。艦から降ろしたいというのが本音ではあります」
「乗艦三日で戦闘では、苦しいな。降ろすのはいいが、人事はどうするか」
「何とかならないか・・と考えまして参謀長にご相談をと・・」
「伊藤司令長官が同意をしてくだされば、矢矧にも乗艦しているのだし」
転勤人事になります。本来、これは海軍省の指令でよるものです。ですが、ここでは異例の人事発令が行われました。乗艦三日目の候補生四十二名の移動が発令されます(能村副長手記によりますと五十三名となっております。ですが、名簿等見ますと四十二名で確かでございます。海兵七十四期、主計三十五期です)彼等は軍艦「葛城」主計科へ一時預かりの人事として退艦の運びとなります。(「大和主計第五号の十二、給与通牒」)
十七時三十分頃、艦長に呼ばれて急ぎ艦長室へ行くと、有賀艦長はイスから立って静かに、しかし毅然と言い切られた。
「副長、少尉候補生は今夜退艦させることにした」(中略)
同時に、配置につくことのできない病人十余人、および呉で乗せて来た戦闘は一に慣れない年老いた補充兵十余人も、ともに退艦させることになった。
私はまずマイクに向って、
「候補生退艦用意」
を発令、しばらくして、
「候補生集合、艦長室前」
を伝えた。
(略)
艦長室から出て来られた有賀艦長は、けげんな表情の候補生が居並ぶ前に立って敬礼を受け、重い口調でおもむろに述べられた。
「『大和』乗り組みは、皆の長い間の念願であったと思う。しかし熟慮の結果、今回の出撃には皆を加えないことになった。出撃を前にして退艦することは、はなはだ残念であろうが、皆には第二、第三の『大和』が待っておるのである。皆はそれに備えてよく練磨し、りっぱな戦力になってもらいたい。
では、ごきげんよう」
慈父の思いがこもるこの言葉、だがあまりにも意外である、候補生はみな、頭をたれて茫然たるありさまだった。
艦長が静かにその場を立ち去られたので、私も行こうとすると、われに返った候補生の一人が、突然一歩前へ進みでて私にいった。
「副長。われわれは『大和』に乗り組んだことを非常な名誉と思っております。同期生もうらやんでおりました。『大和』の甲板で倒れる覚悟はできております。いま降ろされては残念です。艦長にお願いして、ぜひ連れて行って下さい。お願いです」
私は返事に窮し、しばらく黙って皆の顔を見渡した。(略)
「皆の気持はよくわかる。私がもし皆の立場であったら、やはり同じことをいうだろう。しかし、訓練もまだ十分でなく、しかも乗艦して三日にしかならない皆をこのまま連れていっても、かえって足手まといとなるだけだ、艦長の言われる通り、この際は潔く降りることが一番よいと思う。
出て行くわれらが国のためなら、残る皆もまた、国のためなのだ。
大きな気持になってよく考えてもらいたい。勉強して、帝国海軍を背負って立つりっぱな士官になってくれ。
かげながら皆の健闘を祈っている」
もはや言葉を返す者はなかった。
(能村次郎 大和副長 手記より 抜粋)
「自分等は祖国のために死することを誇りとするものです。最後の大決戦に臨んで退艦を命ぜられるとは心外千万、是非参加させて下さい」と靴で甲板を踏んで申し出た人もあった。
私は心の中では本当に感激して泣いた。しかし、「この度の戦闘は、実戦を経た人だけでやるのだ。未経験者は邪魔になる。だから退を命ずるのだ」と諭した。(中略)
私は若い生命を救い得たことを神に感謝した。
(原為一 矢矧艦長 手記より 抜粋)
彼等は先に紹介いたしました駆逐艦「花月」へ乗艦するのでした。
この花月、燃料を大和へ供給しております。時間は前後するのですが、燃料のお話は次回語ります。
大和横付け中、四月二日に配乗したばかりの候補生の退艦が決定され花月が徳山まで輸送することになった。
候補生はなかなか乗ってこなかった。
(寺部甲子男 花月水雷長 手記より抜粋)
「でっけぇみかん箱みてぇなの、この辺さぁねぇがや」
酔漢祖父でございます。
私室の整理をしております。
「何かするんですか」
「残りの菓子なんかさぁ、詰めてっしゃ。子供達さぁ贈っぺっておもってっしゃ」
郵便物の最終は六日午前十時でした。
祖父は四月五日付けの手紙を送ってはおりません。
でも、手紙もメモもなにもない「お菓子の入った『みかん箱』」が七ヶ浜へ届きました。
(一度語っておりますが、再度です)
ぎっしり詰まったこの箱が宮城県七ヶ浜村へ届きましたのが、四月も十日を過ぎた頃でした。「酒保から何か頂いた」とも考えておりますが。
父は森永のキャラメルを覚えていると話しておりました。
祖父が大和から届けた一つのキャラメルは、そんな慌しい一日の中で荷造りされたのでした。
本物の酒…当時の状況がわかりますね。
降ろされた候補生は、その後どうなったのでしょう?命を取り留め終戦を迎えられたのでしょうか?
気持ちはわかりますね~
最後のみかん箱には、子供への愛がギッシリ詰まってましたね。
帝国海軍がその末期を迎えていることを承知しつつのこの言葉は重いです。
敗戦後の日本がどうなってしまうかの見当も立たない状態で、残せるのは若い力だけだったのでしょう。
現在は「経済大国の末期」を迎えつつあるような状況ですが、託せる若者はどこにいるのでしょう?
三升での買収?でしたか。でも私でしたら半升であればホイホイと・・・
塩竃の津波警報のサイレンは生涯忘れることが出来ません。
きっと1日じゅう鳴り響いていたのではないでしょうか。
幸い、実家は山の上です(酔漢さんも)ので、それだけは安心ですが。
故郷の皆様の安全な暮らしが保たれるよう、心の底から願っております。
何が入っていたのかよく覚えてない酔漢父でございますが、近所の駄菓子屋より珍しい菓子が入っていたとか申しておりました。
「皆して食え」位のメモはあったかもしれないと、申しておりますが。
候補生の方が慰霊祭に来ておりました。
父は何名かと話しておりますが、名簿を確認してみます。
さて、どういたしましょうか。
津波は写真を見て、これほどだったかと驚きました。
本文で少し語ります。
本日更新分です。
出遅れましたぁ~
昨日の津波のニュースもそろそろ下火になってきたっちゅうのに…
さて、いよいよ大和出撃ですね。
以前のコメントでも少し書きましたが、オイラの親父は商船学校を卒業してすぐ海軍に召集され日華事変に従軍したそうです。
もっとも、商船学校出身の予備士官だったため戦闘艦には配属されず、輸送船や造船工廠勤務だったようで、
おかげで激戦地へは行かずにすんで無事終戦を迎えたわけですが…
それでも、在校中から海軍精神を叩きこまれたと云っており、それが生涯の誇りだったようです。
いわく、海軍軍人は「紳士たれ」「国際人たれ」「外交官たれ」etc.etc…
それも商船学校の練習航海でサンフランシスコへ渡ったとき、対米開戦1年ほど前の微妙な時期にも関わらず
外国軍艦の正式訪問と同じ礼砲による国賓の礼で迎えられた経験が大きかったからのようです。
まあ、親父は学校出てすぐ召集されたんで、商船出とはいっても兵学校出と同じ気分を共有してたんだと思いますが…
この記事の水船の船長さんもきっと商船学校出身の予備士官で、戦争が始まってから船ごと徴用されて任務に就いてたんだろうね。
「ぱるえ」は「ぐずら」の間違いでしたぁ~~~
大和出撃まで二日となりましたが、時間が凝縮しております。一日が3回分位の内容で更新かと考えております。
少々、辛くなってまいりました。(気持的にですが)
チリ地震津波の恐ろしさを父から聞いておりましたので、TVを観ながら相当緊張致しました。皆様ご無事で何より。
七ヶ浜の養殖若布が心配ではあります。
情報ございますればお知らせ下さいませ。