TULIP DIARY

届くといいな やさしい風に乗って

昨日の出来事

2020年10月24日 | ひとりごと

今週は、仕事でいっぱいいっぱいの週でした。いっぱいいっぱいのときに、期日が迫っている、全く異種の仕事がたくさん重なり、その仕事を済ますまではてんてこまいしていました。昨日は来週からの仕事の準備で、朝からある物品の分量を計算し、午後遅く作り終えたと思って職場を後にして帰宅したときに、全部の分量を作っておいたはずなのに、総分量が違っていたことにそのときに気が付きました。また、来週、その足りない分量を作らないといけないことになりました。分量を間違ってもそれほど困らない性質のものなのですが、また作らないといけなくなると手間が掛かるのと時間をそれに費やさないといけなくなりました。

 

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分断

2020年10月24日 | ひとりごと

大阪市内では11月1日に実施される『大阪市廃止・特別区設置住民投票』に向けての維新の政党の賛成派と反対派の街頭アピールを毎日駅の周辺で見かける機会が増えました。大阪市の運命はこの住民投票で結論付けられるような住民投票です。自宅には何回も無作為で抽出されたと自動音声で世論調査の電話が掛かってきています。この住民投票は前回は5年前に行われ、反対票が賛成票を上回ったという結果でしたので、その後の選挙で台頭されて来られた維新の政党の方々が引き続き主張されて来られ、今回の住民投票が再度行われることになりました。先日、黄色い服を着てアピールされている維新の方々が、「デマに惑わされないで。」とか「東区は今も使われている。」とか大阪市の区が再編されたときのことを宣伝されながら特別区が設置されても今の区の名称は残るのを強くアピールされていたのを聞きました。大阪市のこの住民投票は2回とも住民からの世論で実施されるのではないということと、この住民投票で決まったことは大阪市民の人々が総意で判断した結果なのだからどのような結果になっても受け入れないといけないんですよと連帯責任を背負わされたような住民投票なのだろうなあと思ってしまいました。

いろいろなサイトを閲覧していると、大阪市の廃止について、池田清彦氏が、大阪市に生まれてずっと大阪市に住んでいる人にとっての郷土愛に触れられて、「大阪市がなくなることが大問題だということに気が付かない人に騙されてはいけません。」と発言されておられた記事を見かけました。この記事を読んで、ずっと生まれたときから今までずっと大阪市民だった自分の気持ちに気が付きました。人はそれぞれ感情を持っているということ、その感情は理屈では計れないということ、そのようないろいろな人の気持ちや心の中に潜んでいるものが大事なものであると気が付かない人はたぶん同じ目線で物事に対峙していないということなのだと個人的にはそう思いました。大阪市を廃止しようと提言されているこの住民投票は、大阪市に住んでいる人々の考え方をまさしく分断していく方向にある政策でもあると個人的にはそう思います。仕事に就いて同じような職場を何回か転勤してきて最後の職場で最近よく感じることがあります。分断する政策はやはりよくないのではないかと常々感じていました。職場内で普通になってきた評価による給料査定システムが導入されてもう十数年経ちますが、若い世代の方々を見ていたら、普通にこの分断政策の一端の影響をもろに受けて仕事をされているのがよくわかる場面に遭遇します。また、維新の政策が隅々まで現場にまで浸透してきたので、昔に比べると、なんでも押し付けの考え方で有無を言わせないやり方が普通になってきましたし、人の行いを信用していないような考え方が普通になってきているとここ数年で変わってきているのを実感します。諸々の他者の行為で迷惑や影響を自己に受けるときはよく把握できているのに、自己の行為で他の人にどう迷惑や影響を及ぼすかという判断が以前よりは希薄になってきていることも職場内の現状を思い浮かべるとその顕著な例なのかなと思います。分断は人を信頼できなくなる些細なものをたくさん生み出してきたのだと思います。この住民投票をきっかけに、分断はやっぱりよくないと思った一般庶民の個人的な感想です。

 

 

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