酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

祖父・海軍そして大和 奮戦スレド徒死スルナカレ 矢矧 二

2010-09-01 13:18:05 | 大和を語る
「矢矧」魚雷数本ノ巣ト化シ、タダ薄黒キ飛沫トナッテ四散

上記は大和元電測士吉田満氏が著されました「戦艦大和ノ最期」からの抜粋です。
「矢矧」の奮戦はこのたった一行からは伝わりません。映画「男たちの大和」は、大和が主人公でございましたので致し方ないのかもしれませんが、「坊ノ岬沖海戦」があたかも大和一艦だけの戦いのような描き方がされております。
酔漢はこれまで「冬月」「涼月」「朝霜」と第二水雷戦隊の艦について語ってまいりました。「大和と共に行動した二水戦の顛末を皆様に知っていただきたかった」のです。
日本海軍が誇る「最後の水雷戦隊」としての奮戦を、多くの人の記憶にとどめていてほしかったのです。この世界に詳しい方々はよくご存じではあるかと思いますが、「戦艦大和」は知られていても「軽巡矢矧」はそれほど知られておりません。そして、その顛末は矢矧に古村司令官座乗、原為一艦長の性格もあってか、多くの誤解の中で語られることが多いのが事実なのです。
最初の話で「矢矧に角材の搭載」を語りました。これは艦が沈没した際に多くの人命を救うことができると判断した原艦長の決断なのです。
「第二水雷戦隊」はこの無謀な作戦に反するような行動を随所で見せております。上記の角材の一件もそうなのですが、「生き残る為には」からの逆算の発想を行動で示しております。これも一つの動機ではございますが、やはり「特攻ではなかった」と結論的私見を持つ酔漢です。(この件に関しましては「準特攻」の定義を含めて、戦闘終了後、語る事といたします)

お久しぶりで申し訳ございません。
「矢矧」奮戦の続きでございます。

「全速ぜんしぃぃんんん」
最大船速三十五ノット。輪型陣の先頭にいる矢矧はフォーメーションを崩してもまっすぐに突き進んでいます。一人のフォワードがボールを持ったまま敵ディフェンダーに突進するような無謀な行動に出ます。

「大和」を沖縄までたどり着かせる為にこの矢矧の腹にたんまりと魚雷、爆弾を食らうのだ
(原為一 矢矧艦長 証言より抜粋)

「とぉぉりかぁぁじぃぃぃ」
「おぉぉもかぁぁじぃぃ一杯」
矢矧は右に左の転舵を繰り返します。

「あのクルーザーは逃げている。追いかけるぞ!」
指揮機であるコンラッドの機は、先頭をひた走る「矢矧」に突撃を命令いたしました。
エド・ド・ガルモ少佐は対空砲火の射程外から目標を定める為に上空で旋回しております。
爆撃隊が先に行った攻撃で「逃げるクルーザー」も傷はついております。
「とどめを刺すのは俺たち魚雷屋なんだ」と彼はいつも言っております。だが、しかし。
「このマーク13は誰が調整したんだ!クッソ。さっきから駆逐艦の下ばかり抜けて行きやがる」
「そもそも、急ぎすぎなんだ!14機なんだ、俺たちは。今5機も足りないじゃないか」
1機は燃料系統の故障。あとの4機は発艦順のミスから遅れていたのです。しかも、武器となるマーク13は、深度調整が不十分なままだったのです。
「そんなことにかまってられるか!ぶっぱなすんだ!」
彼は、激しい対空砲をかいくぐりながら魚雷を投下しました。高度800フィート。
「当たったのか?」
「逃げるクルーザー」の右舷に水柱が上がるのを確認したのでした。
「小っちゃい奴。は跡形もなかったな」
クルーザーの左にいた駆逐艦は一発の魚雷を食らうと、水柱が落ち着いたと同時にその姿はなくなっていたのでした。
ガルモ少佐は、自身の戦果に満足しながら帰艦命令を出したのでした。

十二四八。「浜風」轟沈。その確認が出来たか出来ないか。そのすぐそばからアベンジャーが三機。急旋回をしたかと思うと、矢矧めがけて突っ込んできました。高度二百メートル。三本の雷跡がまっすぐ矢矧に向かってきます。
「左舷後部雷跡!近い!」左舷見張り員からの声。
爆撃を回避する為に右へ旋回中に入った瞬間でした。
「とぉぉりぃぃかぁぁじぃぃいっぱぁぁい!急げ!」川添亮一航海長が必死の転舵を行います。が。間に合いません。
「アッ!雷跡!しまった」原為一艦長がそう思った瞬間です。
ドォォーーーーン。腹の底から響く振動が艦全体を揺らします。

さすが精鋭なるわが艦隊も暫次隊形は混乱してきた。輪型陣左翼にあった浜風らしい駆逐艦一隻、真紅の火焔一閃、天に柱するかとみる間にたちまちにして転覆轟沈。その次の瞬間
「アッ雷跡!しまった」
と思った時はすでに遅く、わが矢矧は右舷艦尾にドスンと物凄い震動を感じて艦は忽ちにしてグーと停止してしまった。右舷機関室附近に魚雷一本命中したらしいが詳細は不明である。電話も伝声管も一瞬にして不通となり、機関室との連絡は直ちに杜絶した。全く手の下しようもないままに早くも艦は右舷に傾斜し、輪形の外に落伍して行った。(中略)何たる不甲斐なさであろうか。無念の歯をくいしばったが、よりによって主機械操縦室とは全く当たり所が悪かった。
(原為一 矢矧艦長 手記より抜粋)

大音響とともに衝撃を受けた。一瞬気を失ったような気がする。頭から海水をかぶって、我に返り、体が流されないよう慌ててその辺にあった突起物をつかんだ。部下もずぶぬれになったが、二人が軽傷を負ったものの、あとの三人は無事であった。艦は左に傾き、左舷側の機銃は損傷を受け、射撃ができなくなった。
(安達耕一 矢矧後甲板機銃群指揮官 証言より抜粋 →「軍艦矢矧奮戦記」より)

午後十二時四十八分。攻撃開始から約十二分。矢矧は機関停止状態となりました。

「さっそく、黙らしたぜ。奴の動きが止まりやがった。あとはゆっくり寝てもらおうか」
「あの寝ているうさぎちゃんに攻撃をしかける」

ここぞとばかり、矢矧に攻撃が集中しました。
「艦長、魚雷を投棄します」
石榑信敏水雷長が意見いたしました。
矢矧は水雷戦隊旗艦として誕生いたしました。水雷戦隊は雷撃により敵艦船を撃滅することを目的として作られております。魚雷はその最たる兵器なのです。
出撃前、古村啓蔵司令官は「最後の水雷戦隊なのだから、雷撃強襲訓練を行いたい」と伊藤整一第二艦隊司令長官へ申し入れております。大和を敵艦船と見立てての強襲訓練を行います。水雷屋がその命というべき魚雷投棄をしなくてはいけない状況に陥った矢矧です。
断腸の思いがよぎります。
「魚雷を投棄する」原艦長も決断いたしました。
「航行不能であれば、最早敵への雷撃は不可能。ここは誘爆を防ぐ事の方が急務魚雷投棄はやむを得ないであろう」
古村司令官も同意いたします。
現場におります水雷士、中本正義中尉です。発射管から次々魚雷を投棄してゆきます。がしかし。
「一本、引っかかってます。急げ!またいつ爆撃を受けるかしれんぞ!」
魚雷発射管は圧縮空気によって作動いたします。この空気が空襲の影響で作動しなくなり、発射管から魚雷が一本頭を出したまま止まっている状態となりました。
「これに被弾したら・・矢矧は轟沈スルゾ!」
応急指揮官大坪寅郎中尉は水上機を一機海中投棄しました。その後中本中尉の魚雷投棄を手伝います。
「水上機運搬チエーンブロックで吊り下げてはどうか」
飛行甲板からチエーンブロックで魚雷の頭部を釣り上げ、魚雷を水平に保ち、手で持って投棄いたします。悪戦苦闘の末、十二本の酸素魚雷の投棄が完了いたしました。

上記の史実ですが、少し補足並びに私見を述べさせていただきたく存じます。
この程発刊されました「軍艦矢矧海戦記 建築家・池田武邦の太平洋戦争。井川聡氏著。発行所 光人社 2010年8月14日 発行」です。魚雷投棄は同書三百八頁から三百九頁に記載されております。
同書によりますと、魚雷投棄の時間が酔漢が語った時間と大きくずれていることに気づきます。ご紹介いたします。

一二四一、艦隊は二十八ノットとした。「大和」の最大船速である。
「矢矧」は、敵艦載機が殺到してくる前に、魚雷発射管を舷側に突出し、魚雷への誘爆を防ぐ処置を取った。「矢矧」は駆逐艦よりはるかに図体が大きいので、「大和」と同様、敵機の空襲の矢面に立たされるに違いがなかった。このため、魚雷への誘爆防止には細心の注意を払う必要があった。前年十月、レイテ沖海戦の戦訓によるものである。(中略)さて、空襲が始まると、水雷長石榑信敏(海兵六十八期)は機を失することなく、かねての原の指示通り、魚雷十二本の艦外射出を命じた。
(同書、三百八頁~三百九頁より抜粋)

上記記載を拝読するに、魚雷投棄があたかも予定されていたかのような史実と書かれております。が、空襲は想定されてはおりましたが(その公算が大であることも)敵艦隊との遭遇も考えられており、戦闘時系列を追って見ますれば、魚雷投棄が早いのではないのでしょうか。空襲がはっきりしてからの投棄ではありますが。「矢矧」をはじめとする二水戦各艦は戦闘海域へ向かう途中に「雷撃強襲訓練」を行っております。これは、敵と遭遇した場合、接近戦であればその攻撃に雷撃が有効であるからです。雷撃を主目的とする水雷戦隊であるならば、その最終目的は敵への雷撃です。その事からも、「矢矧が航行可能中の魚雷投棄は考えられない」と言うのが酔漢の私見です。
戦後、原為一元矢矧艦長はこの件を一切語ってはおりません。古村さんも同様です。魚雷の投棄は事実です。これは間違いないところなのですが、(くどいようではございますが)航行不能になってから後の投棄が自然ではないのでしょうか。
「水雷屋」なのです。空襲とは言え、その命を最初から放棄するでしょうか。「やむを得ない判断」とするならば、魚雷の投棄は「航行不能になった十二時四十八分以降」と考えるのが妥当かと。
酔漢的私見でございます。

航行不能のなったとはいえ、矢矧は対空砲を撃ち続けております。
ノーマン・ウィーズ大尉です。浜風(推定)に魚雷を投下します。(艦底通過)その直後彼の機は被弾いたしました。
「二五ミリ機銃弾が風防ガラスと計器盤を砕いて弾片が彼の頭にささり、こわれた油圧計からガソリンが噴出したため一時盲目になったが、命中した瞬間本能的に頭を下げたから、多分命が助かったのであろう。さらに一発は無線機のある一角で炸裂し、厚い弾片だ電信員D・ブレイクリーの腕に食い込んで重傷を負わせた。あとで見た炎上中の駆逐艦は、おそらくウィーズの魚雷を受けたのだろう」
(ラッセル・スパー氏著「戦艦大和の運命」よりアメリカ戦闘報告記述から抜粋)

原艦長、「最上甲板」のタイミングを計っております。
「二水戦旗艦の移乗。そして戦闘を継続させる必要がある」
古村司令官も最後の判断を迫られております。
戦闘開始より三十分近く経っておりました。

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6 コメント

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やはり被弾後のことでは? (丹治)
2010-09-02 12:29:50
矢矧の魚雷投棄ですが、常識的に考えれば被弾後。
それも航行不能になってからのことではないでしょうか。
そう考える理由は、酔漢さんと同様です。

何と言っても矢矧は水雷戦隊旗艦です。
二水戦は出撃時に大和を目標にして、
魚雷戦の襲撃運動の演習を行なっております。
つまりは敵水上艦艇との魚雷戦を想定していたということです。
「水雷戦隊最後の出撃」という単なる浪花節で
襲撃運動の演習をするということは考えられません。

こういったことを考え合せても、
矢矧の魚雷投棄は被弾後のことだと思うのです。


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同感 (ひー)
2010-09-02 22:41:00
酔漢さんの推察の方が理に敵っているということですね。
先日、DVDで「真夏のオリオン」を見ました。
原作は、雷撃深度十九・五で帝国海軍イ58潜水艦による米国海軍重巡洋艦インディアナポリスを撃沈した史実を元にしたフィクションの映画ですが、映画の最後は終戦を敵艦と海上で向かえます。
人間魚雷で出撃したいと名乗り出る兵隊の姿があって、そう言えばそんな兵器もあったな~と思い出した次第です。
複雑な気持ちですね。

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なんだか夕べと今朝は涼しいぞ! (クロンシュタット)
2010-09-03 06:10:15
魚雷投棄のタイミングがどうであれ、その悔しさと作業中の恐怖は想像を越えてしまいます。
帝国海軍が所持した数少ない「有利な」兵器であったのに、最後の戦闘で自ら捨てなければならなかった史実。
これこそが「帝国海軍の断末魔」なのではないでしょうか。

職場近くの靖国神社に「回天」が残されています。
いくらあのような時代であっても、このような兵器、さらにこのような兵器を作り出した思想を憎みます。

吉祥寺の店舗は今もしょっちゅう利用させてもらっています。でも残念ながら客足が今一歩のようです。
気がついたこととして、衣料品の品揃えがなんだか「北関東」っぽいような。少々暴言ですがそんな印象です。
それと鮮魚売り場に賑わいが感じられません。品揃えも陳列方法も購買意欲を刺激してくれません。
改装中の旧ロンロンに旧伊勢丹がいよいよオープンします。強敵ですが、まだまだやりようによっては戦えると思いますよ。

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丹治様へ (酔漢です)
2010-09-09 12:58:55
資料等のご紹介、ありがとうございました。
時系列を見ても、やはり航行不能の状態の頃であろうと思います。
涼月もそうですが、魚雷投機をするときの水雷長の思い。言葉がありません。
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ひー様へ (酔漢です)
2010-09-09 13:03:15
「夏のオリオン」では矢矧艦長原為一さんのお嬢様へ取材があったそうです。
ですが、矢矧を潜水艦だと思っていたスタッフがいたらしいです。
この話と繋がっている部分があるとは思いもしませんでした。
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クロンシュタット様へ (酔漢です)
2010-09-09 13:08:12
回天は呉の海軍工廠でつくられました。
あの兵器の搭乗したいた方の思いを想像できません。靖国神社で初めて見ました。思ったより小さかったことを思い出しました。

さすがに鋭いですね。
確かに、弱点ですよね。
課題になっていることは確かです。
今モデルを再構築している仕事をしております。
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