先日、職場内の展示棚に上の写真のものをいくつか追加して展示してみました。
最近、いつもの自分と違っていた
なぜだろうと考えた
心の声が叫んでいた
寂しかったんだ
ずっと寂しかったんだ
いろんなことに我慢してきた
職場内の本当は嫌いな人たちと
争わずにずっと我慢してきた
耐えてきたんだ
今は耐えられない自分がいた
いつも側で支えてくれていた笑顔が消えてしまっていたんだ
心の声が叫んでいた
本当は寂しくて大声で泣きたかった
でもずっと我慢してきた
これからずっと我慢できるんだろうか
大声で泣きたいよ
心の声が叫んでいた
話がしたいよ
こんな自分をきっと叱咤激励してくれるんだろうね
心の声が叫んでいた
こんなときこそ笑顔を忘れたらだめだね
心の声が叫んでいた
追記(2022年4月)
当時このポエムをアップしたときに、ある方より励ましの温かいお言葉をいただきました。心の中に閉じ込めておくと身体が壊れるからその方のブログに訪問していつでもいいからなんでも発散してくださいという趣旨のコメントをいただきました。本当はこの時期は一番しんどかったけれど昔からどなたかに頼ったりするのが苦手でしたし、引っ込み思案の性分もあり、訪問してお話しすることも全くできませんでした。この後、その方はブログを更新されなくなって、母が亡くなったことなどについてもきちっとご報告できませんでしたし、御礼を申し上げないまま月日だけが過ぎて行きました。ブログの更新をされなくなってからも拙ブログの記事を時々見て下さっていたこともなんとなくわかりました。今は以前のブログを閉じていらしゃるようなので、その方に直接御礼を申し上げることもできませんし、閉じられてしまったら、これからもっと辛いことがあってもその方のブログに訪問して発散することもできなくなってしまったですよねといつも寂しく感じます。今更ながらですが、温かくて優しいお言葉をいただいて、いつも心を支えて下さっていたから拙ブログを更新し続けられたと思います。当時も今もこれからも本当に感謝しております。ありがとうございました。
職場にあった詩集をたくさん読んでみました。その詩集の中で印象に残ったのは、『千の風になって』というタイトルの本に記載されていた詩でした。秋川雅史さんの歌で有名な詩にいわさきちひろさんの挿絵が掲載されている詩集です。以前にも一度読んだことがありましたが、今読むと心に深く響きました。新井満さんの文章が後のほうに掲載されていました。幼いころに亡くなられたお父さんとの思い出とそのときの記憶が記載されていました。この詩を読んだらなぜか心が落ち着きました。幼いころの記憶は3歳から4歳の記憶がある人が多いとドイツの研究でわかっているそうですが、新井満さんも幼い日の記憶を鮮明に覚えておられたとこの本に記載されていました。この前、子供の頃の古いアルバムを眺めていて、1歳のときのことはしっかり覚えていたのを当時の写真を見るたびに気が付きます。大阪府の高槻市に住んでいた1歳1か月くらいの頃に、その当時の近所の小学校の校庭をかごを持っててくてくと歩いていたときの記憶がいちばんの最年少のときの記憶でした。そのほかの記憶は1歳半頃以降の記憶はほとんど残っていました。古いアルバムを整理してファイルに保存し直したものを再度見直し、この本に書かれていた新井満さんの文章を読むと、幼い日の当時の記憶と今の自分がいることの意味を自然に分からしめてくれるように感じました。今の自分の心に余裕がなかったので、この詩集を読んでよかったと思いました。心に余裕を持てないときや心があまりにも疲れ果てているときはマイナス思考に陥りがちになっていたということに気が付きました。心が疲れているときは自然に笑顔になれるような癒されるものに触れるように心掛けたいものです。