酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

小学校の頃  テロと名人とリボンの騎士と、さとうくん その6

2007-03-07 18:40:47 | 塩竈小学校の頃の話
 小学生になる息子がいきなり「あちゃ、おちゃ、げんまいちゃ」と叫びながら家に入ってきました。
「なんで、そんな前のマンガギャグ知ってんの?」
「友達のお兄ちゃんが言ってた。昔のマンガだって」
「燃えるお兄さんだよね」
「とうちゃん知ってんだ」
「書いた人、知ってるから」
「ホントに!?」
昭和49年、塩竃市立第二小学校。秋の頃です。「マタンキ!」「マタンキ!」僕等恒例の挨拶でした。そしてすぐ、さとう君がいきなり野球の話を始めました。彼が野球の話をすることなど珍しいことでした。
「今年、中日優勝すんだな。ほとんど決まりでないかい」しんどう君が言いました。
「パリーグはロッテだおんな」
「んだ、来週あたりに決まるんでねえか」
「なんで、さとう君てばや、中日の話ばすんのっしゃ?」と酔漢が聞きました。「こいづ見っとわかっと」と少年ジャンプを広げて見せてくれました。トイレット博士の登場人物「つなみ先生」が中日ファンだったのでした。矢沢選手がチャンスに三振するシーンがあったのですが、(まんがの話)そのときドラゴンズのハッピを着た、つなみ先生が「もうホントニ ヤザワ(やだわの洒落)」と言っているシーンがありました。
「こいづ見ても分かっと思うけんど、とりいかずよしは中日ファンなんだと」
「しゃねかった」「で、今日俺の家さ来ねぇか。おもせえもん見せからっしゃ」
放課後、しんどう君と酔漢は藤倉にある、さとう君の家に行きました。「みせてぇ物って何っしゃ?」としんどう君。「見るって言うか、どっちかって聞く方だなや」と言ったさとう君が見せてくれたのは「燃えよ中日ドラゴンズ」のレコードでした。「早速聞くべ」
遠い夜空にこだまする 竜の叫びを耳にして
中日球場つめかけた 僕等をじーんとしびれさす
いいぞ、がんばれドラゴンズ 燃えよドラゴンズ
なぜが、レギュラーのほとんどが歌詞になっている応援歌に僕等はある意味感動いたしました。
1番高木が塁に出て 2番谷木が送りバント 3番井上タイムリー 4番マーチンホームラン
5番矢沢がクリーンヒット 6番木俣が流し打ち 7番広瀬がヒットエンドラン 8番島谷スクイズバント

酔漢は今でも、この坂東英二が歌った一番最初のこの歌を歌えます。最後までネ

さとう君はこの年、ロッテファンが多い教室で、ドラゴンズファンを名乗っていました。

で、彼の作品「燃える!お兄さん」の「燃える」はこの事が繫がっているのかもしれない。と酔漢は勝手に思うのでした。

「とうちゃん。どこで知り合ったの?」
「小学校の同級生さ。隣の席にいたんだ」
「今はどうしてんの?」
「小学校からは会ってないな。今度塩竃のじいちゃんのとこ行ったら、写真見せてあげるよ。もしかしたら、マンガノートがあるかもしれない」
ほんとうに さとうただし は元気なんだろうか。この年になってなつかしく思うのでした。

これで、このタイトルは終了いたします。
ただ、小学校の話はもう少し続きます。昔話をすると「酔漢さんのいた小学校、へん!」とよく言われます。でやっぱり「おもせぇがった。学校でした」

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