先日、ちょうど同年生まれの友人(といっていいよね)と飲みに行き、お互い共通する体験を持っていることを確認できてなんだか嬉しかった。
いろいろあるのだけど、幼少のころに再放送のテレビで見たガンダム体験が一致するのは、やはり同年代だなと思った。
この話題は同世代でヒットする確率が高い。
骨太のストーリー、それぞれに濃くて強力な印象を残したキャラたち、そして珠玉の名ゼリフの数々…、話題は尽きないのだ。
(上や下の世代の人には、ちょっとこの思い入れはわからないでしょう)
おそらく兄たちの年代をピークにぼくらくらいの年代を下限にして、これを共通の物語体験としてもっている、ひとつの世代と言えるとおもう。
ガンダムの物語がぼくらの世代に与えたインパクトはかなり強力だ。だからこの話題で熱く語りあえる人が多いのだろう。
コンビニとかで売っている食玩系の長く続いている主流はずっとガンダムだし、ゲームでもバージョンアップされながら繰り返しこれが題材にされているらしい。
ぼくらの世代は、幼少期にインパクトを残したこの物語を大人になっても反芻しているかのようだ。
といっても、これはあくまでいわゆる“一年戦争”の初代ガンダムに限った話だ。
それ以降“柳の下のドジョウ”的に続いた「Z」以降シリーズに関してはかなり好みがわかれていると思う。
自分としては、おそらく監督・富野氏の作家性(というかアク)が強く前面に出てきたそれらのシリーズが好きではない。物語がどんどん細分化しつまらなくなっている上、キャラクターの感情移入しがたいナイーブさというか“痛さ”が、なんだかとても恥ずかしいからだ。
それに対し元祖・ファーストは熱い。物語の骨格はきわめて太く明確だ。連邦とジオンの対立という国家的な大枠、主人公だけじゃなくてまわりのキャラも戦闘体験を積み重ねるなかで“大人”に成長していくという方向性、“量産型”の巨大メカという新概念、そしてそれまでのアニメの正義/悪、という単純図式からするとすごく新鮮に映った、どちらの陣営にもいる人間くさい男・女たちの言行。
そう、キャラクターの魅力がやはり大きいだろう。
人によって誰が好みか異なるのが面白いとおもう。
主人公のアムロや、スカしたライバル役のシャアのファンだという人は意外に少ないのではないだろうか。
それよりも物語の要所要所を締める重量級の名脇役がいぶし銀的に光っている。
ラル大尉やスレッガー中尉のような“漢”に燃えた人は多いはずだ。
大人になってからミライさんの家庭的な魅力に気づいた男は私だけではないだろう。
当初頼りない限りだったブライトさんやカイの、終わりのほうでの成長ぶりに、こういう生き方もあるよね、と思わなかっただろうか?
そしてギレン閣下のブチ上げる強烈なアジ演説になぜか国民意識を鼓舞されたヤツもいたりする。
まだ作り手たちに戦争体験やその伝承の記憶があったのか、たとえば特攻のエピソードがたぶん何度も出てきていて、それらが涙腺を刺激するいわばヤマになっていたりする。
他にも旧軍の階級呼称がまんまカッコヨク使われていたり、最後は艦隊決戦で締めたりして、これでその道のマニアになった人も多いはずだ。
なにかで、作り手の側はほんとうは旧軍の物語としてアニメを作る予定だったのが、おもちゃ業界との妥協でこういうかたちになったというのを読んだことがある。なるほどそのとおりという感じがする。
なんだかこの話題だけでほんとうに一年分は書けそうな気がしてきた。それほど思い入れがあるということなのだろう。
もちろん今の目で見ればいろんなあらが発見できるだろうし、ひょっとしたら何でこんなモンにはまっていたのかと思えてしまうかもしれない。
もうここらでいいかげん大人にならなきゃならん。
それはともかく、幼少期にたたき込まれた物語やイメージの影響力というのは、大人になってもかなり強いのだと思う(現にこれがぼくらの世代における大きな市場となり続けてきたのは、その現れだろう)。
いわば、キリスト教世界の聖書物語や仏教の六道輪廻の神話が、繰り返し語られ子供たちの心に染みついてきたのとおなじ構造ではないかと思う。
これはなにも大げさにいうのではなく、テレビ世代のぼくらが幼少の頃に心に焼き付けたストーリーとは、そういうことになっているのではないかということだ。
それがどれほどメッセージとして薄っぺらかろうと、商業主義にまみれていようと関係ない。これはいわばぼくらの共通体験であり“原風景”なのだ。
そういうわけで、軽々しいなりに、作り物なりに、やはり気になって振り返りたくなるなるのだろう。
もちろん人によって年代によって好みは細分化しており、その傾向はますます加速していると思う。いまの子供たちはゲームに没入していて(ぼくらのハマったファミコンは素朴だった!)どうなっているのかよくわからないが、やはりそれらが“原風景”となるのだろうか?
ガンダムから脱線したが、またこのことを書きたいと思った。「ザクとは違うのだよ、ザクとは!」とか「立てよ国民!」とか、珠玉の名言集だけでゆうに3ヶ月はもつだろう。
話題に困ったときに便利だし。
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いろいろあるのだけど、幼少のころに再放送のテレビで見たガンダム体験が一致するのは、やはり同年代だなと思った。
この話題は同世代でヒットする確率が高い。
骨太のストーリー、それぞれに濃くて強力な印象を残したキャラたち、そして珠玉の名ゼリフの数々…、話題は尽きないのだ。
(上や下の世代の人には、ちょっとこの思い入れはわからないでしょう)
おそらく兄たちの年代をピークにぼくらくらいの年代を下限にして、これを共通の物語体験としてもっている、ひとつの世代と言えるとおもう。
ガンダムの物語がぼくらの世代に与えたインパクトはかなり強力だ。だからこの話題で熱く語りあえる人が多いのだろう。
コンビニとかで売っている食玩系の長く続いている主流はずっとガンダムだし、ゲームでもバージョンアップされながら繰り返しこれが題材にされているらしい。
ぼくらの世代は、幼少期にインパクトを残したこの物語を大人になっても反芻しているかのようだ。
といっても、これはあくまでいわゆる“一年戦争”の初代ガンダムに限った話だ。
それ以降“柳の下のドジョウ”的に続いた「Z」以降シリーズに関してはかなり好みがわかれていると思う。
自分としては、おそらく監督・富野氏の作家性(というかアク)が強く前面に出てきたそれらのシリーズが好きではない。物語がどんどん細分化しつまらなくなっている上、キャラクターの感情移入しがたいナイーブさというか“痛さ”が、なんだかとても恥ずかしいからだ。
それに対し元祖・ファーストは熱い。物語の骨格はきわめて太く明確だ。連邦とジオンの対立という国家的な大枠、主人公だけじゃなくてまわりのキャラも戦闘体験を積み重ねるなかで“大人”に成長していくという方向性、“量産型”の巨大メカという新概念、そしてそれまでのアニメの正義/悪、という単純図式からするとすごく新鮮に映った、どちらの陣営にもいる人間くさい男・女たちの言行。
そう、キャラクターの魅力がやはり大きいだろう。
人によって誰が好みか異なるのが面白いとおもう。
主人公のアムロや、スカしたライバル役のシャアのファンだという人は意外に少ないのではないだろうか。
それよりも物語の要所要所を締める重量級の名脇役がいぶし銀的に光っている。
ラル大尉やスレッガー中尉のような“漢”に燃えた人は多いはずだ。
大人になってからミライさんの家庭的な魅力に気づいた男は私だけではないだろう。
当初頼りない限りだったブライトさんやカイの、終わりのほうでの成長ぶりに、こういう生き方もあるよね、と思わなかっただろうか?
そしてギレン閣下のブチ上げる強烈なアジ演説になぜか国民意識を鼓舞されたヤツもいたりする。
まだ作り手たちに戦争体験やその伝承の記憶があったのか、たとえば特攻のエピソードがたぶん何度も出てきていて、それらが涙腺を刺激するいわばヤマになっていたりする。
他にも旧軍の階級呼称がまんまカッコヨク使われていたり、最後は艦隊決戦で締めたりして、これでその道のマニアになった人も多いはずだ。
なにかで、作り手の側はほんとうは旧軍の物語としてアニメを作る予定だったのが、おもちゃ業界との妥協でこういうかたちになったというのを読んだことがある。なるほどそのとおりという感じがする。
なんだかこの話題だけでほんとうに一年分は書けそうな気がしてきた。それほど思い入れがあるということなのだろう。
もちろん今の目で見ればいろんなあらが発見できるだろうし、ひょっとしたら何でこんなモンにはまっていたのかと思えてしまうかもしれない。
もうここらでいいかげん大人にならなきゃならん。
それはともかく、幼少期にたたき込まれた物語やイメージの影響力というのは、大人になってもかなり強いのだと思う(現にこれがぼくらの世代における大きな市場となり続けてきたのは、その現れだろう)。
いわば、キリスト教世界の聖書物語や仏教の六道輪廻の神話が、繰り返し語られ子供たちの心に染みついてきたのとおなじ構造ではないかと思う。
これはなにも大げさにいうのではなく、テレビ世代のぼくらが幼少の頃に心に焼き付けたストーリーとは、そういうことになっているのではないかということだ。
それがどれほどメッセージとして薄っぺらかろうと、商業主義にまみれていようと関係ない。これはいわばぼくらの共通体験であり“原風景”なのだ。
そういうわけで、軽々しいなりに、作り物なりに、やはり気になって振り返りたくなるなるのだろう。
もちろん人によって年代によって好みは細分化しており、その傾向はますます加速していると思う。いまの子供たちはゲームに没入していて(ぼくらのハマったファミコンは素朴だった!)どうなっているのかよくわからないが、やはりそれらが“原風景”となるのだろうか?
ガンダムから脱線したが、またこのことを書きたいと思った。「ザクとは違うのだよ、ザクとは!」とか「立てよ国民!」とか、珠玉の名言集だけでゆうに3ヶ月はもつだろう。
話題に困ったときに便利だし。
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私は決してガンダムを熱心に見ていた覚えはないのですが、印象に残る台詞が多かったですね。「Z」以降はストーリーすらほとんど知らないのですが…… 高校の先輩も「末はヤマトかガンダムか」と言ってましたし……
ところで、こんなもの見つけました。
http://warutuki.or.tv/bo.htm
とっくにご存知かもしれませんがお腹を抱えて爆笑してしまいました。ほとんど同じですがキャプションが少し違うので両方あげておきます。
http://kimi-gay.hp.infoseek.co.jp/data/zaku.swf
http://storage.irofla.com/?name=giak&type=swf
本当に前後の世代を無視した書き込みになってしまった……
でも私の憧れの女性はシャアの妹(名前忘れた。。。すいません)ですね。カッコイイもん。なんか。そして言葉ひとつひとつがとても10代とは思えません。
特にブライトさんは絵からして20代でしょう(笑)
私はガンダム全く知らんです。
ドラゴンボール派です。
しかし、話し出したら止まらなくなりそうですね。笑
あと、西部警察。
私は当時から流行りものに対して、鈍感だったせいで、それほど原風景として刷り込まれてないんですよ
共感できなくて残念です・・・
あ、でもミライより、セイラ・マス派です(笑)
>北海道のMさま
どうも、お世話になっております。あ、さっそくこのネタでのツッコミ、ありがとうござります~。そうですね、セリフが大人っぽくて、子供心に印象的だったんです。「ガルマは死んだ、なぜか!?」「…坊やだからさ」、とか。しびれますね。
なるほど、北のMさまの世代だと、ちょうどヤマトとガンダムの間くらいだったんですね。ヤマトはあまり知らないのですが、主題歌は超好きです。
>green-butterflyさん
どうもありがとうございます。
女性の鉄道マニアが絶無なのと同じくらい、ガンダム好きも少ないと思います。きっとほかのアニメとかでそういう原体験をお持ちなのではないでしょうか。
ムリヤリとのこと、旦那さんもハマっているようですね。同世代のにおいを感じます。
いいところついていますね。ホント、年齢設定がおかしいと思います。たしかブライトさんは19歳…(笑)
ああ、君たちになるとドラゴンボールになるんだね。ぼくらの時はアラレちゃんでした。
じつはガンダムのこと、細部までそれほど熟知しているわけじゃないんです。マニアックにそういうのを追究する向きもよくあるようですが、どうもそういうのには乗れない。好きだったらそれだけでいいじゃないか、ということで。
しかしわずか数歳の差で、これだけの体験的な“世代”ギャップが生じるというのは、考えてみればちょっと異常なことだ…昔だったら同じ物語を共有できただろうにね。
いや、“新しい物語”があるわな、ぼくらには。
>りょうさん
そうスよ、まるっきり同世代じゃないですか!
西部警察、懐かしい。でもなぜかほとんど印象に残ってないんですね。カーアクションとか爆発とかはたくさんあったけど、物語として希薄な印象があります。細部は忘れましたが、それよりも“太陽にほえろ”とか“特捜最前線”とかは物語が熱かった。
原風景などと大げさに書きましたが、ようするに思い出せるぼんやりとしたイメージとか感触とかがそんな感じなんです。実際の原風景が殺風景な住宅地なので、メディアのほうにリアリティを感じていたのか。ぼくらはいわばそんな現代の世代のはしりではないかと。
あ、女性キャラもひじょうに立ってますよね。それ、わかりますとも。
ガンダムは全然わからないけど、「宇宙戦艦ヤマト」は欠かさず見てました。目つきだけが表情のような沖田艦長が「波動砲!」と叫ぶときが好きでした。
幼少のときにすりこまれた物語の影響の大きさは私も実感しています。私の場合はそれが「ジャングル大帝」なのですが 人としての生き方というか日本人の精神性(舞台はアフリカなのにね)の基礎は今ふり返ってもやはりそこからの影響が甚大だったのがわかります。私の原風景でした。
Mさんもファミコンで遊んでいたのね。ゲームオーバーしたら最初からやりなおしで大変なのだけれどそれでもやっちゃうシンプルなおもしろさがありましたね。今だに「ボンバーキング」と「ラビリンス」をクリアしていない心残りがあります。Mさんはどんなゲームで遊んだのでしょう。
なるほど、マザーも「ヤマト」の世代なのですね。たしかにいまでは定番となったヒゲの無口な艦長はカッコイイ。いまいみじくも「大和」のことを書いていますが、映画のほうの「総員上甲板(艦の放棄)」を命ずる奥田さん演ずる艦長も、なんか格好良かったッス。
ジャングル大帝が原風景とのこと、見ていなかったですが、なんだかわかるような気がします。手塚さんは良質なヒューマンなメッセージを語る人で、だからいまでも愛されているのでしょうね。
アニメも時代とともに大きく変わっているようで、今のは子供がいたとしたら見せたくないようなのばかりに見えます。偏屈オヤジとして嫌われるでしょうが。
ファミコン、マザーもやっておられたのですか! たしかにシンプルなおもしろさがあったんです。私はなんといっても「ゼルダの伝説」だったですね。夢にまで見たほどです。そのあとはパソコンゲームにはしり、「ウィザードリィ」という超マニアックなゲームを四六時中やってました。暗い暗い時代の思い出であります。
「ウィザードリィ」は知らないけれど昨年新たに息子に加わったR君もよくMさんと同じことを言っています。ふたりの共通点はずばぬけて正直なところかな。そこに謎を解く鍵があるのだろうか。う~む。
「大和」2へのコメントに続きます。
クソゲー、いまでもたぶん現役の言葉ですよ、きっと。クソゲーだけになつかしいのもありますね。
ところでR君とは?