終戦記念日を迎え 今回から思い出についても書いていこうと思います。
この世に生を受けて 最初にしてかつ強烈な記憶といえば「空腹」に始まる食べ物関連のものである。祖国の敗戦とともに、朝鮮満州の国境から命からがら引き揚げた我々家族は、文字通り着のみ着のままの無一文で、粗末なバラックに収容され、間違いなく最底辺の極貧層であった。
植民地における支配層で、軍事物資を供給する企業の生産担当幹部の父は特別に徴兵を猶予されており、食生活も含め、かなりハイレベルな生活を送っていたという。それを歳の離れた姉と兄は懐かしく語ってくれた。「少年少女期に天国と地獄を経験した」と。しかしそれまでの私の経験に天国は無かった。
当時の食の記憶と言えば進駐軍から配給された家畜飼料(あわ、ひえ、コーリャン、コーンの屑等)時折農家の好意により無償で提供されたイモの葉っぱ、茎等をかじり、野草をむさぼり、それさえ無い時には、水を飲むしかなかった。それだけにまともな食べ物にありついた記憶は鮮烈である。最初の記憶は生卵である。しかしながら1つの卵を水で割って18人で食べたため、味は分からなかった。そして次がスイトン、これは泣けるほど旨かった。間を飛ばして小学校の給食。
ランドセルも晴れ着もなく、麻袋を背負い兄のおさがり仕立て直しである中古の国民服での入学ではあったが、幸運にもその年から学校給食が始まった。最初のメニューは忘れもしない。コッペパン、脱脂粉乳、そして鯨の竜田揚げ、これらはもう筆舌に尽くせないほど美味であった。小学校入学によって私はこの世の天国を知ったのである。今もって私の辞書に「好き嫌い」の文字は無い。
標記は日本産業カウンセラー協会理事中台英子先生のセミナーから引用しました。簡潔ですが意味の深い言葉だと思い本稿を再掲致します。
その他印象に残ったのは
①無知と無関心による差別・偏見
②可愛そう・気の毒という憐れみ、同情
③障害のない人と同じ欲求・権利を持つ人であり、社会の中で共に生きて行く仲間
をあげています
その他のポイントは
*障害・障害者の理解
①その障害者がもっている能力をできるだけ客観的に評価し、援助すべきことと援助
しなくてもいいことを分ける
②しょうがいのためにできないこと、できにくいことに対しては支援を行い、障害が
影響しないことには通常のように対応する
③障害理解とは障害者に優しく接することではなく、適切に接することである
④もしそうでないと障害者を常に援助の対象としてしか見ないことになり、障害者を
一個人として考えて、お互いの人格を尊重した人間関係がつくれない
⑤障害理解は、障害に対する正しい認識を持つことであり、障害理解の考え方によって
共生社会の実現を目指す
*障害のある当事者からのメッセージ
-障害について知って欲しいことの主な内容ー
①障害は誰にでも生じ得る身近なもの
②障害は多種多様で同じ障害でも一律ではない
③外見では分からない障害もある
④不自由はあるが周囲の理解や配慮があれば出来ることが多い
⑤特別視せず普通に接して欲しい
⑥社会生活をする上でさまざまなバリアがある
⑦日常生活や事業活動の中でちょっとした配慮や工夫を
*障害について知っておきたいことの主な内容
①さまざまな障害の特性と不自由さの内容
②コミュニケーションのとり方(不快に感じる言葉使い、障害についてのたずね方)
③周囲の者にできる支援内容
④障害について学ぶ機会
⑤必要最小限の医学知識
⑥どのようなサービスが利用できるか
⑦地域でどのような生活をしているか
今回はさまざまな障害者を想定したロールプレイを行いました。その中でも筆談に
よる聴覚障害者対象のカウンセリングには大変苦労しましたが、良い経験となりました。