阿川さんの本の中で、パリに行かれたときのことが書かれていた箇所がありました。パリに学生時代友人と行かれたときに、カフェで注文されたときに、フランス語の発音が店員さんに理解してもらえなかったようで、スルーされたときのことが記載されていました。パリの方々の日本人を見る目が当時は冷たかったと、でも、東日本大震災以来から、日本人を見る目が、今は随分と温かくなってきたという内容でした。私も1回だけでしたが、パリのスーパーでだいぶん前にお菓子を買ったときに、小銭を持ち合わせていなかったので、紙幣で代金を支払おうとしたときのことをこの本を読んで思い出しました。そのときの店員さんの冷たい視線とフランス語でたぶん何かあきれたような言葉を発しておられたのをいつまでも覚えていました。何を言われているかはよくわからなかったけれど、しぐさで態度がとても冷たく感じました。スイスをだいぶん前に旅したときに、フリーの時間に、自力で、窓口で、バスやロープウェイを乗り継いだ周遊チケットを買おうとしたことがありました。言葉足らずで、こういうコースの周遊券をくださいという説明をしたくてもうまく伝わらなかったようで、窓口でものすごく怒られたことがあったことも思い出しました。このときはドイツ語だったのですが、ものすごく怒っておられるというのがよく伝わってきましたし、そのときに示されておられた態度でもよくわかりました。後ろに並んでおられた日本人の方が、「そんなに怒らなくてもいいのにねえ。」と言われていたのも覚えていました。あれから年月がずいぶん経ったので、外国の方々が日本人を見る目も相当変わってきたと思います。
もうひとつ、阿川さんの本の中で、いろいろなものを何でも床に置くのが習慣になってしまってご自身のこの状況を「床族」と呼ばれていた話が書かれていました。私もよくよく考えたら最近、テレビの前の自宅の部屋の畳の上にいろいろなものを置いてしまっているので床族になってしまっているなあと思いました。いろいろなところから届く郵便物、充電器、本など、いろいろなものがどんどん溜まってしまい、1週間に1回くらい掃除をする際にやっと片づけるといった状況に最近なっています。掃除のときに片づけずにそのままにしてしまっていたら、さらにもう1週間、ひどいときは1か月くらい置いたままになってしまっていることもよくあります。片づけなければいけないと思いながらもその日にしないといけないことを先にしてしまうとこの置きっぱなしにしていた物たちがほったらかし状態になっていました。若いときは、もう少しきちっと片づけていたのにと思います。職場の机の上やその周辺も若いときなら帰るときにはきちっと片づけて帰宅していたのに、自分がいる部屋は自分だけしかいないので、散らかしていても誰も見られることがないと思うと片づけずに帰ることも多くなってしまっていましたね。