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ピースおおさかで観賞したドキュメント映画『天王寺おばあちゃんゾウ春子最後の夏』の感想です。
1950年4月14日、タイから天王寺動物園にやってきた春子は当時2歳でした。それから2014年7月30日に亡くなるまでの64年間、天王子動物園で暮らしていました。この映画は、年老いた春子が亡くなった日までの約2年間の春子と飼育員さんの姿を追ったドキュメント映画でした。
春子が天王寺動物園にやってきてから亡くなるその日までの約64年間、天王寺動物園から一歩も出たことがなかった春子は亡くなってから初めて動物園外に出ましたという最後のナレーションはどのように表現したらいいかわからないような気持ちになりました。
2014年7月30日、春子が象舎で横に倒れてしまって立ち上がれないのを飼育員さんたち総出でどうにか起き上がらせたいと懸命にクレーンなどで持ち上げようとされていたシーンを観ていると涙が自然に出てきました。象は横になると、4トンくらいの自らの体重で肺が圧迫されて、亡くなってしまうから、どうにかして救いたいということで、何度も春子を持ち上げて立たせようとされていました。何とかして救ってやりたいけれど、最後の最後、もう頑張らなくていいんだと言ってあげたかったでしょうし、最後の最後にしんどい思いをさせて悪かったという飼育員さんの相反するような辛い思いもよく伝わってきました。春子の最期を見守っていた飼育員さんたちの寂しさや愛情も伝わってきました。自らの老いと戦いながらも亡くなる寸前までお客さんの前に立ち続けた春子はもう自ら限界と思って横たわったのだということを尊重されていた言葉が心に刺さりました。人間の最期も同じことが言えるのだろうと思いましたし、ちょっと前の病院でのことも思い出してしまいました。
飼育員さんが、春子がまだ元気だったころ、仕事場である象舎の外の広場に出るのを嫌がっていたのを促すときにお仕事頑張りましょうと声掛けておられた映像を見ていたら動物園にやってきた動物たちは見物人の人間に見てもらうのが仕事だったということを痛感しました。動物園としての規則として決まっている飼育方法と春子のことを思いやる飼育員さんの気持ちが飼育員さんの心の中でいろいろと交錯されていたように感じた映像もありました。多くの人々を元気づけてきた春子は、立派に仕事をやり遂げて亡くなったことを讃えよく頑張ったなと飼育員さんたちが春子を撫でながら声を掛けておられたことや涙されていたのが飼育員さんたちの飾らない気持ちだったのかなあと思いました。動物園で仕事をしている動物の視線から見える世界や飼育員さんがお客さんたちにどのように動物を見せるかという方法や飼育員さんの立場を想像しながら動物園で動物たちを見学したことが今までありませんでした。この映画を観賞し終えて、動物園の中で暮らしている動物たちのメッセージや動物園の未来を考えるきっかけをも与えてくれた映画だったように思いました。
少し前に天王寺動物園を見学したときに象舎の入口に「天王寺動物園に象はいません。」という貼り紙がしてあり、動物園には必ずいた象が今の天王寺動物園には1頭ももういないという事実を知りました。動物園で暮らしている動物たちのほとんどが高齢化してきているそうで、動物園の未来の厳しさを痛感しました。
この映画が撮影されていた当時、春子と犬猿の仲だった年下のアジア象のラニー博子は生きていましたが、春子が亡くなった数年後に、亡くなったそうです。仲が悪かったラニー博子は春子が亡くなった日に寂しいというそぶりやいつもと違う鳴き方をしていたというシーンが出てきていましたが、言葉にできなくてもちゃんとわかっているんだなあと思ったこのシーンも大変印象に残りました。