7月2日に行ってきた万博公園の続きです。
太陽の塔の目の隙間から青空が透けて見えていました。モノレールの車内からでも見えていたのできれいだなあと思いました。
太陽の塔のまわりにもアガパンサスがたくさん咲いていました。
中央口から退場して帰りは万博記念公園駅から大阪モノレールで門真市駅まで乗車し、京阪電車と環状線に乗り換えて、午後3時前に帰宅しました。
余談ですが、大阪モノレールに乗って万博公園まで向かっていたときに、隣に座って話をされていた20代くらいの女性の方々の会話が聞こえてきました。太陽の塔の中を見学されるようで、お一人は、以前に見学されたようで、そのときの感想をまだ見学されてなさそうな友達らしきもうお一人の方に話されていました。エスカレーターが当時付いていてそれに乗って見学したような作りになっていて、当時こんなのを思いつく発想が素晴らしいと思われた話をしておられたのが聞こえてました。お友達を誘って来られて再度見学されるようだったので、よっぽど感銘を受けられたのかななどと思いました。エキスポ70の万博に訪れて太陽の塔に一度だけ入ったことがありました。当時小学生の高学年でした。万博が開催されてから52年も経ったので、ほとんどの方が万博開催当時のことを知らないのも不思議ではなかったくらい年月が過ぎていたということですね。太陽の塔は当時もインパクトありましたけれど、当時は太陽の塔だけが単独で立っていたというイメージはなくいろいろな催しが行われたお祭り広場の大屋根の上に太陽の塔の上のほうだけが見えていたので太陽の塔の大きさを実感したのは大屋根がなくなって単独で立っている姿を見たときでした。太陽の塔は、並ばなくてもすぐに入れたくらい空いていたかと記憶しています。アメリカ館のように3時間も並んで待たなかったですし、短時間で見学できたパビリオンでした。太陽の塔の中のいろいろな展示物を見た記憶はありますが、小学生だった私は、変わったパビリオンだったなあということしか覚えていなかったです。当時また入りたいと思わなかったので中の展示物にはほとんどインパクトがなかったのかもしれないです。万博開催から52年も経った今も建物自体も中の生命の樹も後世の方々に変わらないインパクトを与えているかと思われる岡本太郎さんの芸術作品・太陽の塔は、やっぱり偉大だったということなのだろうということがわかります。時を超えてこれからもいろいろな人々に弛まないインパクトを与えて行くのだろうなあとも思います。芸術作品が放つ秘めたる力は時を超えて繋がっていくことも多々あるということであって、すぐには、その真髄が評価されることはないかもしれないですが、それがきっと芸術が持っている目に見えないけれど素晴らしい力なんだろうと思いました。