先日のG20大阪サミットの夕食会の席で、安倍首相が大阪城の天守閣にエレベーターを付けたことが大きなミスだったとあの場所でスピーチされたことが話題になっているそうです。私もこのときのご発言をテレビで見ていてエレベーターを付けたことがたったひとつの大きなミスだったのということを言われているのかと少し不思議に思いました。ジョークだったということだそうですが、ジョークとしてはいろいろな意味に捉えることができるので、もっと他のジョークだったほうがよかったと言われても仕方がなかったのかもしれないなあと思いました。日本にある多くのお城はエレベーターが設置されていないので、高齢者の方々や車いす利用の方々がお城を見学できないところが確かに多いというのはあちこち旅をしたときにそう思います。現在の大阪城は三代目で、昭和6年に、全額、大阪市民の寄付金で建てられたお城だと聞きました。再建当時からエレベーターが設置されていて、現代ならバリアフリーの観点から設置されることも検討課題に挙がることが多いのでしょうが、当時、昭和6年の時代に、すでにエレベーターを設置されたこと自体、未来を先取りする、先見の名があったということなんだろうなあと思いました。日本に残されている歴史あるお城は、ほとんどが階段でしか登れないお城が多く、階段を登れない方々は下で外観しか見ることができないのであきらめざるを得ないことが多いですよね。そういう中で、大阪城のようなエレベーターで登れるお城が当時の市民の寄付金で作られたというビジョン自体が現代の大阪市民に受け継がれた尊い誇りであるのではないのだろうかと思いました。
昨日は、母が入院している病院に出向き、3時間ほど同じ時を過ごしました。母の容態は安定していたということで、熱も下がり、いろいろと話し掛けると一生懸命うなずいてくれていました。今までに旅した場所の写真をカメラに保存して見せたりしましたが、なんで今頃見せるんだろうと不思議に思ったかもしれないので、今日は止めておこうかとか思いました。私がずっとそばにいた間、ずっと手を握って欲しいというように、少しでも手を放すとまた手を差し伸べてきました。帰るときももう帰ってしまうのかというような寂しさを堪える表情を見せていました。いつもと違っていました。寂しいのかなとか苦しいのかなとか耐えられなくなってきたのかなといろいろと想像してみました。また元気になったらいろいろなところに行こうねとたくさん会話しました。子供の頃、嘘をつくと下手なのでいつもすぐにばれてしまうことが多く、逆に母の嘘ですっかり騙されていたことも何回かありました。嘘をつくのが母に比べたらずっと苦手で、それは歳を重ねても変わりませんでした。母に今まで出かけた旅先の写真を見せながら、早く治ってまたどこかに行こうねと言ったら、うなずいてくれていました。私が言った言葉を嘘と思っていたとしてもちゃんとわかってくれていたのかもしれないなあと思います。今日も病院に出向き、できるだけ母と一緒の時を過ごしたいと思います。今日は本を持って行って本を読んでおこうかな?