TULIP DIARY

届くといいな やさしい風に乗って

いい女、ふだんブッ散らかしており

2019年06月21日 | 読書日記

いい女、ふだんブッ散らかしており 阿川佐和子 著 中央公論新社

図書館で予約して借りて読んだエッセイでした。亡くなられたお父さんの話、ご結婚されたときの話などの日常の話、なんでも床に置かれる話、引っ越されたときの話、仕事で外国に行かれたときの話などなどいつもパワフルに動いておられる作者が、その時々に思われた事柄をユーモアを交えながら書かれているエッセイで、文章の上手さとユニークな発想がふんだんに盛り込まれていて、共感したりすることも多いなあと思いながら読み終えました。夢の中で出て来られたお父さんが夢の中でも不機嫌に怒っておられたり、散らかしている部屋を見て片付けろと言われていたりするといった話も書かれていました。あとがきに書かれていましたが、還暦を過ぎられて、作者の周りのお友達やお知り合いなどの親しい方々がどんどんと亡くなられていく寂しさを体験されながらも、心のざわざわ感や切なさや悲しさを追いやるという意味なんでしょうか、それを「心のブッ散らかしを収める」と表現されておられて、ベランダで育てておられるシクラメンの花に今年も花をつかせてよと水をやる日々を送るという作者のなにげない日常の断片を読み取っても、悲壮感のむこう側にある心の強さを感じました。誰でも年を重ねると自然に訪れるようになる心のざわざわ感を乗り越えながらも毎日を元気に送ることがいちばん大事なことなのかもしれないですね。

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パリと床族

2019年06月21日 | 読書日記

阿川さんの本の中で、パリに行かれたときのことが書かれていた箇所がありました。パリに学生時代友人と行かれたときに、カフェで注文されたときに、フランス語の発音が店員さんに理解してもらえなかったようで、スルーされたときのことが記載されていました。パリの方々の日本人を見る目が当時は冷たかったと、でも、東日本大震災以来から、日本人を見る目が、今は随分と温かくなってきたという内容でした。私も1回だけでしたが、パリのスーパーでだいぶん前にお菓子を買ったときに、小銭を持ち合わせていなかったので、紙幣で代金を支払おうとしたときのことをこの本を読んで思い出しました。そのときの店員さんの冷たい視線とフランス語でたぶん何かあきれたような言葉を発しておられたのをいつまでも覚えていました。何を言われているかはよくわからなかったけれど、しぐさで態度がとても冷たく感じました。スイスをだいぶん前に旅したときに、フリーの時間に、自力で、窓口で、バスやロープウェイを乗り継いだ周遊チケットを買おうとしたことがありました。言葉足らずで、こういうコースの周遊券をくださいという説明をしたくてもうまく伝わらなかったようで、窓口でものすごく怒られたことがあったことも思い出しました。このときはドイツ語だったのですが、ものすごく怒っておられるというのがよく伝わってきましたし、そのときに示されておられた態度でもよくわかりました。後ろに並んでおられた日本人の方が、「そんなに怒らなくてもいいのにねえ。」と言われていたのも覚えていました。あれから年月がずいぶん経ったので、外国の方々が日本人を見る目も相当変わってきたと思います。

もうひとつ、阿川さんの本の中で、いろいろなものを何でも床に置くのが習慣になってしまってご自身のこの状況を「床族」と呼ばれていた話が書かれていました。私もよくよく考えたら最近、テレビの前の自宅の部屋の畳の上にいろいろなものを置いてしまっているので床族になってしまっているなあと思いました。いろいろなところから届く郵便物、充電器、本など、いろいろなものがどんどん溜まってしまい、1週間に1回くらい掃除をする際にやっと片づけるといった状況に最近なっています。掃除のときに片づけずにそのままにしてしまっていたら、さらにもう1週間、ひどいときは1か月くらい置いたままになってしまっていることもよくあります。片づけなければいけないと思いながらもその日にしないといけないことを先にしてしまうとこの置きっぱなしにしていた物たちがほったらかし状態になっていました。若いときは、もう少しきちっと片づけていたのにと思います。職場の机の上やその周辺も若いときなら帰るときにはきちっと片づけて帰宅していたのに、自分がいる部屋は自分だけしかいないので、散らかしていても誰も見られることがないと思うと片づけずに帰ることも多くなってしまっていましたね。

 

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