5回を迎える直前から雨が激しく降ってきました。この段階で、仙台商業を応援している側は、試合成立後のコールドゲームを願っていたに違いありませんでした。エースである水沼君の肩はもはや限界に来ておりました。この大会も、絶対的なエースというわけにはいかず。彼の経験と猛練習で培った針の穴をも通すコントロールで打者を打ち取る軟投型のピッチャーになっておりました。おそらく、彼のことですから、決勝戦先発のマウンドを、志願したのだと思います。そして他のナインも水沼を甲子園のマウンドに上げるという、モチベーションを持っておりました。
球審はグランドと空を見上げながら、「試合中断」をコールしました。
いっこうに雨はおさまる気配を見せません。試合成立まで、ほんと、あと1イニングなのです。
雨がまた激しく降ってまいりました。
そしてついに
「試合続行不可能。翌日再試合」が大会本部より知らされました。
翌日の再試合。やはり先発は東北高校中条君、仙台商業水沼でした。昨日の雨がうそのように晴れわたった台風一過のような暑い日。試合が始まりました。
水沼君の肩はやはり持たなかったようでした。速球の切れもなく、早い回から東北打線に捕まります。打線も奮起しますが、中条君の鋭いカーブとクロスファイアーにタイミングが合わず、連打が続きません。水沼君は5回ももたず、後輩にマウンドを託しました。彼の投手としての大会はこの瞬間に終わりました。
「雨の降るのがあと20分遅かったら」。野球にたらればは禁物ですがそう思わざるを得ません。
試合の結果は東北高校の優勝で幕を閉じました。
水沼君の甲子園は選手としては適わぬものとなりました。
仙台商業は昭和42年、以来の出場はなりませんでした。(強肩強打の捕手八重樫:現ヤクルトスワローズコーチ がおりました)
私はその後仙台の大学を卒業し、東京に就職しました。通勤電車に乗りながら、売店で買ったスポーツ紙を読んでおりました。夏の大会を前に地方の展望等が記事になっておりました。ふと目を通すと、松島の白黒写真。記事は宮城県松島高校野球部について書いてありました。「13人のナインを率いるのは水沼監督です」と。
水沼君が仙台商業を卒業された後、日本石油に入ったことは知っておりましたが、彼が教師となっていることは知りませんでした。彼は指導者として、「甲子園出場」を目標に挙げているのでした。彼の甲子園はまだ終わっていなかったのでした。 そして、今は母校である仙台商業野球部の監督としてグラウンドに立っているのです。
昨年夏、春の大会の成績から仙台商業はシード校として、宮城大会を迎えました。しかし、2回戦でまさかの敗退。「春の仙商」とは、やはり夏には勝てないのでしょうか。否、水沼君のあきらめの悪さは天下一品です。不屈の闘志を持ち、今年は打倒仙台育英を目標に選手達にはっぱをかけているはずです。
酔漢は、母校の甲子園出場(これは、今のところ無理だろうなぁ。願望は少しあるけどネ)よりも、仙台商業の甲子園出場を願ってやみません。
小学校の卒業文集に「甲子園出場」と夢を書いた水沼武晴君は、今もその目標に向かって走っているのです。
「先発、水沼かや。んで今日の試合ヒット打てんのかや?」
「無理でねぇか。あいづの球打てる小学生なんていんのかや?」
「まんず、塩竃さぁいねぇべな」
「全国にもいねぇんでねぇか」
球審はグランドと空を見上げながら、「試合中断」をコールしました。
いっこうに雨はおさまる気配を見せません。試合成立まで、ほんと、あと1イニングなのです。
雨がまた激しく降ってまいりました。
そしてついに
「試合続行不可能。翌日再試合」が大会本部より知らされました。
翌日の再試合。やはり先発は東北高校中条君、仙台商業水沼でした。昨日の雨がうそのように晴れわたった台風一過のような暑い日。試合が始まりました。
水沼君の肩はやはり持たなかったようでした。速球の切れもなく、早い回から東北打線に捕まります。打線も奮起しますが、中条君の鋭いカーブとクロスファイアーにタイミングが合わず、連打が続きません。水沼君は5回ももたず、後輩にマウンドを託しました。彼の投手としての大会はこの瞬間に終わりました。
「雨の降るのがあと20分遅かったら」。野球にたらればは禁物ですがそう思わざるを得ません。
試合の結果は東北高校の優勝で幕を閉じました。
水沼君の甲子園は選手としては適わぬものとなりました。
仙台商業は昭和42年、以来の出場はなりませんでした。(強肩強打の捕手八重樫:現ヤクルトスワローズコーチ がおりました)
私はその後仙台の大学を卒業し、東京に就職しました。通勤電車に乗りながら、売店で買ったスポーツ紙を読んでおりました。夏の大会を前に地方の展望等が記事になっておりました。ふと目を通すと、松島の白黒写真。記事は宮城県松島高校野球部について書いてありました。「13人のナインを率いるのは水沼監督です」と。
水沼君が仙台商業を卒業された後、日本石油に入ったことは知っておりましたが、彼が教師となっていることは知りませんでした。彼は指導者として、「甲子園出場」を目標に挙げているのでした。彼の甲子園はまだ終わっていなかったのでした。 そして、今は母校である仙台商業野球部の監督としてグラウンドに立っているのです。
昨年夏、春の大会の成績から仙台商業はシード校として、宮城大会を迎えました。しかし、2回戦でまさかの敗退。「春の仙商」とは、やはり夏には勝てないのでしょうか。否、水沼君のあきらめの悪さは天下一品です。不屈の闘志を持ち、今年は打倒仙台育英を目標に選手達にはっぱをかけているはずです。
酔漢は、母校の甲子園出場(これは、今のところ無理だろうなぁ。願望は少しあるけどネ)よりも、仙台商業の甲子園出場を願ってやみません。
小学校の卒業文集に「甲子園出場」と夢を書いた水沼武晴君は、今もその目標に向かって走っているのです。
「先発、水沼かや。んで今日の試合ヒット打てんのかや?」
「無理でねぇか。あいづの球打てる小学生なんていんのかや?」
「まんず、塩竃さぁいねぇべな」
「全国にもいねぇんでねぇか」
突然のコメント失礼いたします。
私のブログ
「ペット(小動物)と楽しく暮らすお役立ち情報」で
こちらの記事を紹介させて頂きましたので
ご連絡させていただきました。
該当記事はこちらです。
http://blog.livedoor.jp/batman21/archives/50966859.html
私は今北海道に戻ってきてしまいましたが、仙商には甲子園に行って欲しいと思っております。
私の宮城でのすてきな思い出は仙商のフェンスから始まっています。
またいつかあのグランドで彼と練習を見に行ける日を夢見てこちらで鍛錬している日々です。
今、石巻商業高校、硬式野球部の監督さんです。息子が敬愛してやまない水沼先生。
野球と、人間として真剣に生きることを教えてくださいました。
彼、書道が得意ではなかったかな。
塩竈の書道教室ではいつも一緒でした。
返事遅れました。
申し訳ございません。