TULIP DIARY

届くといいな やさしい風に乗って

あっけない

2017年12月02日 | ひとりごと

一昨日、あっけないことがありました。そんなものだったのねと思いましたが、ちょっとはかなくて悲しい気分にはなりました。「〇〇さんは人を信じすぎるところがあるから自分のためには人を信じ過ぎたらいけないよ。」と同じ職場の年配の仲良くしていただいている方から常日頃からご忠告をいただいていました。ネット社会における盲点とか、ネット社会での匿名の世界での人と人との繋がりはこんな感じだったのかとか改めて考えさせられました。ブログを10年前から続けてきていて当時のブログの作り方のままずっと更新続けてきていたので、他の方々のブログをそれほど閲覧させてもらっていなかったので、最近のブログの当然のしくみとかその傾向を全く気がつかなかったなあと思いました。ブログを更新することの意味やブログをこのまま続けていくことの意味も以前から思ってきたことが少しずつですが自分の中では、はっきりと見えて来ました。ネット社会での人と人との関係よりは、やっぱり普段から会って自分を知ってもらっている方々、一番大切に心配してくれている家族や友人との繋がりをこれからも一番大切にしていきたいと思います。先日、職場で自分より若い世代の同僚に「私たちはコマのように上の人の都合のいいように転勤させられることが多いので3月に転勤になる可能性もあるんですよ。」と立ち話をしていたら、「いてくださ~い。私がいるまでは・・・・。」と懇願されてしまいました。頼りにしてくれてるのかなと思ってちょっとだけ嬉しくなりました。ネット社会でのあまり深く考えなくてもいい繋がりもいいけれど、人を信じて生きていくことには変わりありません。人を信じられなくなったら寂しいと思いますから、職場の先輩のご忠告をいつも心の片隅に置いて、ブログの画像の容量がなくなるまではひとまず、このブログを続けていこうかと思いました。今日はいつもよりは早く起きて友人と日帰りのバス旅に出かけます。今日は寒そうですが晴天になる予報なのでよかったなあと思います。あっけなかったことやちょっとはかなくて悲しかった一昨日のことをすっかり忘れて思い切り楽しんできたいと思います。

追記(2022年4月)

このブログを書いていると今までも時々思いましたが、なぜこんなに毎日一生懸命記事を書いて更新し続けてきたのだろうと思いました。そのエネルギーの源だった理由にやっと気が付きました。その本当の理由は自分の心の中だけにしまっておきたいから記載しませんが、少し前に記事に書いたような「なんとなくしあわせ」な気分を味わっていたいという思いが常にあったからだろうと思います。

有川浩さんのある小説に記載されていたような自らの世界を表現していた自分の拙ブログは自分の偽りのないそのままの姿に近い正直なリアルなそのときを自由に記載していました。その記事を偶然読みに来てくださった方々と思いがけず、共有できたり、時には文章を通してお話できたことで家族や友達や職場の仲間と全く同じような繋がり方が自分の中ではできてしまっていたのだろうと思います。顔や名前などの素性を知らなくても文章を通して文章と文章の間に見えたその方のお人柄やリアルさを現に会って話ができている方々とほとんど変わりないほど心が通じ合えたと思ったことが何回もあり、今ではネット社会で出会った方もネット社会でない場所で出会った方も自分にとっては同じ大切な繋がりだったと思います。他の方のブログで書かれていた記事の書き込みを読んだときに自分も同じ時期に同じことを本当に思っていて驚いたこともありましたし、自分のブログに掲載していた写真だけで本当に楽しかったのをなぜか当てられてしまっていたり、逆光を撮影したとき、同じ日に逆光を撮影されていて驚いたりしたこともありました。ブログの中の文章や写真からだけで、会って話ができる方々と全く同じくらい、文章の中に込められた表情や伝わるいろいろな思いが「なんとなくしわせ」だったからずっと更新して来られたのだと思いました。

 

コメント (4)
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